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(1)「物質には目的はない」という文章を、私はこのカテでよく目にしました。
学問的知識が少ない私にはよく理解できないのですが、これはどういう意味なの
でしょうか?

(2)「物質には目的がない」ゆえに、「人生にも目的はない」のである、という言
い回しを同じくらい目にしましたが、人生というものは自然科学で扱っていないも
のであるのに、その考え方を人生に当てはめるということは、あたかも、インチキ
占いで、人生の重要事を決めてしまうに等しいことだと思いますが、いかがでしょう
か?

(3)「人生の目的」というと、何か成功者になるとか社会貢献するとかいう高尚なも
のを連想してしまいがちだと思うのですが、それは、目的という概念を歪めてしまう
考え方で、例えば、「人気者になりたい」とか「他人を消費して気持ちよく生きてい
たい」とか「パソコンとポテチとコーラのある部屋で死ぬまでいたい」なども、目的
であるに違いないと思います。(これらの場合は、本人は目的をすり替えて意識してい
ることが多いと思います)

「目的」がない、ということは、人間にとってまずありえないことだと思います。
人間にとって「目的」とは、つまり、なんでしょう?

質問者からの補足コメント

  • №21のお礼欄 下から三行目 「目標」の文字が二つありますが、「目的」
    の間違いです。

    No.21の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/08/18 17:26

A 回答 (31件中11~20件)

だらだら追記ごめんなさい。



人は人、なので、いちいち自分のものの見方の枠組みでいちいち感想をいうのは粋ではなかったかもしれませんね。

わたしがあなた方を奇妙に思えるのと同様にその逆もあるのですね。
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この回答へのお礼

色々言った後に、その結論はいかがなものですかね。

人を何だと思っているのか、と思うし、やや自虐的にも見える。

粋じゃない、というより、品がないと思う。

お礼日時:2019/08/18 12:35

こそばゆいお褒めの言葉、年寄りを舞い上がらせてしまいますので、罪ですよ。



散逸構造と無目的に関して、以下のブログ『神様とロボット』2013-02-08 に詳細が書いてありますので参考にしてください。

https://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-114666 …

蛇足ですが、理系の内容を優しく説明できないって、それって理系ということと矛盾しているんですよ。理系で述べられていることは文系で述べられていることより桁違いに信用がおけることに同意しない人はいないんじゃないですか。

なぜ、理系で述べられていることが信用できるんでしょうか。それは、理系で述べられていることって全部が全部コロンブスの卵だからです。それが分かる前は誰にも解らないなかったけど、一度解ってしまったら誰が見ても当たり前だからです。私の経験では理系の人間は文系の人間よりもはるかに疑り深いです。だから、どんなに論理的に言っているように見えても、それがめちゃくちゃに説明できない限り、誰も信用しません。

文系の人の説明って、論理が込み入っていて何を言っているんだかわかりません。だから、信用ができない。一見理系の説明が難しそうに見えるのは、普段聞きなれない言葉が使われてしまっているからです。要するに、フランス語を知らない人にフランス語で話しているようなものです。でも、フランスじゃ子供でもフランス語が分かる。それと同じで、その言葉の意味が判ったら、理系の言っていることって、めちゃくちゃに易しいことなんですよ。だから、理系の言っていることは信用がでいるのです。
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この回答へのお礼

ブログは後でじっくり読んでみます。いや、そう簡単には理解できないです。

理系で述べられていることが「コロンブスの卵」であるということは、内容が
記号で示されているので、なぬ?と思うようなことでも、すっきりと割り切れ
ていて、ゆえに信頼できるということでしょうか?

確かに、文系で述べられていることは、言葉ですし、文章ですから、正直言って
読んでみても、分かったような分からないようなことが多いです。

論理のプロである先生ですら、

>文系の人の説明って、論理が込み入っていて何を言っているんだかわかりません

と、仰るくらいですから、論理学の知識がほとんどない私などにとっては、「妥協
して理解」している場合が多いですね。

私自身の書く文章も、分かりにくいんだろうと勿論思います。

割り切れることだけ言っていれば、信頼を得られるだろうし、自分も気持ちいいの
でしょうが、私の興味のあることはご存知のようにややこしいものですから、悩ま
しいところなのです。
まあ、ここでは、表現の練習をしているといっていいですね。

