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私の乏しい知識で質問させていただきます。

日本の戦争責任とは何ですか?

私の勉強したところ当時侵略は別に完全悪ではなく、国策の一つであったのだ

と思います。またそのころの日本のおかれていた立場はABCD包囲網によって、

石油の供給がスットプされたことや、大国のアジアへの進出などにより自衛のため

の戦争と言える一面もあったと考えます。そう考えると先の大戦の戦争責任は侵略

を進めた国々全てにあり、保証などは別にして先の大戦は教訓としてあまり責任と

いうもの問うべきではないと思います。

もう一つ極東国際軍事裁判によりA級戦犯とされた人たちをせめるならば戦争をは

じめた責任を問うべきではなく、ヘタな戦争をしてしまった責任を問うべきではな

いでしょうか?

デリケートな問題だと思いますがよろしくお願いします。

A 回答 (9件)

おっと、私の書き方がまずかったですね。


勿論、nakasi19さんのお考えは理解しているつもりです。
日本の、あるいは戦争をした国の戦争責任を問うことの無意味さをおっしゃってる
んですよね。私もそのお考えに同調し「誰が誰に責任を問えましょう? 」と書きました。

国家はそれ自体が独立した絶対価値であって、国家を弾劾したり裁いたりできる
権力はありません。
国家が国家に謝罪するなんてことは本来ありえません。
A国とB国が争った時、どちらが正しくどちらが悪い、などと審判できる法なり
国家はありません。どの国家もどの国家の上にたつことはできず、どの国家の下
に下がることもありません。
「あなたの国は良い事をしました」などと国家が国家を評したらそれは侮辱と
受け取られるでしょう。
同じように「あなたの国は悪い事をした」と罵るようなことはあってはならない
事です。
国家が戦争という政策をとっても、その政策を弾劾したり裁いたりする権利は
どの国にもありません。
その政策は侵略だ、と断ずる権利はどの国にもありません。
争いを解決するための唯一の方法は条約です。
「お前の国はうちの国に悪い事をした」と思うんだったら、そういう気持ちを条件
にした条約を結べばいいんです。
「こっちにも言い分はあるがこのままにもしておけない」と思えば、それに
あった条件の条約を結ぶだけで充分です。
条件と条件があったから条約を結んだわけです。補償はその条件の一種です。

戦争が違法でない以上戦争という政策を選び実行した責任なんてありません。
ところが、日本は国内に「日本の戦争責任を追及してもらおう」と考える人達が
いるから厄介です。
nakasi19さんのおっしゃるように歴史を教訓とすべきだと思います。
日本には戦争責任はない、というより世界のどの国にも戦争責任はない、
と考えねば戦争は教訓になりません。
戦争を善悪でとらえていては戦争は教訓になりません。
日本は悪い事をした、日本が侵略しなければ戦争にはならなかった、
と日本人が考えていては侵略・戦争を繰り返した世界の歴史を、
少なくとも日本人は教訓にする事はできないでしょう。

もちろん、戦争という政策を選び失敗した指導者達には日本国民に対して責任が
あるでしょう。へたな戦争をした、というか政策失敗の責任ですね。
しかしその指導者達は犯罪人の烙印をおされ、処刑または裁かれてしまいました。
日本人自身の手で、政策失敗の責任を追及できなかった事が後に大きく影響して
いると思います。
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masahumi-1さん


「天皇が最高責任者である」という前提になっておりますが、
この前提はどこからくるのでしょうか?

