アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

「死を受け入れこれに向かって自由に開かれて在ることだけが、現存在に端的な目標を与え、実存をその有限性の中へ突きいれるのである。現存在の身辺には、安逸、安直に走り惰弱に流れるための可能性がそれこそ我勝ちに押し寄せ、あの手この手で現存在を誘惑しているが、実存の有限性が摑み取られることによって、現存在は、そういった可能性の果てしない氾濫からもぎ離され、唯一単純な自身の運命に引き入れられることになる。私たちが運命と呼ぶのは、 本来的な果断さの中に含まれる現存在の根源的な生起のことであり、この中で現存在は死に向かって自由に開かれ、遺産として得たとはいえ、やはり自ら選び取った可能性において自ら自身を自分自身に伝え渡すのである。(ハイデガー著『Sein und Zeit』より)」

…つまりこれはどういうことですか?

質問者からの補足コメント

  • 現存在とはどういう意味ですか?

      補足日時:2023/12/26 05:57
  • 現存在をネットで調べると、これはハイデガー独自の用語らしく、「自己を人間として理解している主体としての存在者。 世の中に投げ出されていると同時に,自らをその存在可能に向かって投げ出す存在(世界内存在)のこと」

    と出てくるのですが、ここでいう現存在とは少なくともそれ自体に意思が備わっていると捉えることはできますか?

    もしそうであれば、今の段階でのAI(人工知能)は現存在ではないということになりますか?

      補足日時:2023/12/26 12:12

A 回答 (5件)

現存在とは『自我意識』詰り言葉を持っている、有限の自分自身の事だと思います。



これに対して『実存』とは本当の自分自身という意味です。言葉を替えて言うなら釈迦が言っている『一切衆生悉有仏性』の仏性の事だと思います。

西田哲学的な言い方をするなら、死んでゆく自分が現存在で、そして絶対矛盾の自己同一が、実存をその有限性の中へ突きいれる事だと思います。『実存』とは永遠の命を伴った仏性という意味かと。

ソクラテスが言った『汝自身を知れ』という意味かと思います。

又、(人工知能)には仏性(心)が無いために霊性と云った意味を理解出来ない機能しか持っていないと思われます。禅問答が分かるAI(人工知能)が現れるなら違ってくるかも知れませんが?

又人生とは何ぞや?と云った人間の疑問や『恥ずかしい』と云った人間の気持ちがが理解出来るAI(人工知能)が出て来るなら、分かりませんが?
    • good
    • 2

何を書いてあるか半分もわかりませんが、


昔は読もうとしていた時期もあって、
しかし読めないものを無理やり読んで理解した気になって、
あとで役に立った試しがないような気もします。
    • good
    • 0

ハイデッガーの存在論や自然観は、きわめてむずかしいし、また、彼独自の用語もあって、その説明から入らないと、十分には理解できないと思う。



彼は、人間は死ねば、やはり無に帰してしまう、と考えているようです。つまり「原自然」を、自然と人間の根拠としながらも、人間や生物などの生命自体を永遠の実在としては見ていないように思われます

自然観(原自然)に限って言えば
 私たちは、ともすれば、自然界の調和のとれた動きに感嘆しつつも、その表面だけを考えがちです。しかし、ハイデッガーにとっては、宇宙万物が、このように秩序ある姿を示すのが不思議でならなかったのですね。まるで、一つの生命体のように動いている宇宙の姿に魅せられて、彼は、万物の調和を生みだす根源の実在に思いを馳せるのです。まあ、それを「存在」の次元などといって表現しています。
 「この、神秘を秘めた大宇宙の底流には、それを生みだす根源の実在があるのではなかろうか――」との彼の思索は、ついに、大自然の母体としての実体をとらえ、それを「原自然」と名づけています。彼は「原自然」を想定することによって、宇宙の神秘を明かしたと主張しています。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

なるほど、ありがとうございます。
だいたいのイメージが分かったような気がします。

確かにこの宇宙は、例えば蟻塚のような創発現象や様々な物理法則なんかは、神秘的でもあり、そこになんらかの自然の秩序や目論みがあるかのように感じられますが、それは自分がそう思ってみているからというだけでしょうかね…

この本Sein und Zeitは和訳がわかりにくいのか、そもそも原文のドイツ語でさえ同じような分かりにくい言い回しで書かれているのか分かりませんが、興味があるのでこのハイデッガーの本をしばらく読み進めてみようと思います。

お礼日時:2023/12/30 07:03

現存在とは「退屈」の事です。


待ち時間には周りを見たり本を読んだりして、人は退屈を埋める。意味の無い話しや他愛もない事で、人は退屈を埋める。しかしながら、これらの退屈とは埋め合わせが可能な物であり、その人はここで現存在を感じる事はできない。
何もしない自分、何もできない自分、ふと感じ生じる埋めることの出来ない時としての退屈。その退屈に人は恐れる。芥川龍之介は「漠然とした不安」と言って自殺したが、退屈を埋めるために人は理解不能な狂気へ走ることも起こして、退屈を埋めるのである。
ハイデガーは、退屈へヒトラーの埋め込みを容認した為に、非難されたが、それは象徴的な出来事でしかなく、善悪として捉える事でもなく、個人に帰するだけです。この退屈に、幸せが宿るならば、その人は幸せなのであろう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ここでいう退屈とは、例えば自分から五感を取られた状態で生きるというような感覚なのでしょうか。

何かの話で聞いたことがありますが、5億年ボタンという話題があり、被験者は100万円を貰える代わりに意識だけが存在できる部屋で5億年を何もせず過ごす必要があるという設定だったと思います。その後は記憶を消されて元に戻されるので、それまでの苦痛は消えるという…

そういえば、人生は壮大な暇つぶしだという人も中にはいますね。

お礼日時:2023/12/30 07:32

哲学者ハイデガーは、ソクラテスやプラトンのような霊能力は持ってなかったので、「あの世」は理解できなかった。


だから、人生について語るとき、「この世」のことしかわからず、長ったらしいけど、判り難い、意味がないことしか言えなかったのです。

訳わからずにこの世に生まれてきた俺たち、激動に流されていくけど、どう生きたらいいか、指針なんて無いし、死んだあとのこともわからん!!

ということを言っているだけ。
美人で頭がよかった教え子のハンナー・アーレント(17歳差)に手を出したハイデガー。

アーレントは、アーレントは痛烈にマルクスを批判しながら、近代が労働中心主義の社会になっていることに警鐘を鳴らし、それが全体主義への道に繋がりかねないと論じた。
その流れで、「エルサレムのアイヒマン」を発表し、アイヒマンを擁護していると思われて、世界から非難を浴びましたけど、その主張は、現代日本の政治劣化に通じる部分があるといえます。
アーレントを学んだほうが価値があると思いますね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
ハイデッガーは妙に哲学科界隈で研究している人も多く、興味を持ったのでひとまず今読んでいる本の内容理解に努めようと思います。

にしてもハイデッガーの経歴をみていると、いろいろなことを勉強されているようで、勉強のやり過ぎで心臓病に罹ったというのは、ちょっと理解できません。
またドイツのある村に自分でログハウスを建てたというのは男のロマンがあり、僕もいつかそういうことをやってみたいなと思う次第ですねw
ドイツ人らしい自由奔放な人生を送られたマイペースな方という印象ですね。

アーレントについても調べてみようと思います。

お礼日時:2023/12/30 07:20

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A