文系、まして哲学・宗教の分野になりますと、悪意があればどんな理論もつくれる
と言っていいと思います。世の中詭弁がこれほど蔓延している時代もかつてなかっ
たろうと思うほどいい加減な言論は多いと思います。

悪意がなくとも、例えば学者でも、書く文章に非論理的な部分が多々あると指摘す
る人がいます。
まして、非(エセ)学者の言うことには気をつけなくてはなりません。

お礼日時:2019/08/18 13:25

#13に誤植がありました。


上から11行目辺り、

それがめちゃくちゃに説明できない限り

=>

それがめちゃくちゃに込み入っていて、誰にでも分かるように簡単に説系できていない限り

と読んでください。
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(1)「物質には目的はない」という文章を、私はこのカテでよく目にしました。


学問的知識が少ない私にはよく理解できないのですが、これはどういう意味なの
でしょうか?
 ↑
物質に主体性はありませんから、その意味での
目的もあり得ません。
神が与えた目的はあるかもしれませんが、
神が死んだ現在、それも無意味です。




(2)「物質には目的がない」ゆえに、「人生にも目的はない」のである、という言
い回しを同じくらい目にしましたが、人生というものは自然科学で扱っていないも
のであるのに、その考え方を人生に当てはめるということは、あたかも、インチキ
占いで、人生の重要事を決めてしまうに等しいことだと思いますが、いかがでしょう
か?
 ↑
人生だって自然科学で取り扱い可能ですよ。
脳科学からいって、幸福とは、とか
幸せホルモンの研究とか、
DNA解析による将来性とかなんてのは
実用段階に入っています。





(3)「人生の目的」というと、何か成功者になるとか社会貢献するとかいう高尚なも
のを連想してしまいがちだと思うのですが、それは、目的という概念を歪めてしまう
考え方で、例えば、「人気者になりたい」とか「他人を消費して気持ちよく生きてい
たい」とか「パソコンとポテチとコーラのある部屋で死ぬまでいたい」なども、目的
であるに違いないと思います。(これらの場合は、本人は目的をすり替えて意識してい
ることが多いと思います)
  ↑
目的、というのはもっと意欲的、主体的なモノを
意味するのではないですか。
コーラ云々はただの希望でしょう。



「目的」がない、ということは、人間にとってまずありえないことだと思います。
  ↑
希望、願望はあるでしょうが、目的のない
人生などいくらもありますよ。



人間にとって「目的」とは、つまり、なんでしょう?
  ↑
昔、神様の力が強かった時代では、それは神が決める
ことで、人間はそれを探求する、黙って従うことでした。

しかし、神が死んだ現在、そんなものが欲しければ自分で
創造するしかありません。
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この回答へのお礼

(1)主体性がないから目的はない、なるほど。後は、散逸構造の勉強を少ししようと
思います。

天地創造の神は死んだと言えると思いますが、神は死んでいないと思います。簡単
に言えば、人間は何か偉大な摂理を今も感じていて、現代人はそれをAIなどの科学
技術に重ね合わせ、そこに神を見ていると思います。

(2)脳内ホルモンが多幸感をもたらしていることが分かり、それを人工的に調整しよ
うという実験段階にあるに過ぎないのではないでしょうか?
幸福とか人生って、一人ひとり違う部分があって、それを科学的にひとまとめにしよ
うというのは、人間の傲慢であって、間違いだと思います。

(3)これらのことを、あえて目的と申し上げたのは、こういうことが事実の上で目的に
なってしまっているケースが少なくないと思ったからです。依存症、といってもいいか
もしれません。

お礼日時:2019/08/18 13:57

スケール感と言うのがあるかなと。


例えば市井の平凡な一人間に、何兆円と言う財がもたらされても、彼はそれを有効に利用も出来なければ、器にそぐわないために破滅さえしてしまう。
しかし、天下や国家、人類社会などを意識していて、実際にもそんなスケールの大きな精神を持っている人間に、同じ額の財がもたらされたなら、彼はそれを利用する事が出来る。彼の器や知識、技能、ポジション、使命感に見合っているからです。

