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今、学校の授業で「残すべき文化」を課題として、勉強しています。ただ、残すべき文化と一言で言ってもいろいろ、ありますよね。伝統だの食文化だのたくさん。
そこで、本当に、未来に伝えていかなければいけないこととはなにか。いわゆる残すべき文化についてみな
さんの意見をききたいのです。
なんでも、いいので、どんどん回答してくれたら嬉しいです。お願い致します。

A 回答 (2件)

文化というものは定義があいまいです。


例えば、下の方のおっしゃっているニート。これも若者のライフスタイル、文化のひとつでしょう。
はっきりいってしまえば、弱肉強食の現在の資本主義、負けたものの自殺することもある社会そのものだって文化です。
そして伝統芸能や食文化、教育、そういったものも文化ですし、それらによって生まれてきた物質も文化でしょう。
意識的なもの、無意識的なもの、物質的なもの、精神的なもの。価値があると判断されるもの、価値がないと判断されるもの、もちろん、肯定するべきでもない文化というものも価値観によってはあるでしょう。
私たちは文化の中に生活し、さらに文化を変化させて生きています。それは無意識的にせよ、そうなのです。
「残すべき文化」を選別するということはその変化を意識的にするということでしょう。

私は文化を意識的に変化させるということには賛成です。「悪貨は良貨を駆逐する。」という言葉をご存知でしょう。進化論じゃあるまいし、ほっといたら価値あるものが残っていくというのは間違いです。ニートなんてその最たるものですよ。教育にしても、昔の日本は地域全体で子供の面倒を見るというすばらしい文化がありましたが、今じゃ学校と親の押し付け合いですよ(笑。

さらに言えば、失われたものは二度とは手に入らないことがあるというのも認識すべきです。地震で命からがら逃げ出したのはいいけど、あとから振り返って、ああ、あれぐらいはもって出とけば良かった、惜しいものをなくしたと思うのが人間です(笑。

もちろん、この不況のおり、かけれるお金とそうでないお金があるのは当然ですが。

この食文化はすばらしい、伝統芸能がすばらしいとかそんな部分的レベルははっきりいって私もどうでもいいですね(笑。
たとえば今では芸術性が高く評価される「春画」なんて当時では「エロ本」ですよ(笑。200年経ったらエロ本も芸術の一部…。能や狂言なんてのも今で言うミュージカルとかそういうものに対応しますからねぇ。正直、そういうもんは本当にすばらしいと思うならすばらしいと思う人だけで残して欲しい(笑。興味ないから。

一方で、日本の米文化はお金をかけても残すべきです。外国から無理して小麦を買ってパンを食べて、結果として米が残って食料自給率が下がるなんて意味がわからんし。(もちろん外交問題という意味はありますけどね)
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本当に人にとって必要な、価値のある文化であるなら、何も手を加えなくても、自然に後世へ伝えられます。

逆にそうでない文化、先細りの文化は、放置すれば自然に消滅します。質問者様はこの放置すれば消滅する文化について質問しているのだと思いますが、私はこれらは消滅すべきと考えます。保護や後世への伝達など、何一つ対策をとるべきではないと考えます。もし後世へ残すとしても、それは文章による記録だけに留め、実物は抹消すべきです。
たとえば「けんけんぱ」ってご存知ですか?他にも「べーごま」や「かごめかごめ」なんていう昔の人たちが少年時代を過ごす際に活用した遊びがたくさんあり、それらは最近の新種の遊び、「カードバトル」や「ゲームボーイ」、「インターネット」に置き換えられ、今その命のともし火を絶やそうとしています。これらの昔ながらの遊びは子供にとって大事なんだ、必要なことなんだ、今の子供が凶悪化したのはこれら体を使った遊びを忘れてしまったからだ、なんていう暴論をうそぶく愚かな大人がいます。昔ながらの遊びと、現代の科学の恩恵を万遍なく浴びた遊びと、どちらがより有意であるか、考えるまでもないと思うのです。理由を言い出せばきりがないのですが、いくつか挙げたいと思います。
まず、昔ながらの遊びというのは、「極貧時代」ゆえのものだということです。その遊びを行うには人さえいればよく、そこへお金を払って買う道具が介入することはそうはありませんでした。しかしご存知のように現在日本は大不況です。猫も杓子も何も買ってくれません。そんな冷え冷えした状況に光をあてられるのが子供たちの物欲なのです。アニメやCMに安易に感化され、その無邪気な瞳でもって暴君のごとく商品を買いあさる彼らは、時代のヒーローです。その点現代の遊びは、物欲の連鎖が見事にどこまでも続くようなものになっていますから子供たちはどんどん新しい商品を買い、経済が活性化します。もしも子供たちが昔ながらの遊びでもって消費を抑えたら、ますます不況がひどくなるのです。
次に、その遊びの学習量です。昔ながらの遊びはとても単純なものです。そこには思考なんて一片も混じることはないでしょう。したがって、ただ体が鍛えられるだけで頭の中がからっぽな人が育てられてしまうのです。ご存知のように現代は非常に高度な技術・科学に支えられています。それらを理解し、応用させるには、もう信じられないくらいの学習が必要なのです。その学習を阻害する体だけを使った遊びは推奨されるべきではありません。逆に「テレビゲーム」「インターネット」の類は、非常に頭を使う遊びです。特にインターネットなんてそこから得られるものの大きさにめまいを起こしそうです。
こんな統計データがあります。昔の人と今の人のIQを比較したら、今の人の方がとんでもなく発達していたそうです。脳が一番発達する時期はまさしく少年時代です。その少年時代に彼らが選んだ遊びによって、その差が出ているはずです。なぜなら少年とはいつも勉強なんてしないものだからです。多くの平均的な少年は遊んでばかりです。なのに昔の人と今の人ではIQが違うのですから、これはもう、今の遊びが優れていることの証明です。
遊びの文化ばかりに目を当てても仕方がないので、もっと広範囲な文化というものについても少し書きます。
例えば伝統工芸なんていうのがありますよね。何十年も蓄積された職人芸によってのみ編み出される屈指の工芸品なんてものは、これまた不要です。はっきりいって邪魔です。遊びよりもたちが悪い、残すべきではない文化です。私は専門家でないので正確なことはわかりませんが、そういった文化の保護や後継者の育成、作品の保存や展示なんかには膨大な国費が使われているはずです。年間3万人以上もの自殺者を出し、ニートやホームレスが氾濫する社会を尻目に、カビの生えたガラクタをにやにやしながら磨くなんて国も趣味が悪い。極悪非道です。たとえば大震災が起こったとして、あなたは何をしますか?本棚の本や食器なんかを必死に守ろうとしますか?それとも冷蔵庫の中身が気になりますか?違うでしょう。確実に何もかも放置して人命を優先するはずです。家の中にあるガラクタなんか放っておいて外へ逃げ出すはずです。今の日本がまさにこうあるべきなのです。ガラクタよりも人の命が軽んじられる世の中なんてゆがんでいますよね。

残すべきは文化などではありません。「人」なのです。
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