憲法とは、君主の権力を制限する、というより実際には無権力にしてしまうものです。
ですから国王と憲法・議会との衝突は立憲君主制の国では必ず起こっております。
「憲法停止、御親政」を自ら拒否した昭和天皇は極めて珍しい存在と思います。
2・26事件の時の事だったと思いますが、秩父宮の
「国家改造のため天皇大権の発動により、3年間憲法を停止し、議会を解散する」
とかいう進言を拒絶しています。
昭和天皇は明らかに憲法を停止する事ができたでしょうし、またそれを利用しようとした
軍部や、利用というより国のためにもそうして欲しい、と思った人達がいたようですが、
昭和天皇はそれをしませんでした。

明治22年に大日本帝国憲法が交付されましたが、昭和21年の新憲法まで明治憲法に
よる憲政を維持しました。憲政はなかなか根付かないという歴史の事実をみますと、
立憲君主制でこれほど長く憲政が維持されたのは奇跡に近く、それはとりもなおさず
昭和天皇が明治憲法を遵守したためと思われます。明治天皇が極めて憲法の遵守に拘
る人であり、昭和天皇はそれを引き継いだという事でしょうか。

明治憲法によれば、
・天皇は議会の決定に対して拒否権がない
・天皇は閣議の決定に対して拒否権がない
・すべての詔勅は、国務大臣の副署のないものは無効である
という事が書いてあります。
天皇が閣議に出席し、発言したという事実もないはずです。

御前会議とは「大本営政府連絡会議」の事でしょうが、これは当時の総理大臣である近
衛文麿が創ったものだったと思います。単なる連絡会議なのか、それとも閣議なのか、
と昭和天皇は西園寺公望に尋ね、西園寺は「質問」ぐらいの発言なら構わないでしょう、
と答えたそうですが、これを近衛文麿は怒って「閣議で決定した事の統帥部との合意を
単に御前で正式に決めるにすぎないから発言しないで欲しい」と言ったそうです。
天皇の前で決めた、というお墨付きを利用したかったんでしょう。
軍部の言う統帥権の干犯のせいでしょうか。
天皇の御前会議での発言が、記録として残っているのは2回だけだったはずです。
1回はご存知、終戦の「ご聖断」です。あと1回はごめんなさい、忘れました。

戦後、アメリカの新聞で天皇の戦争責任追及の世論が持ち上がったころは、アメリカ人
のほとんどは日本に憲法があった事を知らず、日本は天皇の独裁君主国家であり、
天皇を神と崇め、天皇が戦争をすると言ったから戦争を始め止めると言ったから止めた、
と思っていたようである事は当時のアメリカの新聞からわかります。

戦後のGHQの占領政策による言論統制・報道規制は、国民は軍指導部に騙されていた
という事を一生懸命国民に洗脳しようとしましたが、これに対し「冗談じゃない、うち
の息子は軍に騙されて死んだんじゃない、天皇のために死んだんだ」という声が国民の
間で起こりました。「天皇のために死んだんならお役にたった死だが、騙されて死んだ
といわれては息子が死んでも死にきれまい」という事です。
この辺の事情が今は曲げて伝えられているようですが・・・。

masahumi-1さんのおっしゃる「天皇の責任」が私にはよくわかりません。
私は敗戦の原因は、現在と同じく腐りきった当時の官僚にあると思っています。

>もうすぐ天皇の戦争責任を詳細に研究した本がでるらしい
今この時期にそんな本を出す事が非常に意図的ですよね。
なんで昭和天皇が生きているうちに追求しなかったんでしょうか?
亡くなって10年以上もたってから追求して何の意味があるのでしょう?
追求したいのは天皇じゃないでしょう。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。

私も本など読み、天皇大権がしばしば破られたということを知ったとき、天皇に戦

争の責任を押しつけるのはどうかと思いました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/08/25 21:17

