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豊臣秀吉は日本を統一した後の全盛期に朝鮮半島に出兵し、衰退前の明・李氏朝鮮連合軍と戦って最終的に敗退しますが、中国も朝鮮もそれなりの武力を保有した統一国家だったので当然だと思います。

それでは、秀吉が南方に目を向け、例えばスペインの植民地であったフィリピンに出兵したとしたら、征服できるくらいの武力はあったのでしょうか?

60年後には、清に破れて敗退中の鄭成功がオランダに勝って台湾を征服していますが、秀吉は鄭成功より遥かに強大な武力を保有していました。

質問者からの補足コメント

  • フィリピンは植民地なので、マニラにあるスペインの拠点さえ落とせば楽に征服できるはずです。原住民の抵抗を考えなくてよいので。

    日本軍はフィリピンの何倍もあるインドネシア(オランダの植民地)を、たった3ヶ月で占領した実績もあります。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/15 11:28
  • スペインの方が10倍以上遠いです。
    スペイン本国からの救援は見込めないので、1度マニラを占領したら、フィリピンの征服は容易のように思います。
    食料や武器の補給も、スペイン本国からの方がずっと難しいです。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/15 14:30
  • >「当時の日本の造船技術では」と書いています。スペイン並の造船技術を持っていたら、可能でしょうけど。
    → 当時最先端の船であるガレオン船は、江戸時代初頭に日本も製造しています。
    秀吉もその気になれば、船大工に造らせることは出来たでしょうし、当時の船大工もそれくらいの技術はありました。
    >大砲も、当時はまだ西洋諸国のようなものは自作できず、輸入したものがほんの少しあるくらいです。
    → 戦国時代には既に大砲(当時は大筒)が作られていました。

    朝鮮出兵は大船団で対馬海峡を渡ったものですし、当時の日本は海を渡って敵地を攻略する力を充分持っていました。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/15 23:00
  • 第二次世界大戦で日本はインドネシアを簡単に占領しましたけどね。
    当時のフィリピンは少なくとも、朝鮮や明より確実に弱かったでしょう。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/15 23:03
  • インドネシアは第二次世界大戦中ずっと、日本軍が占領してましたね。

    フィリピンは遠いですが、当時はまともな文明がありませんでした。
    文明水準が高い中国と朝鮮と比較したら、雲泥の差です。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/16 08:40
  • >日本の技術者の力だけで建造できたわけじゃありません。三浦 按針(ウィリアム・アダムス、イギリス人)の力を借りてですよ。
    → 知ってます。また、秀吉が朝鮮半島や中国大陸に固執していたのは間違いでした。
      当時のスペインやオランダが中国や朝鮮半島が攻めると、秀吉軍以上に惨敗したでしょう。

    >フィリピンと朝鮮では、距離が全く違います。
    → 朝鮮や中国はそれなりの武力を持ち、国として統一されていましたが、フィリピンはスペインの船団の一部が駐屯していたに過ぎません。
     江戸時代前期には島津藩が琉球に侵攻し容易に占領しましたが、1つの藩でも出来たことです。
     一方、秀吉は日本全体を統治しており、強さは比較になりません。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/17 15:16
  • >強くて大きい船がたくさんなければフィリピンには攻め込めないという、シンプルなお話です。
    → 江戸時代初期には、肥前藩主の有馬晴信と長崎代官の村山等安が台湾に船団を派遣しています。
      成功はしませんでしたが、小大名や一代官でもそれくらいのことが出来たわけです。
      地図を見るとわかりますが、台湾とフィリピンの距離は近いです。
      それを国家プロジェクトとして行えば、フィリピンまで強くて大きな船を数多く送り込むことは充分可能と考えられます。何より、当時は朱印船によりマニラまで日本人が普通に航海をしていました。
      そして戦国時代には、倭寇はフィリピンまで襲撃を行っていたのです。

      結局のところ、貴方はできない理由を探して否定していい気になっているだけのように見えます。  歴史は貴方のような否定から入る人間ではなく、新たなことに挑戦する気概のある人物によって変えられてきたのですよ。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/18 22:48
  • 秀吉の時代には呂宋助左衛門という、ルソン島との貿易で財をなした豪商が居ましたので、秀吉もその配下もフィリピンの存在を知らなかったわけではないと思います。

    確かに、リスクを冒してフィリピンに侵攻する動機付けはなかったと思いますが、朝鮮半島を攻めるのに比べたら成功確率が高かったと思う次第です。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/19 22:51

A 回答 (8件)

日本から見て間にある琉球や台湾などに一切手を出さず、いきなりフィリピンに侵攻するのは非常に難しい。


(途中で襲われて人、物、情報の移動が困難になることが予想されるので、普通はそんな遠隔地へ侵攻はしない)
それなのに秀吉がいきなりフィリピンに侵攻すると言い出したら、側近がまず琉球や台湾などを占領してフィリピン侵攻の拠点にすることを進言するだろう。
(それでも秀吉が最初にフィリピンを攻めると言い出したら正気を失ったものとして軟禁される可能性が高い)
で、琉球や台湾などへ侵攻したりしている間に秀吉の寿命が来る。
ゆえに『秀吉は』フィリピンを征服できないと考えられる。

