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(1)「物質には目的はない」という文章を、私はこのカテでよく目にしました。
学問的知識が少ない私にはよく理解できないのですが、これはどういう意味なの
でしょうか?

(2)「物質には目的がない」ゆえに、「人生にも目的はない」のである、という言
い回しを同じくらい目にしましたが、人生というものは自然科学で扱っていないも
のであるのに、その考え方を人生に当てはめるということは、あたかも、インチキ
占いで、人生の重要事を決めてしまうに等しいことだと思いますが、いかがでしょう
か?

(3)「人生の目的」というと、何か成功者になるとか社会貢献するとかいう高尚なも
のを連想してしまいがちだと思うのですが、それは、目的という概念を歪めてしまう
考え方で、例えば、「人気者になりたい」とか「他人を消費して気持ちよく生きてい
たい」とか「パソコンとポテチとコーラのある部屋で死ぬまでいたい」なども、目的
であるに違いないと思います。(これらの場合は、本人は目的をすり替えて意識してい
ることが多いと思います)

「目的」がない、ということは、人間にとってまずありえないことだと思います。
人間にとって「目的」とは、つまり、なんでしょう?

質問者からの補足コメント

  • №21のお礼欄 下から三行目 「目標」の文字が二つありますが、「目的」
    の間違いです。

    No.21の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/08/18 17:26

A 回答 (31件中1~10件)

生存というのは行きてないと人間存在できないから「生存」という訳です



大概はアイデンティティを持って存続します。しなければ一瞬存在して、パッと消える花火の様な

存在も多いのです。人間存在もアイデンティティを持って存続します

循環や出し入れで存在するほうが長く存在できるのです。

存在とは何か 分かりますか?私は私なりの定義を持っています。

兎に角存在していなければ人間の目的は達成されません そしてその目的とは存在することそのものなのです。

一度よく考えてみて下さい。夜寝て静養するのも、長生きするのも、子供を産んで育てるのも

存在を実現するためです。大変な労力を要します。

そして存在した上で目指す目的は多様なものですが 存在することを目的にしなければ滅びます。
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この回答へのお礼

哲学的な意味での「存在」という概念を、一歩深く理解しようと思います。

お礼日時:2019/08/25 10:31

曖昧な言葉で深く考え結論を出さないのが哲学なんですね。

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この回答へのお礼

さあ、どうでしょう。

お礼日時:2019/08/22 12:17

#27です。



硬いことを言うようですが、目的の定義を共有しないと必然的に食い違いが生じてしまうかも。
「目的」
・実現させようとしてめざす事柄。(明鏡国語辞典)
です。
つまり、自動詞に適用すると論理的に不整合が生じる。

>集団帰属意識

これがすべての誤謬の権化と常々感じているところです。
集団の可否を検証する以前に帰属してしまう。
社会的生物であることを思えば、そうした矛盾の中で我々は生きているのかもしれない。
この社会性という本能に対して、どのような方向から前頭葉が切り込んでいくのか、ということになるかと思います。

>我が国は太平洋戦争の時代に、多大な犠牲にひたすら耐え、「欲しがりません勝つ
までは」と、戦争に勝つことを目的にして、驚異的な団結をみせました。
ヒトラーの時代も、スターリンの時代も、民衆がそれを支持して作り上げてしまっ
たものと言えないでしょうか?

同意。
因みにですが、我々が戦争を反省するのは、ひょっとして「負けたから」じゃないですかね?
命の尊さ云々と言うが、勝っていればそんなことは歯牙にもかけられていなかったような気が。

>権力を握った者は、「民意を得ている」という思いがあり、これが人間を
大きく舞い上がらせてしまう

なのでしょう。
しかし、たしかに「民意」を得ているわけですし、また、民意を得た時点ですでに終わっていると思います。
実際に、真理よりも目の前の人参しか目に入らないと(選挙による選択で)公言している民衆に対して、それなりの政府しか成立しないのは理の当然かと。