9033さん、


>へたな戦争をした、というか政策失敗の責任ですね。
>しかしその指導者達は犯罪人の烙印をおされ、処刑または>裁かれてしまいました
って天皇は、裁かれてませんってば!最高責任者がその責任を取らなかったら、何の為に「御前会議」なるものが
開かれたのでしょうか?会社で言えば、常勤役員会。
言わば最高責任者で無い者が、唯一身に余る責任ある決断をしようとした時、伺いを立てて決断を上位者にゆだねる
そうすることによって、責任が上位にあるものへ移る。
最高位にある人も責任をとれない様だったら、その行動をおこさなければいいわけです。
御前会議の席上で、戦況を左右しそうないくつもの作戦会議が開かれ、日本の負け戦になったわけです。軍の上層部が勝手にやったわけではありません。報告、連絡、相談、
所謂組織で一番大事と一般にいわれていることが、軍でも
ちゃんと行なわれていたわけです。ならば最高責任者だけが戦後、平和主義者を名乗るのは、如何なものか。
案外、日本の政治家、企業トップ、官僚が皆無責任になったのは、これをお手本にしているのか?
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kawakawaさんのご回答が中立かつ冷静で、読んでてもおもしろく、感服しました。



戦争は外交政策ですから政策失敗の責任は自国民に対してのものでありこれは戦争責任
とは言いませんよね。戦争が違法であれば交戦国に対して責任がありましょうが、
ご存知のとうり戦争は違法ではありません。
戦争責任は第2次世界大戦の勝戦国が敗戦国を裁く為に創りだした概念です。
第2次世界大戦以降の戦争で戦争責任なんて概念は適用されていません。
個人と個人のトラブル、犯罪を治め裁く為の権力装置として警察や裁判所があります。
が、国家はそれ自体が独立した絶対価値であって、国家を弾劾したり裁いたりできる
権力はありません。東京裁判が無法無理やり裁いたのも個人であって国家ではありませ
ん。日本は講和条約によって東京裁判の判決による刑の執行を引き受けましたが、国と
しては判決や判決理由に縛られる根拠も必要もありません。

日本の戦争を考える際には白人国家の有色人種差別とそれに基ずく帝国主義・ブロック
経済を念頭に置く必要があります。日露戦争後、白人国家と真正面から戦ってこれに
勝つ有色人種国家日本の出現は欧米列強にとっては白人優越を覆す脅威となりました。
アメリカは日露戦争後すぐに対日戦略を考え排日移民へと進みます。
世界恐慌の為欧米は自国の植民地帝国内でのブロック経済に入ります。
日本の台湾・朝鮮統治は近代化に血道をあげ日本からの持ち出しばかりで欧米の持つ
植民地とはまったく事情が異なります。既に権益を持つ満州鉄道を基に馬賊が駆け回る
野っぱらである満州へ国家建設を目指すのは、ロシア革命を身近に見てその残虐性を
認識していた為、共産主義の南下を恐れたこともあります。ヨーロッパ諸国より出遅れ
た大陸への野心を持つアメリカは日本の大陸への影響力を排す為にも自国の不景気から
も日本からの宣戦を望み、排日、禁輸など締め付けを強化します。アメリカにけつを
かかれた蒋介石は自国民保護の為協定を結んだ上で進駐していた日本軍にせっせと
ちょっかいを出し、毛沢東は蒋介石と日本の衝突をたくらみます。戦線拡大による日本
軍の消耗を目指し、国共は手も組みます。日本はまんまとはまります。へたな戦争です。
が、共産勢力・ブロック経済・アメリカからの締め付けを考えると審判をくだせるのは
神のみではないでしょうか?
ハルノートを飲めないのは、共産勢力・ブロック経済です。もっとも、日本の宣戦を
望むアメリカが日本が承諾するような要求をするはずはありません。日本からの妥協案
はすべて蹴っています。アメリカは自国の国益を考えます。日本も自国の国益を考えま
す。国家の上にたつ権力はありません。
当時の日本の、日本人のおかれた状況、国際情勢を想像すると今の自分が生きる日本は
なんと幸せなことか。
もし白人による有色人種差別がなかったら、もし日本以外に有色人種による近代国家が
あったなら、日本の孤独な戦いはあるいは報われ、あるいは別の終幕をむかえたかもし
れません。
明治維新以降、近代化を目指す日本が武力を持って他国に行ったことはありません。
kawakawaさんのおっしゃるようにすべてが白人優越で動いていた国際社会でした。
世界が認めた日韓併合条約がいつの間にか侵略になりました。
欧米列強と同じ自国民保護の為の協定に基ずく進駐もいつの間にか侵略になりました。
代表政府のいない野っぱらに行った事もいつの間にか侵略になりました。
パリ不戦条約で、自衛などの正当な理由無く先に攻撃を仕掛けることが禁じられ、
東京裁判で日本がこれに違反したと非難されたとき、日本の翻訳団が 「先攻」とでも
訳すべきを「侵略」と誤訳しました。以来、aggression は「侵略」になりました。
「戦争責任は侵略を進めた国々全てにあり・」とおっしゃるが、フランスはベトナムを、
イギリスはインド・ミャンマー・マレーシアを、アメリカはハワイ・フィリピンを、
オランダはインドネシアを侵略している気はまったくなかったのではないでしょうか?
それが当たり前の時代だったのですから。誰が誰に責任を問えましょう?
「戦争責任」は自然の法則ではありません。政治上の概念です。
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この回答へのお礼

