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科学的認識とは、自然現象を客観的に知ること、一定の枠組みをつくりあげ、いわばその枠組みを眼鏡とし、それを通して自然を見ることによって認識しますよね。
主観はいつも、認識すべきものを自分から切り離して目の前に立たせ、自分の枠組みの中にはめ込み、客観として仕立て上げることによって認識が行われます。
この主観客観関係が、すべての科学的認識の基盤と考えてよいでしょうか。

A 回答 (9件)

科学的認識とは、自然現象に付いてならば客観的に検証し、作り上げた一定の枠組みを眼鏡として見る事、と云えます。


ところが、主観はいつも認識すべきものを自分から切り離さずに目の前に立たせ、客観的に作り上げられた枠組みに捉われずに仕立て上げ、これを認識します。
この主観客観関係が、人間の認識と云う働きに複雑性をもたらします。

☆ これでどうでしょうか。
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この回答へのお礼

汽笛さん、そうです。
主観はいつも認識すべきものを自分から切り離さずに目の前に立たせます。客観的に見るという行為は、主観が、自分の領域(意識の領域)を跳び越えて客観物である外部の実在に達しなければならない。しかし、それは不可能です。
いわば私たちは、どう跳躍しようと、いつも意識の内部にいるのであり、その領域を超えて外部の実在に達することはできません。科学的な認識においても、そういった主観客観関係の齟齬があるのではないかと思い質問いたしました。

お礼日時:2019/04/16 06:26

> (シンギュラリティ)への関心が高まっています。



AI に詳しくない人ほど、シンギュラリティと大騒ぎして、AI の専門的知識がある人ほど冷静であるという皮肉。
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この回答へのお礼

なぜ、AIの専門知識のある人は冷静でいられるんですか?

お礼日時:2019/04/15 23:44

> ゲノム編集されたものは突然変異という形で自然界にも存在する、という見解によって進められているようですが、それは自然界の長いサイクルの中で起こってきたもの。

人為的に操作することの危険性は計り知れないと思います。

話が脱線していますけれど。

まずは自然科学と、工学技術(結果が出れば良し)との立場が違う事を認識した上で、論点を絞るべきでしょう。

なお遺伝子組み換え食品は一般的には、生殖機能を殺した上で販売されます。
それは遺伝子組み換え植物が勝手に増えないように、という配慮から来ているのではなくて、毎年、種子を買わせる方が儲かるからです。

ただし遺伝子組み換え技術は、ある面では軍事利用されている技術でもあって、正直、中国なんか影で何しているか分からないです。
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この回答へのお礼

ゲノム編集とは工学技術ー自然の仕組みを取り入れて、社会のニーズに役立つ人工システムを作る、という分野なのですね。
農業に科学が応用されているということですね。今や様々な工学技術は私たちの生活にとって切り離せない恩恵となっています。そこにやはり私は危機感を持ってしまいます。
人工知能(AI)が人間の能力を超える技術的特異点(シンギュラリティ)への関心が高まっています。
AIが認識、客観化を行うのでしょうか。考えられません。

お礼日時:2019/04/15 22:20

私も、科学の勉強をしたことがなく無知なのですが、ちょうど主観・客観のことを勉強して


いたところでしたので、意見を述べてみます。

それにしても、ややこしい文章ですね。

自然の中から、観測できるものを定量化したもの、これを科学ではすでに客観的事実を構成
するものとしていると思います。
そして、仮説を立て、実験により証明されたものが、客観的事実=真実とするという、ルール
になっている、と。

簡単に言えば、「科学的認識」とは、こういうことなのではないかと。

また、観測できないもの、定量化できないものは、科学では認識できないということになります。
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この回答へのお礼

観測し、仮説を立て、実験により証明されたものが、客観的事実=真実とするというルールということですね。
つまり、人間の頭脳の中で考え、実験をかさね、数学などを駆使して再現性を求める。
ありのままに知るのではなく、やはり客観化しているのだと思いました。
ありがとうございました。

お礼日時:2019/04/15 21:45

自分の枠組みの中にはめ込み、と云うところが変です。

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この回答へのお礼

変ですか。やはり変ですね。そういう気がしてきました。
ありがとうございます。

お礼日時:2019/04/15 21:31

質問の・ここが知りたいというところが はっきりしないのですが。




1. 認識とは 知ることです。

2. 知る対象は 世界のすべてです。

2-1. 哲学は欲張りで 世界を超えた何ものかをも 問い求めよ
うとします。

3. 認識のあり方として 価値判断を抜きにした場合と価値判断を
ともなう場合とに分けることが出来ます。

3-1. 価値自由な――と言っても或るひとりの人間としておのれ
の価値観を持ちつつそれを禁欲しつつ・しかもなお全体としてのおの
が主観によって成すのですが その――認識は 科学的と言われます。