>安倍政権が、わけのわからないことをし続けている(私の意見ですが)のも、それが
原因であり、それがゆえに、山本T郎はヒトラーになりうるとも思うのです(笑)

安倍ちゃんも自分は絶対間違っていない、と信じているのでしょうね。
ただ、「間違っている、いない」の定義が極めて恣意的である点に気づいていないため、「人柄が信用できない」の意味もおそらく理解できていないはず。
自らの施策によって利する人ではなく、害される影響を受ける側の視点に立つことがまったくできない、ということが問題なのですが。
端的な例として、たとえばモリカケ問題がなおざりの状態で放置され続けていることなども、あらゆる方面で国民の思考をマイナスに作用させる原動力となっていると私は確信しています。
令和は過去に類を見ない凶悪・不可解な事件、事故が多発する時代となるのは間違いありません。
愁眉を開くにも多大なエネルギーが必要とされますので、太郎ちゃんが反動的にヒトラーになる可能性、なきにしもあらずでしょうね。
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この回答へのお礼

「AIなどの高い科学技術による、合理的で快適・清潔な社会の現出」の「現出」
という言葉が余計だったということですね?

>集団帰属意識 これがすべての誤謬の権化と常々感じているところです

なるほど、そうでしたか。

大衆は「愚」でもあります。それは、仰るように属する集団が支持をする、宗教・
哲学・思想等の高低・浅深を検証しないで従ってしまうからです。

この本能的なところにどう斬り込んでゆくか?

集団において、あらゆるものを決定するものは、民主主義体制においては「民衆」
です。
結局は、その主人である民衆に啓蒙してゆくしかないのでしょう。私には私の正義
がありますし、hakobuluさんにはhakobuluさんの、安倍ちゃんには安倍ちゃんの
太郎ちゃんには太郎ちゃんの正義があります。

この五年十年で、民衆が何を支持するようになるか?というところでしょうか。

お礼日時:2019/08/20 23:43

大抵の場合目的は不安定な状態から安定した状態になったり


通常の状態からなんらかの作用で変異することです

そう考えると、ほとんどの物質は(化学的に)酸化したり
分解・拡散することが目的だと考えられます。
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この回答へのお礼

>ほとんどの物質は(化学的に)酸化したり分解・拡散することが目的だと考えられます

なるほど。

お礼日時:2019/08/20 23:04

人間の目的は存在することです。

それを前提だと仰いますが、それがかなわない人が世界中にいるのです

老いた人、病気の人、産み出す人、極貧の人、危険な仕事をしてる人、死刑囚に聞いてみて下さい

存在することがいかに貴重なことで そのために全力を尽くしているか。

分かると思います。 存在することが前提と言うのは如何に我々恵まれてるかと言う事です。
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この回答へのお礼

「存在すること」ではなくて、「生存すること、存続すること」ということであれば、
納得できます。

いや、しかし、もっと深い意味を考えた時に、そういうことになるかも知れない、と
思いました。

お礼日時:2019/08/20 16:30

#24です。



>その目的は個々で自由に選択できるわけですから、「神」の目的では
なくて、個々の人間の目的であると言える、と。
>人間の目的が自由であるということは、目的の内容は個々の人間の希望・
願望ということになりましょう。

そういうことでしたら全く異論はありません。
『人間にとっての目的』ではなく『個々の人間の目的』なら、意味が違ってきますので。
『「目的」という言葉の捉え方の違い』にすぎなかったようですが、少し頑なに応じてしまったのかも。

>そして、それは本人の歪んだ欲望に突き動かされて行ったものであり、それ
を「真実であると思い込んでやった」などということではないと思いますよ。

ここは異論を唱えておきます。
時系列で変容していくのが実際のところだと思うのですが、最初は誰も自分が絶対に正しい良いことをしているのだと信じ込んでいるものです。
だからこそ、あれだけのエネルギーも醸成できる。
『歪んだ(欲望)』などとは露ほども思っていないはず。
後々権力欲が芽生えてしまい強引な手法をとるようになる、ということはあるかもしれませんが、それを『歪んだ欲望』と捉えてしまうと誤謬につながりやすいという気がします。
それはあくまで客観的な視点なわけですが、(腐っても鯛、じゃありませんが)歪んでも真理といった主観的な認識は本人たちにあったろうと思うわけです。
これは、我々も陥りそうな認識じゃないですかね。
『歪んだ欲望』と一蹴してしまうと本質から遠ざかってしまうかと。
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この回答へのお礼