当時のことが詳細に書かれていてとても感服いたしました。

実は私も自分で打っていて「戦争責任は侵略を進めた国々全てにあり」という文は

どうかなとも思っていました。なんといえばいいのかわからないんですが、人類の

歴史上どこの国かわかりませんが、「侵略」なる戦争をはじめた国があり、それに

追随した国があり、それら戦争を違法としなかった歴史があります。それを棚にあ

げておいて日本ばかり(日本ばかりでなっかたらすいません)戦争責任を負うのは

おかしく、日本の戦争責任を言うのならば、全世界の歴史上の「侵略」といえる戦

争について責任を考えなければ公平ではない、しかしそんなことをしても意味はな

くそれならばそれら歴史を教訓とすればよいかなと思ったんです。

まだこれらについて知識も考え方もあやふやなのですいません。

お礼日時:2001/08/10 00:02

こんばんは。

何やらまたお呼び出しがかかったようで・・・
まず、ハルノートを日本が飲んでたら・・・ですが、形の上では日米両政府とも戦争回避の索を講じていたのはどうやら事実のようですから、日米開戦にはなりえなかったと考えるのが普通でしょうね。連合艦隊を率いて真珠湾を攻撃した山本五十六指令長官も、戦争が回避できたら機動部隊を撤収すると命じたらしいですから。当然、その場合は満州からも撤退してますから、オランダを初めとする石油の禁輸措置や国際的な非難などもかなり緩和されたのではないでしょうか?
但し、当時日独伊防御協定があったので、こちらの関連がどうなるでしょうね?歴史にタラレバはありませんが、戦争をせずに日本が生き残る道はあっただろうなというのが私の感想です。

太平洋戦争の原因であり、ハルノートの原因であり、ABCD包囲網の原因は、日本が軍事力で中国を侵略した事にあります。ですから、本来はこの時点での是非が問われるのが本当だろうと思います。実際、当初の軍部の計画は思わぬ抵抗に遭ってたちまち頓挫し、泥沼の戦線になっていったわけです。
大きな被害を出す前に撤退する手だってあったでしょうし、それ以前に、ロシアから日露戦争でもらった領土を維持することに徹底していればどこからも非難も受けることもなかったでしょう。
もののついでに、日中の戦端となった鉄道爆破事件、あれだって結局、派遣されていた関東軍の独断でやった謀略事件だったわけで、後日、天皇がそれを承認する詔勅を出しています。もしその時に「けしからん」という詔勅が出ていれば全てはひっくり返ってますよね。そしてその時に使われた数キログラムの爆薬がやがて泥沼の戦争になってその中で得た満州という植民地となり、これを手放すこと惜しみさらに兵力とお金をつぎ込み、それを世界中から指弾されABCD・・・日米開戦となっていくわけです。

