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病気や事故などの後遺症や大きな怪我を負っている人がツラい現状に耐えきれず、「死にたい」と願った場合には
「安楽死」と言う選択肢があっても良いと思います。

そのツラさは本人が1番良く分かっている筈なので、無理に生きさせるのは逆に酷だと思います。

賛成ですか?反対ですか?

A 回答 (4件)

おっしゃることはわからなくもないのですが、今の日本で安楽死(積極的安楽死)を認めることには反対です。



積極的安楽死を認めている国や地域は世界にいくつかありますが、いずれも個人主義の強い社会です。

そのプロセスにおいては、患者の死にたい意志が本気なのか一時的な鬱病とかじゃないのか確認することになっていますが、たとえばALSのような回復見込みのない難病の人で絶望していたとしても、先々希望を見いださないとは限らない。ホーキング博士や舩後参院議員みたいな人もいるのです。

本当に手を尽くしてなお死への渇望が止まらないのか、結局どこかで見切りをつけているのです。「別にいいじゃん、本人が死にたがってんだからさっさと死なせてやれよ」というドライな感覚がある。それを良しとする社会に日本が変わらない限りは、軽々しく積極的安楽死を認めてはいけないと思います。

また、日本の社会が個人主義的でないことは、別の問題も引き起こします。介護で迷惑を掛けるから死にたいと、そういう人を確実に発生させます。その人の「本気」をどうやって判断するのでしょうか。死にたいのに死ねない人と、心の奥底では死にたくないのに死なされる人、両者を天秤にかける必要があります。
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人に手伝ってもらわなくても


自殺という手段があります。
死んでいくことまで
なんでも人任せにしてはだめですよ。
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反対です。



安楽死を選択するのではなく、そんな状況に
陥らないよう、医学の進歩をはかるべきです。

安楽死など認めたら、医学の発達が阻害
されかねません。

弊害も懸念されます。

ただでさえ自殺の多い日本です。
認めたら、激増しませんかね。

また、それを金儲けの種にする連中
医者、遺族などが
必ず出現します。

自然の寿命を縮めないで、死までの間の
苦痛を取り除く、ということは今でも
行われています。

そういう方法があるのですから、
安楽死を認める必要があるのか、疑問です。
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選択肢の中に入れておくべき事柄だなとは思います。



本人の希望に関しては必要ではあるけどあくまでも意向と最終確認の時です。
苦境に陥った時それが本当に改善とか気持ちを前向きにする余地が全く無い状態なのか本人には判断できないと思いますから。
深刻度は違うけれども小学生の悩みごとは本人には途轍もない難題であっても、10年経つとハナクソほじって笑い飛ばされるようなケースがほとんどじゃない。

明かりが見えるまでの苦しみは非常に重篤で苛烈を極めるかもしれないことだということは百も承知です。
いくら頑張ったところで光が見えないことだってあるかもしれないし。
でもそこに留まることによって見えてくる「生きる」があるかもしれないじゃないですか。
ですから基本はそういう選択をしない努力を最大限行うことです。

ところが一方で脳死があるように肉体的な状態と、生きる気力の維持が不可能な場合や大変な苦痛を伴う場合などには、単なる医療行為のオプションとして存在して然るべきかと思います。
もちろん慎重な運用が必要ですけれども特別な行為には位置づけず、主治医、本人、家族に「それ」があることが周知されていればいい。
特に本人にはいざというときにはという一種の拠り所として知らせておくべきかと思います。
妙な輩に報酬を払ってまで依頼しなくちゃいけないような遠い話ではいけないことだと思います。
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