「個々の人間にとっての目的」と「人間にとっての目的」ということについて、
私の中で腑に落ちないものを感じたので、少し考えてみました。

「個々の人間にとっての目的」が、民主主義で自由であるはずの現代においても、
ある一定の方向へ誘導され、国家、集団の目的がどうしても形成される、という
ことは避けられないものであるということです。

これが、「時代」というやつで、集団帰属意識のある人間にとっては、どうして
も自然に出来上がってしまうものだと思います。
現代日本では、「AIなどの高い科学技術による、合理的で快適・清潔な社会の現出」
という、やや漠然としたものであるにせよ、多くの人が共有した「目的」になって
いると思います。私はこれに必ずしも賛成していませんが…

我が国は太平洋戦争の時代に、多大な犠牲にひたすら耐え、「欲しがりません勝つ
までは」と、戦争に勝つことを目的にして、驚異的な団結をみせました。

ヒトラーの時代も、スターリンの時代も、民衆がそれを支持して作り上げてしまっ
たものと言えないでしょうか?

人間とは、少し人気があるだけで思いあがってしまう愚かな部分を持っているのは
間違いないでしょう。
あるアイドルグループのメンバーが、人気絶頂の頃は自分たちが日本を動かしてい
る、と、真剣に思っていたと言っています。

まして、権力を握った者は、「民意を得ている」という思いがあり、これが人間を
大きく舞い上がらせてしまうものなのだろうと思うわけです。経験のない者にとっ
ては推測の域を出ないのですが、これが、権力の魔性の原因ではなかろうかと思う
のです。

阿部政権が、わけのわからないことをし続けている(私の意見ですが)のも、それが
原因であり、それがゆえに、山本T郎はヒトラーになりうるとも思うのです(笑)。

お礼日時:2019/08/20 16:16

ニャンポコリンさんの他の方の回答へのお礼を読んで、



目的は変化していい柔軟性のあるもので良いなら、
ちょっと前の自分と現在の自分とちょっと未来の自分を
つなぐ、「自律」の理由なのかな

ないと不自由みたいです
大したものでない妥協的なものであっても。

はっきりしてると迷いがないぶん
楽なのではと思いました
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この回答へのお礼

>ちょっと前の自分と現在の自分とちょっと未来の自分をつなぐ、
「自律」の理由なのかな

素敵な表現ですね。

お礼日時:2019/08/18 23:11

ひとの回答に相乗りして発言するのも哲学掲示板では0kでしょうか。



no24ハコさんの最終段落に激しく同意。
ニャンさんの思想には危険を感じるんですよ私も。

力不足でいままで私が言えなかった事がズバリ書いてある。

ちょっと怖いなー、と。
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この回答へのお礼

>ひとの回答に相乗りして発言するのも哲学掲示板では0kでしょうか

NGとは言いませんが、いい感じはしないですね。

>ニャンさんの思想には危険を感じるんですよ

結論が出たようで…
では、失礼。

お礼日時:2019/08/18 23:02

#20です。



>それが何かはともかく、生まれたことが必然であるならば(理由が
あるならば)、生きる理由もある、つまり、目的がある、言えないでしょうか?

おっしゃることはよくわかります。
しかし、その論理でいくなら、あくまで「(たとえば)宇宙摂理にとっての目的」ということになりませんか。
『人間にとっての目的』じゃないでしょう。

『何らかの因によって生まれてきた』のはそのとおりと同意できます。
ただ、その場合、生きていること自体が目的になるはずですし、実際、そうとしか言いようがないと思いますけどね。

>「目的」と考えてしまうと誤謬につながりやすい気がしますね
⇒どういうことを危惧されているのでしょうか?

