アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

死ぬのが怖いです。急にふと死について考えて今まで生きてきたのがなくなりそれが急に無の世界に行くのを想像すると怖すぎます。ほんとに死んだらどうなるのでしょうか?ほんとに死にたくないです

A 回答 (7件)

羨ましいね。



オレは死にたいぐらいいきてるのが辛いよ。。
    • good
    • 0

死ぬのが怖いのは分かります。


でも人はいつか死ぬのです
    • good
    • 0

哲学的に、死ねば生まれる前の世界に戻るだけだと言われています


だから、これを正しく自覚していれば死はいたずらに恐れるものではないことになります

もう少し詳しく言うと、人間の本体は肉体でもなく精神でもない
俗に霊魂と言われる 「気」 これこそが自己本体だというのです
しかしながら、 この「気」だけではこの世で十分に活躍することはできませんから、
「気」の道具として 「肉体」と「精神」が与えられているというのです
死とは、本体である「気」が道具に過ぎない肉体・精神を離れるだけのことで 
本当の自分(気)は死後もなお自分のままであるというのです・・・気(霊魂)は 火でも水でも犯すこと能わず、普遍不滅の存在

ちなみに、神なるものもこの「気」と同質だと言われています
ただ、人間、個人個人の「気」よりその分量が格段に違うという違いはあるそうです
もっと言えば、神の「気」から分派してきた一部の気が 人間の魂だというのです

だから、天寿を全うした魂は死後、神の気に同化していくと考えられます(これこそが生まれる前の状態です)
例えるなら、神は大海の海水
人間の魂は その海水の波しぶきで1滴の水となった状態 
だから本質は 神の気も人間の魂も 同じ
そして 波しぶきの1滴はやがて大海に戻り海水と同化するのと同様で
人間も時が来れば再び神と同化するというのです


そうはいっても、理性で考えている以上「死」は怖いですよね

だから、昔から 座禅を組むとか瞑想するとかして理性をはなれ 
まずは 自己の本体をはっきり自覚すること
次に、この自己本体を活かしているものの正体は何なのかつかむこと
が試みてこられたのです

そのようにして、本当に悟りを開いた人は、これまで述べた内容を正しく信念して疑わなくなるので死を恐れなくなるようです・・・(理性で死を考えなくなる)
と同時に、人間として生まれることができたのはこれ以上ないラッキーなことだと思って
「人間、生まれた以上は必ず死ぬ時が来るけれども、今は生きているのだから できることをしよう、なすべきことをしよう」
と思って、前向きに考えこの世で活躍することになります

ただし、瞑想や座禅というものは 素人が独学でやっていいものではありません
独りよがりな瞑想法は 効果がなかったりかえって逆効果になることもあるからです
瞑想やるなら、信頼のできる指導者のもとで行うべきです

しかしながら、瞑想などの根本的仕組みは 「理想的な集中力です」
正しい集中ができれば瞑想しているのと大差ないともいえるのです
ですから、現在やるべきことにしっかり集中して努力していれば、やがて集中力がもたらす効果で瞑想しなくても心が整理されてきます
そうすれば、死に対する考え方・思い方も整理されてくるのかもしれません
だから、人間生きている間は「その時に持っている自分の能力と知識をフルに使って、集中して懸命に努力していればそれでよい」ということになるのです
(そのようにして、瞑想とは無関係に悟りに近いものを得た人も多数おられます。物理学者が物理研究に没頭して悟りのようなものを得たとか、主婦が一生懸命集中して家事をこなしているうちに悟りのようなものを得たとか、職種によらず集中して物事に取り組んだ人は一段高い精神状態に到達する方が多いようです)

なにはともあれ、まずは考え方を変えるところからスタートです
そして、正しい集中状態をできるだけ維持して
自己本体(霊魂・気)が 自分の心にささやく(正しい自覚を与えてくれる)のを待つというのが正しい態度だと思われます

いたずらに死をおそれるのではなく、意識の置き所をかんがえることが大切なのかもしれません。
意識の置き所が変われば、考え方思い方も違ったものとなってきますから

以上参考まで
    • good
    • 3

>ほんとに死んだらどうなるのでしょうか?


2500年前にブッダがこう言っている。
「そんなことを考えても無駄である。それよりよりよく生きることを考えよ」
証明できないことに心を砕いても返ってくるものは何もない。
人間にできることは、避けられない死をせめて穏やかに迎えることだけである。
そしてその条件は「未練なく生き切った」という思いである。

仏教だけだと不公平なのでキリスト教の一節も。
「故郷に帰るような安らかな気持ちで死を迎えられるように」
やはり「そうなるよう生きているうちに努力せよ」という点では同じである。
    • good
    • 0

私は二度心臓が止まっており、今度止まったら死ぬと医者から宣告されている


従って死が非常に現実的
今度来たら死ぬのです
私は死ぬ
それが確定してから心が非常に楽になりました
間もなく死ぬんです
明日死ぬか10年後か、それは分からないけど間もなく死ぬのは確か
怖いものはありませんね
嫌な事などしたくない
楽しく、普通に生きていきたいですよ
死ねば終わりです
焼かれて骨になる
ただそれだけ
「無の世界に行く」なんて筈はありません
生物ではなくなるというだけの話し
生物として死ぬという事実と心の世界の話しとを混同してはいけません
    • good
    • 1

ほんとに死んだらどうなるのでしょうか?


 ↑
現代科学では意識が無くなり
ただの有機物になる、とする説が
最有力です。



死ぬのが怖いです
 ↑
エリクソンの老年的超越理論というのがあります。
超高齢になって至るとされる主観的幸福感のことで、
近年の老人研究により、実証されるに至っています。
これによれば。
たとえ寝たきりになっても、90歳を過ぎると
苦痛も恐怖も無くなり、
百歳を超えると、こんなに長生きできた、と
感謝の念に包まれる。
そういう人が多い。
こういうことが判ってきました。

だから、やるべきは、怖がることではなく、
健康に留意して長生きすることです。
    • good
    • 1

死を恐れているのですか?



それはあなたがこの世の世界だけにしか生きていないからです。

この世とは限りあるもの。

もしあなたが限りあるものを失うのが怖いなら、限り無き世界にあなたを置きなさい。

愚かな者は限りある世界にのみ蓄えます。

賢者は限り無き世界に蓄えます。

愚かな者は死を恐れます。

賢者は死を喜び受け入れます。

愚かな者は死ののちに何もありません。

賢者は死ののちに蓄えたもの全てがあります。

いいですか、あなたはこれからこの世だけに蓄えてはいけません。

あなたが得たものは全て限りあるものだからです。

あなたはあなたの心で限りあるものを限りなきものへと交換して生きなさい。

あなたはいつか限りなき世界へと旅立ちます。

しかしそこにあなたが蓄えたものがあればあなたは死を恐れる事はありません。

この世だけに生きてはいてはいけません。

あなたの世界はこの世だけでは無いからです。
    • good
    • 3

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!