日本が外国を侵略して獲得?した満州という植民地、それが日本にとって何だったのか?よく考えたいですね。

ついでに他の連合国はドイツ・イタリアと戦っており、中国が連合国の植民地・・・ってのも考えにくいですね。その意味で日本は侵略するには都合の良い立場であったわけです。まあそれが三国同盟の目的ですけど。

私が思うに、>多くの生命と金をかけ得た領土~は、そのお金や命の掛け方が問題だと思います。土木工事や開墾をするのにかけたわけじゃありません。よその国に勝手に攻めていってそこにいる人たちを殺し、家を奪い、追い出すためにかけたお金であり命なのです。使い方が間違ってませんかね?そういう事を指導した人たちの責任・・・というのが私の戦争の責任という事についての感想です。まあ、こんな考え方する人もいると思って頂ければ。(^^ゞ
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この回答へのお礼

一度ならず二度までもありがとうございました。

他の方の意見も読ませていただき本当に沢山の考え方があるのだなと思いました。

本当に詳しい説明でした。

お礼日時:2001/08/07 01:27

>そう考えると先の大戦の戦争責任は侵略


>を進めた国々全てにあり、保証などは別にして先の大戦は>教訓としてあまり責任と

ははぁ、これが中国のOKWebで書かれてたらいいんですけど、侵略した方の国で書かれていても、相手のあるこっちゃからねぇ。勝てば官軍、あるいは負け犬の遠吠え。何を言っても始まりません。まぁしかしえらい国に手を出してくれましたょ。このぶんじゃぁ孫子の代まで祟られる。

>ヘタな戦争をしてしまった責任を問うべきではな
>いでしょうか?

そうですよ!
1.天皇
2.財閥
1については、もうすぐ天皇の戦争責任を詳細に研究した本がでるらしい。
2は、一番うまく立ち回って責任逃れしたと私は思ってる。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。やはり勝てば官軍ですね。

お礼日時:2001/08/06 23:53

油やヒゲ(歯)をとる為だけにクジラを殺しまくっておいて、数が減るといつのまにか食糧としての捕鯨国を悪者にしてしまい非難し続ける。


卓球で中国が強くなりすぎるとルールを変えてネットを高くする。
バレーボールで日本が強かったのでタッチネットや種々のルールを変更してしまう。
自分達の有利になるように常にルールを変えてしまうやりかたというのは、丁度、第二次大戦以前の列強国の植民地合戦も同じですネ。
ワシントン条約による艦船の制限やパリ不戦条約にしても、既得権を持つ米英等の優位を守り、新規参入者が邪魔であるという性格のものにすぎないとしか見えません。
侵略について言えば、第二次大戦後、日本軍が撤退する時期にあわせてオランダはインドネシアに攻め込みましたし、フィリピンは再びアメリカのものになってしまいましたネ。
脱線ばかりで申し訳ありません。

当時の日本ではハルノートは国民の猛反対が容易に予測されました。日露戦争の際も日本が得ることが出来た戦勝金や領土があまりにもわずかだったために大変でしたからネ。また、ハルノートについてはアメリカ自身が事実上の宣戦布告に近いものと認識していたものですから、それを受諾できなかったことを責めることはできないでしょう。
戦争責任として明らかなのは当時の駐米大使位のものでしょうか?十分に間に合うように送られた開戦通知のタイピングに手間取って宣戦布告が遅れてしまったということは、十分に死罪に相当するものだと思います(外務省はまったく処罰をしなかったのは世界七不思議に挙げてもよいのかもしれませんが、今の外務省を見ていると納得できるところもあります)。