「目的」
実現させようとしてめざす事柄。(明鏡国語辞典)

自らの希望・願望にすぎないものを、「人間が実現させようとしてめざすべき事柄」であるという勘違いが生じるのではないか、という危惧です。
危惧と言うより、実際にそうでしょう。
ヒトラーはユダヤ民族を殲滅することが『人間として、実現させようとしてめざすべき事柄』だと信じ込んでいたはずです。
つまり、(人間としての目的なのだから)一個人の勝手な希望や願望ではなく真理だと信じ込んでいた。
何を真理と捉えるかは、良きにつけ悪しきにつけ、極めて重大な結果を招来するように思います。
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この回答へのお礼

個々の人間の生まれつきは、時に大きく違います。違うということは、
それは、個々の因果に因っているということになると思います。

つまり、「宇宙の摂理」に則った、個々の因果に因って生まれ、数十年の
人生を得て、開くことができた、と。

『生まれたことが必然であるならば(理由が あるならば)、生きる理由もあ
る、つまり、目的がある。』

と述べましたが、これは、「絶対神によって目的を与えられた」的な意味
合いではなく、生まれたことに理由があるならば、生きる理由・目的があ
っても矛盾はないだろう、といった意味です。

『生まれたことが必然であるならば(理由が あるならば)、生きる理由も目
的もありうる』と言い換えたほうがいいかも知れません。
で、その目的は個々で自由に選択できるわけですから、「神」の目的では
なくて、個々の人間の目的であると言える、と。

目的がないとすることはむしろ不自然ではないかということでもあります。

人間の目的が自由であるということは、目的の内容は個々の人間の希望・
願望ということになりましょう。

ヒトラーがユダヤ人を虐殺したのも、スターリンが1000万人の同胞を粛清
したのも、本人の希望・願望・欲望と言っていいでしょう。
そして、それは本人の歪んだ欲望に突き動かされて行ったものであり、それ
を「真実であると思い込んでやった」などということではないと思いますよ。

彼らとて、国家のトップに上り詰めた人間ですから、高い教養も知能もあっ
たはずですから。恐るべきは権力の魔性だと思います。

>何を真理と捉えるかは、良きにつけ悪しきにつけ、極めて重大な結果を招来
するように思います

これは、全く仰る通りかと。

しかし、思想・表現・信教は自由であります。これを管理するべきだという考
え方が私はひそかに生まれてきていると思います。が、それはまた別問題とい
うことで。

お礼日時:2019/08/18 23:00

なるほど。

了解しました。

---

>「目的」を辞書で引きますと、

なぜ辞書からの出典を拠り所とするのかな、と私は常々思っています。
実際の現場では、言葉の意味は相手がどう使っているのか分からないのだから。

数学とかの形式科学においては、扱う概念はすべて現実世界とは分離可能な抽象的なものだから厳密化が可能ですが、自然言語、特に日常語では「あそび」が大きすぎてあまりガツガツ掘り下げてもその論理展開の堅牢性に説得力がないと感じます。あるいはもしかして、なにか確定的な結論を得たいのではなく、考える過程に意味を見出しているという事でしょうか。ならば余計な心配だったかも。

これって質問本題とは関係ない話かもしれませんが、私には重要な事に思えるので書きました。
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この回答へのお礼

>実際の現場では、言葉の意味は相手がどう使っているのか分からないのだから

だからです。時に、言葉の意味を勘違いしている場合もあるから、できるだけ食
い違いを避けたいがために、私はよく辞書を引用します。

私が興味をもって質問する、今回のような問題について、このカテで即確定的な
結論が得られるとは期待していません。
難しい問題ですからね。

これまでの経験ですと、対話することに価値があったと思います。議論議論した
ものではなくて。

お礼日時:2019/08/18 22:06
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