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空には鳥の飛ぶ道があり、海には魚が通る道がある。では、人間の道とは
何でしょうか?

例えばこんな意見があります。

「人間には、万物の王者としての偉大な天命がある。かかる天命の自覚に
立っていっさいのものを支配活用しつつ、よりよき共同生活を生み出す道
が、すなわち人間道である。人間道は、人間をして真に人間たらしめ、万
物をして真に万物たらしめる道である。」 ( 松下幸之助)

当たり前のことを言っているだけに思えるかも知れませんが、私には彼の
長い人生経験の結論として、大変に深みを感じる言葉です。

質問者からの補足コメント

  • 知性的にいきましょうよ。

      補足日時:2019/04/05 00:06

A 回答 (24件中11~20件)

さて


その天命をどのように知るか
知れば、大胆に振る舞う事ができる
非難も苦難もさざ波程度、心地よい、そよ風にもなる

天命を知る事が、いかに困難か、
「汝自身を知れ」がいかに大事か
それを知った者にしか分からない

プラトンの喩え話のように
生れてから、洞窟で生活している人に
青い空と緑の大地は分からない、理解できない
古い慣習に縛られた、色眼鏡を掛けた、狭い、小さい、低い
コップの中の、足元の、昨日今日の話しか出来ない人には、想像さえできない
その洞窟から一歩踏み出した人のみ、天命が、人間の道が分かるのです
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この回答へのお礼

>天命を知る事が、いかに困難か、「汝自身を知れ」がいかに大事か
それを知った者にしか分からない

うーん、そうなんですよね。

まず、自分が知ることで、そして、人に伝えたいですね。

何にしても、人から人へ伝わるモノって直観だと思います。
論理でないと納得しないと言う人も多いですが、そういう人達も結局
論理では納得しないんですよね。経験上私はそう思います。

けれど、論理は必要だと思います。でも、哲学の論理って難しいですね。
特に仏法哲学は。

お礼日時:2019/04/07 02:53

威力の大きさの善用。


それを地球規模に拡大するのが大事な時代ですね。
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この回答へのお礼

スズメ流の短くて難解なお言葉。

「令和」の少々大胆な解釈にも思えます。

お礼日時:2019/04/05 23:57

求め心と言うのは、わかりやすく言えば執著のことで、それを離れてしかも、通じる道と言うのがあるのではないかと。

それは言葉を磨くことによってではなく、本心に開かれていることによって達成されるのではないでしょうか。

距離ゼロ感と無意識のつながりと言う点については、なるほどと思いました。

>そこに、まだ解明されていない人間の道が厳然とあって、この道は言葉だけでは難しく
「生の心」がモノを言う世界なのだろうと思います。

ふむ。仰る通りかと思います。ここら辺の言い回しは非常に奥行きがあっていいですね。

苦しみについて。
苦しみを体感すると、人は苦しみに打ちのめされて性格までも悪くなったりしますが、苦しみを知るとは、自分を損なうことなく(性格が悪くなったりすることなく)、人にはかかる苦しみがあるのを知って、気高さを保ったまま、その苦しみの元々に迫って解決を見ることができるのではないか、という事です。喩えば医者自身は病気にかかっていないのに、医者は病気の事に精通しているようなものです。
人も、人間関係や世間に溺れることなく、人に通じる(人のことをよく知る)ゆえに、そこに道も現れるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

理解にもたついています。

人には執著があるから、距離が近くなり諍いが起きてしまう。そこを離れれば距離ができ、
本心と本心が通じ合う「道」があるのではないかと、そしてそれは開かれた本心によって成
される、ということでよろしいのでしょうか?

この「開かれた」ということが重要であると思います。私はこれを「信ずること」「愛する
こと」と定義づけたいと思う。

問題はこの本心が、善意であるとは限らないということ、あるいはどういう哲学があるかわか
らないということで、だから現代人は信ずるということに慎重であり、「信ずるものは必ずし
も救われない」ということになろうかと思います。

この辺りのことは、さらにずっと掘り下げてゆかねば、私は納得することができない思いです。
思考の生き埋めにならないよう、気を付けて掘ってゆきたい。

苦しみについてのご説明は、とても分かりやすかったです。できれば、強烈なボディーブローに
耐えた経験のあるボクサーが打たれ強いのと同様に、苦しみに耐えた経験がある方がよいでしょ
うが、少なくとも回復していないといけないでしょう。

