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愛媛県の歴史資料では、1084年に瀬戸内海の忽那島に突然現れていますけど、道真さんの関係者っすか
瀬戸内海の海上交通の安全を担う為に、大宰府天満宮から派遣された藤原氏の使者ですか

A 回答 (1件)

903年に亡くなった道真とは時代が200年近く違いますから関係ないでしょう。



「愛媛県史」には「配流されてこの島に来た」とあります。
http://www.i-manabi.jp/system/regionals/regional …

また「武家家伝 忽那氏」というサイトには藤原道長の後裔とあります。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kutuna_k.h …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
中臣鎌足(大化の改新)が亡くなった後に、その功績をたたえて藤原姓を承ったとあるので、道真さんの源流は、中臣鎌足ということのようですが、後裔=末裔 ということは子孫は途絶えたということですよね。? 藤原氏は五摂家の分立の頃には道真直系の藤原氏は衰退したいとありましたけど、それも数百年後の13世紀頃みたいですし、流し刑だとすると京からの配流ですよね。関わりのあったとされる忽那義範氏は、道真のひ孫みたいですが、いまも忽那諸島は、この藤原氏の土着系の人々の住まいが多そうなのですけど、何処の誰とも分からない者の意向で武家化しているのが不思議で・・。10世紀頃は単なる海賊だったのか?

お礼日時:2019/05/24 19:24

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