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『戦国時代頃に食べ物屋あったのか?あったなら、何を売っていたのか??』

江戸時代頃には大衆食堂のようなものはあったようですが、
「戦国時代」においてはそのような資料を見つけることができませんでした。
路上で饅頭、お茶、餅、ところてんなどを売っていたことは分かったのですが、
料理を売っているところは見かけませんでした。

また、「忍たま乱太郎」などでよく見る「茶屋」ではどのような物を売っていたのでしょうか?

是非教えて下さい。

もしよければ値段はいくらだったのかなどが分かる方がいらっしゃったらそれも是非教えて下さい。

よろしくお願いします!

A 回答 (2件)

真偽のほどはわかりませんが、京都には戦国時代から続いているといわれている食べ物屋が何軒かあります。




応仁の乱の直後開業の茶店、看板商品の煎餅は開業当時からだそうです。
水田玉雲堂
http://gyokuundo.com/yurai.htm

一休さんゆかりの仕出し屋さん
大徳寺一久
http://www.daitokuji-ikkyu.jp/contents/greet.html

秀吉も来たとかという茶店
わらじや
http://www.jtb.co.jp/kokunai/Sight.aspx?bookid=A …


看板商品のみたらしだんごは秀吉の北野茶会に使われたのだとか
亀屋粟義
http://kyoto-wagasi.com/monzen_shinsen/kameya_aw …

秀吉から今もある名物の餅の名前をつけて貰った茶店
長五郎餅
http://www.chogoromochi.co.jp/history.html

応仁の乱より前からあったという蕎麦屋、元は和菓子屋?
本家尾張屋
http://www.honke-owariya.co.jp/about/
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この回答へのお礼

おぉ!!

店の場所が全て分かる!
さっそく食べに行こう・・・・
って値段高ッ!!www

学生にはちとキツそうだなぁ・・・・・

お礼日時:2010/07/08 01:25

熊倉功夫著「日本料理の歴史」という本に「料理屋の誕生」という章があり、応永十年頃、京都の東寺に立売茶屋があったこと、その8年後には女性のサービスがついていたことから酒食も供していたと考えられると書かれています。

また、「言経卿記」天正10年に京都清水や祇園のあたりに酒飯をふるまう茶屋があったことなども紹介されています。詳しくは本を読んでみてください。
なお、茶屋で売っていたものとは、江戸時代のことでしたら、街道や寺社門前の名物などで資料はたくさんあります。戦国時代のことでしたら、↓こんな?
http://www.digistyle-kyoto.com/gourmet/hyakumika …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%B6% …
「言経卿記」を書いた人のお父さんの日記「言継卿記」には、茶屋で餅を食べたことがたまに出てきます。一串四つの串団子が登場するのは江戸時代のことです。
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この回答へのお礼

あり得ないくらいお礼が遅くなって申し訳ありません。

焼いた餅に味噌のタレ・・・
思い浮かべただけでよだれがでそうですねぇ。
売ってるところを探さねば!

京都が近いので祇園豆腐など食べに行ってきます。

お礼日時:2010/07/08 01:20

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