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マルコの福音書のいちじくの木のたとえはどんな意味ですか?イエスがいちじくの木にしかりつけた、というくだりです。

A 回答 (3件)

マルコが述べているように,「いちじくの季節ではなかった」のに,イエスがそのいちじくを呪われたのはなぜでしょうか。

(マルコ 11:13)
いちじくの木に葉がついていれば,早なりの実がなっているのが普通です。一年のうちのその時期にいちじくが葉をつけているのは珍しいことでした。
しかし葉をつけていたのですから,実がなっているとイエスが思われたのも当然です。
葉をつけていただけであったということは,その木が産出的ではなかったことを物語っています。その外見は欺きでした。果樹には税金が課されたので,実を結ばない木は経済的に負担となるため,切り倒す必要がありました。

イエスは実のならないそのいちじくの木を,信仰に関する貴重な教訓を与えるための例えとしてお用いになりました。翌日,そのいちじくの木がすでに枯れてしまっているのを見て,弟子たちは驚きます。イエスは,「神に信仰を持ちなさい。……あなた方が祈りまた求めることすべては,それをすでに受けたのだという信仰を持ちなさい。そうすれば,あなた方はそれを持つことになります」と説明されました。(マルコ 11:22-24)この枯れたいちじくの木は,信仰を持って祈ることの大切さを例示しただけでなく,信仰を失った国民に生じ得ることをまざまざと示すものでもありました。
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この場面はぼんやり覚えているのですが、いくつか解釈を読みました。


いちじくの木はイスラエルをあらわしており、神の願い通りになっていないことに腹をたてて殺してしまうということを言っているということを読みました。
愛と癒しのイエスが自分の願い通りにならなかったからといって命を奪うって解釈するのは、ちょっと違うと思います。

そこまでいかなくて、単に癇癪を起こしたって私は思っています。
「まだわからないのか」とイエスが何度か信者の無理解になげく場面がありましたが、いちじくだったので命をとってもいいとイエスは思ったのかもしれません。
これが理解力の無い人間だったら殺すことを考えなかったと思います。

イエスが言ったとすることが聖書の中に書かれていますが、イエスが暴言や暴力を振るったのは2度だけ。
今回のイチジクを呪ったことと、神殿内で金儲けをしていた派に腹をたてて暴れた事件。
これ以外は彼が暴れたとする記録は残ってないですね。
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参考程度に


[いちじくの木にしかりつけた]のは、エルサレムのマスター(神)が帰ってきて今欲しているのに準備できていないのは何事かということですね。マスターは、旅に出て使用人が気がつかない間に帰ってくるその時見逃さないようにしなさいということですね。2000年前も多くが見逃しましたね。さて次はどうでしょうという意味もあるかな。
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