お礼日時:2019/04/05 23:52

「人生には損得を超越した一面、自分がこれと決めたものには命を賭けてでもそれに邁進するという一面があってもいいのではないだろうか」


これも松下幸之助の言葉。一途な彼の性格が窺えます。また、
「無理に売るな。客の好むものも売るな。客のためになるものを売れ」
というヒューマニズムに基づいた利益一辺倒でない姿勢も支持されたと思います。
そうですね。自分の中には諦念も多いです。それは日々、退廃する環境に身を置いているからに他ならない。身を粉にして働いても先のことを考えれば良い展望を持てない。
でも、なんか資源を無駄にすることや、遺伝子組み換え、ゲノム編集など必要以上に自然をコントロールして結果的に生態系のバランスを壊してしまうのは納得いかない。人間は欲のために、良き管理者としての責任を放棄しているのではないか、と考えてしまうのです。しかし、自分もまた、その強欲な人間の一員としてこの地上に生かされている。その矛盾が行動することを躊躇わせている。それが正直な感想でしょうか。人間の道とは、奥行きがありますね。
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この回答へのお礼

率直なご意見をいただき、嬉しく思います。そして、共感します。

松下幸之助、手塚治虫の言動・作品はヒューマニズムに貫かれています。
私が深く敬愛する日本人の先輩です。

>退廃する環境に身を置いている

そういう環境が多いと思います。

>身を粉にして働いても先のことを考えれば良い展望を持てない

残念ながら、それも現実ですね。
その現実の中で、私も生きているわけです。
山の中で自給自足の生活ーそれも可能ではありますが、それをしたところでそれだけの話。

文明の中で、それぞれCo₂を排出し、資源を使い、環境を汚しているのですが、例えばその
状態で環境保護を訴えることは矛盾ではないと思いますし、後ろめたい気持ちを持つ必要は
ないと思います。
生活をしなければならないし、それぞれの活動資金が必要だからです。

>人間は欲のために、良き管理者としての責任を放棄しているのではないか

その通りだと思います。しかも、そのことを正当化する理論まで作ろうという念入りな悪知恵
まで持っています(言いすぎかな?笑)。

お礼日時:2019/04/05 15:23

いや、僕はこう言うストレート、直球な質問は好きで、その為に一つ考えてみたくなった、と言うことでした。

一応、念のため。正直であることを躊躇う事はないと思います。
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この回答へのお礼

まあ、何と言いますか、キサラギさんの回答を読んで、これまでの(約四年になります)
このカテでの総括をしたくなったというわけです。(今日はちょっと時間がありましたので)

何故そんな心境になったかと言いますと、私の中で迷いが生じているということです。

「男として生まれたからには、自分の信念に生きて、死にたい」ということには迷いはない
のですが、今の自分のやり方で果たしてどうなるのかという迷いです。
それは、現状と自分の力の把握が進んだということだと思います。

例えば、プロスポーツ選手がスランプに陥ったり、ケガをしたりしたときに悩むようなもので
王貞治もイチローも乗り越えてきたし、大谷翔平はこれから乗り越えることでしょう。
一流の人は判断も早いのでしょうが、一流でない私にはそう簡単にはいかないでしょう。もう
少し悩むことになりそうです。

さて、改めて№5を読んでみると、

>求めごころを離れているので、その距離は天体間の距離以上の開きがある

>離れて通じる道が、人にはあるのだろうと

その道は言葉を磨くことによって、歩むことができる、と。

確かにその一面はあると思います。意識の部分ではそうだと、言えるかもしれません。
しかし、人と人とは距離ゼロと思える場面があって、その距離ゼロ感とは、おそらく、
潜在意識でつながっているということでは「なかろうか」と思います。

そこに、まだ解明されていない人間の道が厳然とあって、この道は言葉だけでは難しく
「生の心」がモノを言う世界なのだろうと思います。

※求めごころを離れている、ということがよく理解できませんでした。

また、苦しみを体感することでなく、知ることである、と言うこともよく理解できませ
んでした。

お礼日時:2019/04/05 13:39

松下幸之助の考え方は素晴らしいと思います。

新しいものを作り出そうとする機運、時代も彼を後押ししたと思います。
しかし、今は新しいものを、新しいものをと求める時代とは少し変わってきた。今あるものをどのように活用していくかにシフトが移っている。限りある資源を大切に有効活用していく時代。それがやはり人間にゆだねられている責任、万物の王者としての偉大な天命だと思います。
資源を乱獲して、結果的に枯渇してしまったりするようなこと(今は随所に見られますが)は避けるべきだと考えます。
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この回答へのお礼