朝鮮や明は日本と比較的共通の文化圏の文明国だから、占領することで豊かになれるという希望が見いだせて諸大名に命令をきく動機づけが可能だっただろう。
しかしフィリピンみたいなよく判らん土地へ侵攻して征服する動機づけが諸大名に対して可能なのか、そこからして疑問。
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No.6です。



> 江戸時代前期には島津藩が琉球に侵攻し容易に占領しましたが、1つの藩でも出来たことです。

島津と琉球なんて滅茶苦茶近いですよね。
何と比較するつもりで出してきた例なのか、意図が不明です。

> 一方、秀吉は日本全体を統治しており、強さは比較になりません。

日本国内で力を持っているかどうかは関係ありません。遠方まで攻め込むだけの海軍力があるかどうかの話をしています。
どんなに大勢の兵力を動員できても、強くて大きい船がたくさんなければフィリピンには攻め込めないという、シンプルなお話です。
世界地図を見て、九州北部から朝鮮半島までの距離と、九州南部からフィリピンまでの距離を測ってみてください。全然違うことはお分かりになりますよね?

結局、質問の態をとって、自分の主張を言いたいだけなんですね。
歴史のIfを語るなら、事実を大事にして、その上でちょっとした「もしも」を入れるだけにしないと、ただの誇大妄想的な「日本は昔から凄かったんだぞ」話にしかならないですよ。
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No.3です。



> 当時最先端の船であるガレオン船は、江戸時代初頭に日本も製造しています。

日本の技術者の力だけで建造できたわけじゃありません。
三浦 按針(ウィリアム・アダムス、イギリス人)の力を借りてですよ。

> 当時の船大工もそれくらいの技術はありました。

技術があっても、作り方を知らないものを作ることはできません。

「その気になれば」と仰いますが、必要だということすら認識出来なかった、ということも、充分敗因となりますよ。
例えば、第二次大戦で、日本がハワイに攻撃を仕掛けたのを見て、アメリカは「これからは空母だ」と認識しました。
ところが、当の日本は空母の有用性に気がつかず、大和のような巨大戦艦を建造することに力を注ぎ、無駄に資源を浪費しましたよね。
その事実の前で、「日本だってその気になれば、空母を建造する技術はあったんだ」と言ったって仕方がありません。
実際に、秀吉はガレオン船を作らなかった。それが事実です。

> 戦国時代には既に大砲(当時は大筒)が作られていました。

「西洋諸国のようなものは自作できず」と書きましたよ。
戦国時代の「大筒」と、西洋列強の「大砲」は、レベルが全く違います。

> 朝鮮出兵は大船団で対馬海峡を渡ったものですし、当時の日本は海を渡って敵地を攻略する力を充分持っていました。

フィリピンと朝鮮では、距離が全く違います。

小説か漫画でも書くつもりなのであれば、現代人をタイムスリップさせて、秀吉にガレオン船建造を助言する流れにすればいいんじゃないでしょうか。
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確かに第二次世界大戦 (の序盤) では日本が東南アジアを席巻していたけど, でも


豊臣秀吉はそのことを知らない
と思うんだ.

あと, たぶんフィリピンの方が朝鮮や明より確実に遠いんじゃないかなぁ....
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秀吉さんは、遠い国なまで把握はし植民地にならないように飲み込まれないように


いくらか考えてたと思う、海外に売り飛ばされた奴隷を回収する努力はしていた。
近郊国にはいう事きかないと攻めるぜ!と脅しはしてたハズです。


戦争したらボロ負けしたと思う
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> スペインの方が10倍以上遠いです。



「当時の日本の造船技術では」と書いています。スペイン並の造船技術を持っていたら、可能でしょうけど。
日本の当時の造船技術は、鉄甲船がようやく数隻という程度です。
外洋を長期間航海する技術は、全くもって未発達でした。(必要なかったので。)
大砲も、当時はまだ西洋諸国のようなものは自作できず、輸入したものがほんの少しあるくらいです。
やるなら、せめて、中国沿岸か台湾を獲得して拠点を作っておかないと。
でもそうなると、そっちの方が難しいという話になります。
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鄭成功が勝利できたのは、元々台湾に漢民族がたくさんいて、しばしばオランダに抵抗を試みていたことが大きな理由ではないかと思います。


漢民族が、オランダに奪われた地を取り返した、という形です。

フィリピンにも日本人はそれなりの人数移住して「日本人街」のようなものを形成してはいましたが、あくまでも日本人は移住者であって、フィリピンの中での主要な位置を占めていたわけではありませんよね。
「フィリピンを日本の支配下におく」というような形での出兵では、勝利することは難しかったのではないでしょうか。
うまいこと、「スペインを追い出してあげるよ」的な方向で、現地の人を仲間に引き入れられれば、一時的な勝利は可能だったかもしれませんが・・・。
まあ、そもそもの話、フィリピンは遠すぎですね。
当時の日本の造船技術では、フィリピンまで兵力を輸送するのすら困難でしょう。
食料の補給なんかありえないでしょうから、第二次大戦の末期の日本軍並に大変なことになっていたと思います。
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フィリピンの制服は無理だったと思います。


理由:
・補給が続かない
・亜熱帯の気候に対する知識がない
(当然対応した装備も戦術もない)
上陸から数日は勝てるでしょうが、その後は飢餓と疫病に苦しんで全滅すると思いますよ。
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