戦争責任とは戦勝国が敗戦国を裁くことではなく、国内問題として考えるもののような気がします。
もしも、ドイツが勝っていればヒトラー、ヒムラー、ゲッペルス等は世界的英雄であり、チャーチルやドゴール、スターリン、ルーズベルトは戦争犯罪人として間違いなく絞首刑だったはずです。戦争裁判とはそういったものです。政治的なもので戦勝国が敗戦国を都合のよいように裁くというのが戦争裁判です。
これは東京裁判のときにもラダビノッド・パール東京裁判インド代表判事(国際連合国際法委員会委員)が東京裁判自体が国連憲章に違反する無効なものであると主張したことからも窺い知ることができますネ。

下手な戦争ということで言えば、蒋介石の休戦申し出を受けなかった関東軍は重大な責任を負うべきでしょうか。
或いは、大本営発表でウソの赫々たる戦果を発表し続けた大本営、若しくは、A新聞も、その筆頭だったのですが、国民を煽動し続けたマスコミが戦争責任をとるべきであったのかも知れませんネ。
以上kawakawaでした
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この回答へのお礼

とても内容が濃く、おもしろく読ませていただきました。ありがとうございます。

私も東京裁判は戦勝国の都合だと思いますが、やはり勝てば官軍ということなんで

すかね。どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/08/06 23:42

こんばんは。

いろんな考え方をする人がいると思いますね。

まず、>国策の一つであったのだ~はその通りのようですが、>ABCD~石油のストップという事は、日本が大陸に武力進行を行い、満州国?をでっち上げて事実上の植民地にした事が原因です。

ですから、真珠湾攻撃に至るまでのどの段階でも、日露戦争後、ソ連からもらった領域まで軍隊を引き揚げ、中国の主権を認めれば、あの戦争は避けられたのです。

ABCDといわれる状態も石油の禁輸措置も「満州国」と日本の大陸への武力進出を認めろという日本の要求を世界のどの国も認めなかったから起こった事なのです。

実際、アメリカが強硬な要求として突きつけたといわれる「ハルノート」は要求してることは、実質的に今あげた二つだけです。それをかたくなに拒否したのは「満州を足がかりにして大陸進出」というのが国策であったからです。

ではなぜ、あるいは本当に満州を足がかりに大陸に武力進出しないといけなかったのかですが、これについては、「満蒙は帝国の生命線」(この帝国とは日本の事)という理由しか付けられていません。これが本当に日本の自衛の為に必要だったのか、自衛のために他国を侵略するという事があるのか?など、考える事がまだまだありますね。

さて、そういう国策として戦争をしたのだから、その結果についての責任は必ずどこかにあるはずではないでしょうか?
戦勝国が敗戦国をさばくのは認められないという人もいるけど、誰が裁くにしても、その責任をとるべき人は出るでしょう。A級戦犯といわれる人はその指導者であったことは間違えなく、誰が裁いたにしてもその責任はある人たちだと思います。

>ヘタな戦争をしてしまった~

私もそうだと思います。避けられる戦争をして日本人を含めて沢山の人を殺してしまったと。
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この回答へのお礼

myeyesonlyさんありがとうございます。要点がとても簡潔でわかりやすかったです

出来ればでよろしいんですが、ハルノートを日本がのんでいたらどうなっていたの

か意見を聞きたいです。多くの生命と金をかけ得た領土を無条件で手放すことはで

きないのではないでしょうか?

お礼日時:2001/08/06 20:55

1点だけ。


1928年に作成され、翌年発効したパリ不戦条約により、「侵略戦争」は国際的に違法とされていました。
この条約には、日本も加盟しています。
仮に、「侵略戦争」であるとすれば、当時の指導者が裁かれるのは理由のないことではありません。
また、極東国際軍事裁判の結果について、日本政府は講和条約の第11条により受諾しており、公式には少なくとも間接的に「侵略」性を認めていることになります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。では先の大戦を「侵略」と位置づけるか、そうではないと

位置づけるかによって責任を負うということになるのですね。

でも極東軍事裁判そのものがあまり正当性のあるものとは思えないですけど…

的確で説得力のある回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/08/06 14:52

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