>新しいものを作り出そうとする機運、時代も彼を後押ししたと思います

その通りだと思います。

彼は若いころ、水道から出る水を見て、モノがこのように豊富にあったら幸せだろう、
と思ったといいます。当時はモノのない時代でしたので、夢中になってモノ作りに徹し
たのでしょう。
また、彼は自分は運がいいとも言っていますし、その通りだったと思います。時代に乗
ったというのは、間違いないでしょう。

しかし、PHP研究所などを作り、文化的な仕事も早々に始めています。惜しむらくは、
若い時に時間を作り学問をやるべきではなかったかということです。
そうすれば、文化的事業もより大きな成果があったのでは、と思います。

文明が限界を迎えているという厳しい指摘は、すでに30~40年前からありますが、今だ
に世界経済は資源の消費に頼っています。先進国は加速している感すらあります。
資源の奪い合いは昔からで、今後し烈になるはずです。海の中のプラごみの問題、昆虫が
激減している問題等、深刻な問題は、あまり語られませんし、当然効果的に行動されてい
ないと思います。

つまり、私益よりも公益のことを考え、行動する人が激減したということだと思います。
その上に、そういうことを言う人を「責める」空気さえあると、私は自分の生きている
現実の中で強く感じています。

既得権を守ろうとする人間の力は強いです、これも経験から言えます。理想を持った若者も
地位やら財産やらを手にすると、保守的になるものです。
だから、結局世の中は、変わらないものなのだと思います。

この話の結論として、世の中を憂いている人がいたならば、四の五の言う前に行動したらい
いんです。行動してから四の五の言えばいい。

少々とりとめのない話になりました。

お礼日時:2019/04/05 11:17

当たり前のことを言っているだけに思えるかも知れませんが、


 ↑
キリスト教ヒューマニズムの影響を受けて
いますね。




私には彼の
長い人生経験の結論として、大変に深みを感じる言葉です。
 ↑
心構えとして受け取るべきでしょう。

鳥に道など無いし、魚の道もありません。
本能に従って同じ航路を行き来しているだけです。

同じように、人間にも道など無いのです。
無意味に生き、無意味に死んで行くだけが
人間の道です。

道が欲しければ自分で創るしかありません。

氏もそういうことを言っているのだと
解釈します。

人間は偉大だ。
偉大なんだから、それに相応しい人生を
歩め。
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この回答へのお礼

>キリスト教ヒューマニズムの影響を受けていますね

松下幸之助は、ご存知のように小学校を出ておらず、本というものをほとんど
読んでおらず、「学問的知識はほとんどない」、と言っています。

ですから、そういうことではなくて、現実から学び取ったものであると思います。

学問の理屈は検証する必要があります。人生というものは学問では取り扱えないも
のですから、現実から学び取るものと言えましょう。それは、ある意味、現実での
検証済みと言えると思います。

その中で、鳥の飛ぶ道(生き方)、魚の通る道(生き方)を感じ取るのと同じように、人
間の生き方というか「道理」を感じ取り、それを長い間自分の中で検証をし、信念と
して結実させてきたのが、彼のような「叩き上げ」の人間たちの人生哲学だったと思
います。

大前研一氏が駆け出しのころ、幸之助氏の顧問をしたことがあったそうで、その時の
ことをこう言っています。
「お金をもらって顧問をしたのだけれど、逆に経営というものを教えていただいた」と。

あなたが言っている「道」とは、その人の生きた足跡としての「人生」のことですね?
私が言おうとしていることは「道理」のことです。

幸之助氏は、人間は一人では生きてゆけない、人と関わりがあるものだ、また万物とも
関わりがある、その道理を見よ、そう言っていることは明らかだと思います。

お礼日時:2019/04/05 10:26

知性的にいきましょうよ」←知性的なら 他人に聞かずとも理解しないと いけない事なのだが・・?

