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ボードレールはいったいどのような思想の持ち主だったのでしょうか?

また ダンディズム論での有名な2つの詩


「金持ちで、暇があり、たとえ飽いて無感覚になってしまっていても、幸福の跡をつけて追う他に仕事のない男、贅沢の中に育てられて、青少年期からすでに他の人間達の服従になれた男、つまるところは、優雅の他には職業を持たない男」


「ダンディの美の性格は、何よりも、心を動かされまいとする揺るぎない決意から来る、冷ややかな様子の裡にある。潜んだ火の、輝くこともできるのに輝こうとはせずにいるのが、外からそれと洞見されるさま、とでも言おうか」

う~~んあまり意味が分かりません。何が言いたいのでしょうか?分かりやすく教えてください…

A 回答 (1件)

ボードレールは進歩主義者でもなかったし、絶対主義者でもなく、そして『神は、君臨するために、存在することさえ必要とせぬ唯一の存在である』(「火箭・赤裸の心」阿部良雄訳:『』内、以下同じ)と言い切る無神論者でした。


ただ、この世の進み行く方向として人間の成熟という面は見ていた。

エドガー・アラン・ポーの詩歌に関する考えをほぼ全的に受け入れ、詩は「美」であることがすべてである、歴史にも科学にも道徳にも奉仕すべきではない、詩は詩にのみ奉仕し詩としてのみ自立するという、いわば「純粋詩」の方向を打ち出し、後世へ決定的な影響を与えました。

この美は一切の規範なしに形作られ、そこには熱狂的な感性とは違う、いわば「魂の昂揚」が必要なのは言うまでもないけれども、同時に批判精神がなければなりませんでした。
この批判精神こそ近代が身につけ、現代のすべての詩人が引継いでいる方法もしくは自意識です。
つまり、彼以降、詩人は酔っぱらっていると同時に醒めていなければならなくなった。
この批評性こそ、ボードレールにおけるダンディの大きな要素だと思われます。

彼が生きた時間は七月革命(1830年)、二月革命(1848年)、ナポレオン三世による第二帝政(1852年)へと続く激動の時代。そうした政変や社会生活の混乱をしばらく措くとしても、この詩人にとっての周囲は俗悪愚劣で錯誤に満ちたものでした。

幸福な時代の詩人なら、時代の上澄みを掬い上げ、『幸福な時間を表現』し歌い、『光輝』していればよかった。

そうでない時代の詩人は周囲のものとの隔絶から歌がはじまる。「自らわが身に道化を装ひ、頽廃を気取らねばならぬ。彼らの実証性の中にある、生真面目な、融通の利かぬものを、逆に嘲笑する最上の方法だ。ボードレールのダンディスムは、そこから生まれる。」(河上徹太郎「ボードレール」より)

ほかにも『ダンディの永久の優越性』とか、
『ダンディは何もしない。/ ダンディが嘲弄する以外の目的で、民衆に話しかけるところが、君には想像できるか?』とか、
ダンディに言及するところは多いのですが、河上徹太郎氏も指摘するとおり、彼のこのポーズや頽廃趣味やは「一時代の社会的頽廃を摘発するための逆説的な方便」として受け取られたほうがよいかと思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなって申し訳ありませんでした!
とても分かりやすく解説していただきありがとうございました!

お礼日時:2005/01/19 23:06

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