3-2. 科学的認識は 自然現象を対象とする自然科学と社会を対
象とする社会科学とがあります。

3-3. 世界のその対象について要素・要因に分解しそのあり方や
ウゴキをめぐって一般性や規則性(あるいは 普遍性・法則性)を捉
えて理論立てて行くのが 科学です。

3-4. 価値判断とは 対象についてその良し悪しを決めるという
認識行為です。主観によって異なるのですが 成るたけやはり一般性
のある価値観を問い求めます。共同主観=コモン・センス。

4. あらためて哲学は 広義のそれとして 価値自由な科学と価値
判断をともなう(または 倫理としての)科学とに分かれます。=3.

5. 客観というのは 対象をそのあるがままの姿で捉えることを言
います。そのとき得られている共同主観をさらに見きわめて つねに
客観へ近づけるよう科学は つとめます。

5-1. ただし実際には客観は 人間としてそれを知り得るという
前提のもとに仮定したものです。どこまで知り得ているかは 必ずし
も明確なわけではないと思われます。

5-2. 自然科学は 再現性で客観が保証されると言われます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
自然科学と社会科学における認識は違うことがわかりました。
ただ一点、自然科学は対象をそのあるがままの姿で捉える、それを客観という。
実際には客観は、人間としてそれを知り得るという前提のもとに仮定したものならば
決してありのままとは言えないのではないかとか、いろいろ思いました。

お礼日時:2019/04/15 21:29

> 自然現象は量的関係、そして因果関係という枠組みで把握する。

ということでしょうか。

うーん。枠組みにこだわっていますね。
文系も理系も関係なく、大事な事は『検証可能性』、最も大事な事は『再現性』です。

STAP 細胞のアホは、再現性が得られずに嘘がバレました。
経済学なんかではノーベル賞を取るような難解な理論であっても、現実世界で再現性が得られる事は稀です。
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この回答へのお礼

検証して再現するーこれはつまり、一度ではなく何度も同じことが起こる。その現象が偶然起こったものではなく、必然的に起こったことを確認する作業ですね。
ということは、科学的認識とはもともと主観が客観を認識する際、懐疑として捉え、それを検証再現していくことで払拭していく過程だと言えます。 
自然科学を応用した現代の科学技術はすべてこの方法に拠って立つものなのですね。
たとえば、今年になってゲノム編集された食材の流通ルールが決まりました。
遺伝子情報を切るというピンポイントで精度の高い方法だということで、近年、世界中で開発がすすめられ、第二の産業革命などとも言われていますが、生態系への影響は未知数だと思います。
いわば、生態系いわば自然への働きかけが一層積極的で露骨になると思います。
自然を挑発してそこから強引に力を引き出し、積極的に役立つものに仕立て上げ作りあげるからです。
ゲノム編集されたものは突然変異という形で自然界にも存在する、という見解によって進められているようですが、それは自然界の長いサイクルの中で起こってきたもの。人為的に操作することの危険性は計り知れないと思います。

お礼日時:2019/04/15 05:10

no.1さんはキャラドさんはわかってません科学とはこうですじゃああとはわかってくださいと谷に突き落とす面倒の少ない回答です。

問を掘って穴に落ちるのが面白いです。科学的認識に違和感感があります。認識って科学的だったりすることに違和感があります。チキンラーメン昨日の夜はうまかったけど今条件一緒なのに飽きてうまくないのが違和です。科学的認識はどんな文脈で出でてきますか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
科学的認識にこだわっていますが、今はこれを知りたいです。
>チキンラーメン昨日の夜はうまかったけど今条件一緒なのに飽きてうまくないのが違和です。
そういえばそうですね。

お礼日時:2019/04/15 04:44

質問文を読んで、あまり科学を勉強していない人が一所懸命に科学を表現しようと頑張っているけれど、まだ言葉遊びの感が、強く残っています。



自然科学の研究を進める上では、一般的には
 1. 何らかの自然現象を、(主に数式に基づいて)モデル化する
 2. そのモデルが妥当である事を実験により検証する
 3. その実験は、誰が何度繰り返しても再現性が得られる事を確認する
この三段階のステップを踏みます。しばしば順番は前後しますけれども。

あなたの書く『枠組み』が、単なる思考の世界に留まっていては、それは科学では無いのです。
事実に基づく検証が必用なのです。
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この回答へのお礼

そのとおりです。私は科学を勉強していません。
つまり、自然現象は量的関係、そして因果関係という枠組みで把握する。ということでしょうか。

お礼日時:2019/04/14 20:36

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