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この回答へのお礼

他人の意見を聞かない人は、大抵独善家です。知性的でないですね。

お礼日時:2019/04/05 09:56

>知性的にいきましょうよ。



知性とは何ですか?
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この回答へのお礼

私は、私の疑問について一緒に考えてくださいとお願いしているわけです。
質問を立てるというのは、そういうことだと思います。

例えば、そこに立てる人が、知性のある人だと思います。

お礼日時:2019/04/05 09:55

こう言うズバリの質問には立ち止まって一案する。


思うにそれは、平等とか、静けさとか、自由とか、言われるものだと思うが、改めて自分なりの語りで表現したいと思えば、それは諍いのない事だと思う。人と人の間の距離は、月と地球ほど離れる事はない。しかし求めごころを離れているので、その距離は天体間の距離以上の開きがある。故にその間にはイザコザが生じない。その想いは皮膚を通さずに触れることができるために、相手に痛みを与えない。人と人の間では言葉が通じる故に、いかなる障壁があろうとも問題にならない。

かかるような離れて通じる道が、人にはあるのだろうと。

哲学者にこの問いを問えば、答えは言葉となるだろう。人の道は言葉の上に成り立つ。しかし、空であるなら何処でも鳥は飛べるわけではないように、言葉を知ってるだけで人は道を歩けるわけではない。微細な、または大きな空気の塊や流れ、気圧や季節、地形や時間、そして強靭に進化した身体という条件が揃って初めて鳥は空に道を見出すことができる。魚も同じ。そうしなければ鳥であっても墜落し、魚であっても(水に)溺れるだろう。
人も同じである。言葉を有しているだけでは道は見出せない。言葉をぞんざいに扱っては自他を損ない赴くべきところではないところに人は赴く。

確かな道を見出すためには、苦しみを知らねばならない。(苦しみを体感するのではなく)
澄んだ眼と、聡い耳と、直き心によって道を見出さねばならない。余計な考えをやめて濁りを去り、矯めた心によって自由を知り、束縛を離れることによって核心に近づけ。

苦しみと言えば少し違和感をおぼえるかもしれない。ただ、苦しみを"知る"と言うところにポイントがあるのだと受け取っていただきたいと思います。いかがでしたでしょうか。文体については勢いを殺さない為に振った感がありますが、そこら辺はよしなに。。
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この回答へのお礼

哲学的な問いは時に強烈な懐疑を伴うものです。つまり、常識を疑うということですから
傍から見れば諍いやイザコザに見えることもあるでしょう。まして、文字だけのやり取り
ですからね。
そして、私は現代の常識をかなり疑っていますし、かなりストレートに表現してきたと思
っています。(それでも、かなり控えめです)

以前引用した野矢茂樹氏のラジオ番組を少し聞いてみましたが、彼はかなり言葉を選んで
しゃべっていたように思います。それでも、聞き手はラジオ番組であるにもかかわらず、
少々イラついたような場面があったように思いました。

哲学的な話というものは、そういう性質があると思いますよ。新しいものが世に出るとき
には、後に消えるにしても残るにしても、反発がありますよね。
それを仮に諍いとし、避けるべきだとすれば、保守的な進歩のない世界になるでしょう。
そして、人の争いというものが「地下化」し見えにくくなってゆくと思います。それは、
つまり、現代の様相です。

現代日本は「炎上社会」ですから、私とて現実には言えないことだらけです。ここで言っ
ているみたいにやったら、人間関係が一発で壊れることでしょう。

ここは、閉ざされた世界で、私も去っていった多くの人達と同じように、とうの昔に限界を
感じていましたが、キサラギさんをはじめ幾人かの話せる人がいたので、今までいたような
ものです。

確かに、ズバズバものを言いすぎたとは思っています(笑)。もう少し集中していれば良かっ
たのですが、仕事の合間に少し無理をしてやっていましたので、それも良くなかったかもし
れません。

ここの質問者が同じ質問を繰り返し、それをやめられない気持ちは分かりました。
ここの回答者が、ここにはアホやバカばかりだと愚痴る気持ちは分かりました。
タマに登場して、裁くカテ奉行の気持ちも分かりました。
また、同じ回答を繰り返す人の気持ちも分かりました。

いずれにしましても、「限界」の様相だと思います。ですから、ここが、良く変化することは
ないでしょう、このままでは。
ここだけではありません。日本社会のいたるところが同じ原理で限界に達していると思います。

どういう原理かと言えば、つまり「公益」を考えているような顔をして考えておらず、「私益」
ばかり追っているということです。
この点はとても重要だと思います。

お礼日時:2019/04/05 09:47

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