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今、大学で東洋思想の授業をとっています。
その中で「縁」という言葉が出てきました。私はその方面に予備知識がなく、縁というのは感覚でなんとなくは分かるのですが、はっきりと掴むことができません。
東洋思想の中できちんとした定義はないものでしょうか・・・?
袖触れ合うも他生の縁、とかいいますよね。
他生?多生?
それは「縁」と、どういう繋がりがあるのでしょうか?

A 回答 (4件)

袖振り合うも他生の縁



Even chance meetings are the result of karma.

今すれ違っただけの人でも、現世の前のいつか(他生)で深く関わったことのある人だったりするという考えですね。

輪廻転生とかカルマとか、そういった自分の意志だけで動かない何かが自分を包んでいることってあるのかもしれませんね。

参考URL:http://222.146.6.192/kojijyukugo/vo13.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございましたm(_ _)m
転生とかカルマを考え出すと途方もないですね。
とても不思議な感じがします。

お礼日時:2004/12/26 17:45

縁というのは仏教から来ています。



仏教では物事は因縁によって結果が生じると考えています。
因は内的な直接原因のことです。
縁は外的な間接原因のこです。

この縁の範囲はとても広いので、つながりはわかりにくけれど、めぐりめぐって物事の間に関わりがあるということです。

仏教的に言うと、あなたのこの質問にわたしがこうして回答してるのも何かの縁があったということです。
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この回答へのお礼

縁あって回答していただき、ありがとうございます。
それを考えると、本当に多くの人々に他生の私が関わってきているんですよね。
因のことも調べてみます^_^

お礼日時:2004/12/26 18:04

「縁」とはインド発祥の仏教の「縁起(縁って起こる)」の「縁る」です。



例えば「青色」という色は、他の赤色、黄色、緑、黒・・・に縁って成立しています。

もし、この宇宙の全てが青一色だったら、赤、黄色・・・が無くなるのは当然ですが、同時に「青色」も無くなってしまうんです。だって識別する必要がなくなるからです。そして「色」という概念も無くなってしまいます。
「縁」が無くなれば「起こる」ということも無くなってしまうということです。

つまり、この世の全てのものは、実体が在って孤立して、自力で存在しているのでは無く、相互依存関係で縁って成立しているので、これを「縁起(縁って起こる)」と言います。

原初的な縁起思想の基本は
・此あれば彼あり
・此生ずれば彼生ず
・此なければ彼なし
・此滅すれば彼滅す
ですから、定義するんであれば「相互依存」と言ったところではないでしょうか。


「袖触れ合うも他生の縁」についてですが、仏教は輪廻転生説がベースになってますので、輪廻説無くしては語れないので、袖を触れ合う程度の生起でも、前世からの何らかの因縁だと考えられたのだと思います。
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この回答へのお礼

わかりやすい回答ありがとうございます。
自分があるためには周りがなくてはならないということですね(縁起)。
仏教って奥が深いですね・・・

お礼日時:2004/12/26 17:54

 素人考えですが縁というのは不可知性の別の表現ではないかと思っています。

つまりその理由あるいは原因を追究しても最終的には分からないということです。ただ分からなかったということが分かったという事は、はじめから何も考えなかったのと同じではないと思います。西洋思想では「汝自身を知れ」がひとつの原則になっているかと思いますが、デカルトの『我思うゆえに我あり」は案外自己の不可知性のことを言っているのかとも思います。
 縁ということばは「汝自身は知り得ない」ということを意味していたとすればいわゆる東洋思想と西洋思想の間にある何かが良く示されているようにも思います。縁は「神性」に対する観念とも関係があると思います。
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この回答へのお礼

東洋だけの考え方だけじゃなかったんですね。
「不可知性」というのがまたわかりませんが、調べてみたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/26 18:11

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