で、目的にもスケール感ってのがあって、自分自身、個人のしあわせと言うのが等身大で相応しい人もいれば、出会う範囲の人々のしあわせを願って生きるのが等身大の人もいる。人類の目的の希求こそ相応しいと言う様なでかい人物もいる。
もしこれが宇宙の目的の実現こそ希求するところだと言う様な者がいるなら、彼はもう人間じゃない。
妄想や空想でなく、実際にそんなスケールの精神を持てたとしたなら、一言、二言話しただけで、彼が只者でない事は知れ渡るだろうと思います。

自分の精神のスケールに見合った目的を意識できる事が大事で、もし大志を抱いてもそれに相応しい生き方をできなければ、自己証明が出来ず、結局は自身を凡人、或いは愚者であったと評さざるを得ない。いや、本物の大志を抱いたならその人の人生もまた当然にそれに相応しいものとなると思う。

一方でスケールのでかい人は世間や他の人の声は聴いても、その風評に動じない。見ている先の世界の次元(スケール)が違うから。

でも、人間てどこか、自分が大事でありながらも、周囲の人とか、さらには社会のことまでも、薄くではあるが大事に思ってるもんだとも思うんです。

だから、スケール感も大小に遷移しつつ、その時点時点の目的に叶った生き方をするのが自然なのかなと思います。
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この回答へのお礼

「器」という言葉を使うと差別的に感ずる人は間違いなくいるでしょうから、
「スケール感」という言葉はいいですね。

教育の影響もあるでしょうけれど、生まれついての違いが大きいであろうとい
う風にこれまで見てきました。

例えば、織田信長のようなどでかいスケールの人間が活躍している時代にも、
戦で田畑を荒らされても、コツコツと米を作った農民もいたし、安い単価で刀
を作っていた職人もいたわけです。

二次元空間的なスケールの大小は、間違いなくあると思います。そして、いつ
の時代もそれでもって人を位置づけをするから、ピラミッドになると思うんで
す。で、それは差別的で私は嫌いですし、本質的に間違いだと思います。

それは、三次元的スケールである「浅深」というものがあると思うからです。
また、人をまとめるスケールの大小、人を愛するスケールの大小、人を楽しませ
るスケールの大小など、いくつもの基準がありうるのではないかと思います。
いくつもの大きさを持つ人もいるでしょうし、どうしようもない人もいるかも知
れません。

>人間てどこか、自分が大事でありながらも、周囲の人とか、さらには社会のこ
とまでも、薄くではあるが大事に思ってるもんだとも思うんです

仰る通りだと思います。そして、「社会のため」という目的観を明確にした場合
、人は活き活きと自分を発揮できるようになり、平等になると思うのです。

平等とはいっても、能力の高い人間に対する敬意と、能力が発揮できなくて戸惑
う人を助けてあげようという心を含めた平等ですが…

そのような社会は、ピラミッドではなく、球体と表現できるでしょう。

キサラギさんの回答にはいつも刺激されます。刺激を受けて、俄かに考えをまと
めてみました。

お礼日時:2019/08/18 14:52

にゃんぽこさん、こんばんは。


人類としての大きな目的は、子孫を残すことでしょう。
しかし、生きていくということは、人によって
千差万別で多様性があり、
一概に定義できないところがあると思います。

「人気者になりたい」とか
「他人を消費して気持ちよく生きていたい」とか
「パソコンとポテチとコーラのある部屋で死ぬまでいたい」なんかは
単なる欲求や願望で、目的とは違うような気がしますね。
特にポテチとコーラはだめですよ。体を悪くします。

多様性はあるものの、生きるという姿勢を後押しするもの。
将来の目標として、それに向かって歩んでいくべきもの。
それが人間にとっての「目的」ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

>人類としての大きな目的は、子孫を残すことでしょう

なるほど。

№15のお礼欄にも少し書きましたが…

私はサラリーマン時代に多くの人と酒を酌み交わしました。(酒が大好きだったものですから)
会社からの評価が「中の上」以上の人は、楽しそうに仕事の話をします。しかし、会社からの
評価が高くない人は、100%愚痴が出ました。悲しいことですが。

で、そういう人たちは仕事に対する目標を捨てていました。仕事がすべてではないにしても、
会社員として人生の目標において仕事を外すということはいかがなものでしょうか?

実際に記憶している話では、女遊びが楽しくて、そのために俺は仕事をしている、と言う奴、
それから、土日にコーラとポテチを買い込んで終日ゲーム三昧をする、そのために俺は生き
ているのだと豪語する奴、仕事が終わって飲む一杯のビールのために俺は生きているんだと
真顔でしかも寂しげに言う奴、等々。

うんうんと聞いていると、まあよくしゃべるんですな、独特の理論を。
目標を見失って戸惑っているのではなく、その独特の理論で自分を納得させているように見
えて、何とも悲しかったですね。

あ、なんか、つまらない話でしたか、ハハハ…

お礼日時:2019/08/18 15:16

物質にとっても人間にとってもまず第一の目的は「存在すること」です。



存在しないことには物質でも在りませんし、人間でも在りえません。

まず第一の目的は存在することです。

それから人間で言えば より確かに存在することや存続することです

存続しないと死んでしまい訳ですから 何も出来なくなります。

存続できた次には存在の充実です。より確かに存在するために豊かさや楽しさを求めます

子供を生み育てるのも自分の存在への意志を受け継いでくれる未来の人間を育てるのです。

兎に角物質も人間も目的は存在することです。
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この回答へのお礼

>物質にとっても人間にとってもまず第一の目的は「存在すること」です

存在性理論の柱ですね?

しかし、そうはいっても我々は気が付いたら生まれたのちに生きていたわけで、死ぬまで
(一往です)存在し続けるわけですから、存在は目的ではなく、あらゆることの「前提」と
言えると思います。

お礼日時:2019/08/18 15:24

no12です。



あなたから何故そういう反応が返ってきたのか理解できないので、
もう回答しないでくれという意味ではないと解釈してもう少し発言します。


>科学的に測定・検証できるものとは、この宇宙にあるものの内、測定できるもの、
>ということであるので、それが、宇宙の全体とは限らないし、それどころか、それ
>しか見ないということは真実を歪めることになる可能性すらあると思うからです。

測定検証出来ないなら永遠に議論だけが続くということです。
なるほどです。
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この回答へのお礼

>測定検証出来ないなら永遠に議論だけが続くということです

測定・検証できるものがすべてであると考える人とは、議論は適度と思うところで
お終いにします。
仕事をしなければなりませんし、やりたいことができなくなりますから。

お礼日時:2019/08/18 15:29

自らの意志で生まれてきたわけではないので、目的というものがあるはずはないでしょう。


仮にあるなら、〇〇を目的として生きたい、という希望・願望が単にあるだけかと。
「目的」と考えてしまうと誤謬につながりやすい気がしますね。
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この回答へのお礼

>自らの意志で生まれてきたわけではないので、目的というものがあるはずはないでしょう

人間は、脳から発しているであろう「意識」「意志」の上では、自ら望んで生まれてきたとは
思えません。
しかし、宇宙が「因果律」に貫かれているという前提に立てば、何らかの因によって生まれて
きたことになるでしょう。それが何かはともかく、生まれたことが必然であるならば(理由が
あるならば)、生きる理由もある、つまり、目的がある、言えないでしょうか?

「目的」という言葉の捉え方の違いはあるでしょう。

>「目的」と考えてしまうと誤謬につながりやすい気がしますね

どういうことを危惧されているのでしょうか?

お礼日時:2019/08/18 16:48

いちおう念の為。

。。

>測定・検証できるものがすべてであると考える人

それは私ではないですけどね。

no11の私の発言は
>科学的に測定、検証できないものをなぜそんなにいじくり回すのかな、と思うのです。
ですから。

----
最初の質問文の末尾については、
特に目的なく生きてる人って普通にそこらじゅうにいるなと私は感じているので、
>人間にとってまずありえないことだと思います。
っていうのが逆に不思議に見えます。

目的はみんなそれぞれでしょうけど、私はたとえば嫌なことを回避するのが目的です。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

>それは私ではないですけどね

あなたをそうだとは断定しておりません。

「目的」を辞書で引きますと、

『(哲)意志によってその実現が欲求され、行為の目標として行為を規定し、方向付けるもの』
とあります。これは、企業とか国家の目標とは違い、一人の人間の持つ目標という意味になる
と思います。
としますと、目的を持たない人間はあり得ないと思ったわけです。

お礼日時:2019/08/18 16:58

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