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いつ頃から受験界は東大理Ⅲが最難関になったのですか?
戦前の学歴エリートと言えば陸大、海大、東大法がトップエリートで日本の政官財軍を支配してきましたが、私立医卒でもなれる単なる医師養成機関に過ぎない理Ⅲが受験界のトップになるのは些か疑問です。
目立たないだけで昔から法学部かそれよりも難関だったのでしょうか?!

A 回答 (3件)

僕の記憶するところでは、90年代からですね。



実際、全国模試1位だった
鳩山邦夫(1948年生まれ)、
福島瑞穂(1955年生まれ)、などは文1(法学部)に進んでますし、
戦後長いことエリートは、
番町小〜麹町中〜日比谷(70年代からなら開成、麻布)高〜東大文1〜官僚が一番のエリートコースでした。

これは戦前から有名なことですし、いや理3もあるよ、みたいな話は聞いたことがありません。

そして(少なくとも)医学部に行く人間は最終的には親の跡を継いで町医者なるので、東京に行く必要はない。むしろ帰って来なくなったら困るということで、
例えば成績的に理3確実みたいな人も、阪大医学部に行く、広大医学部に行く、なんて例はたくさんありました。大学も地元にいとけ、ということです。

僕の生まれ育った関西はやはり国立や医学部人気は高かったものの、それでも一番賢いやつが東大法学部や京大法学部に行く例は多くありました。

医学部は行きたい奴か、医者の息子が行くとこ、という感じで実際、僕の時代90年代ですが、地方帝大工学部の偏差値は、地方国立医学部の偏差値を超えてたのですけど、それでも地方帝大工学部を選択する人は多かったです。
そもそも80年代はMARCH出て、不動産会社や銀行に勤めた人が月給2.300万なんて時代、ニューヨークやロンドンへの転勤も可能で、そんな時代にわざわざ苦労して医者なんぞなあ?
という感じだったと思いますよ。
やはり93年のバブル崩壊と、それに伴うリストラ、接待を受けてた官僚の評判悪化などは大きかったかなと思います。
少なくとも、90年代後半は東大最難関は、文1ではなく理3だったと記憶してます。
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旧帝大の医学部は単なる医師養成機関ではありません。


医学研究を行うことが強く求められています。

そもそも戦前の学歴エリートのことを知っている人って現在何歳でしょうか。
その年齢の方が単なる医師養成機関に過ぎない理Ⅲなどと書くのでしょうか?
その年齢の人がいつ頃から受験界は東大理Ⅲが最難関になったのですか?
なんて聞くのでしょうか。その年齢の人なら当然いつからか知っているでしょう。
私は戦前のことは知りませんが、私自身の年齢から言えば、1975年にはトップでしたね。同級生で東大法学部に言ったやつもいますが、やはりダントツは理Ⅲでした。
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かつては文理とも二類までしかありませんでした(医学科には入学後の進振りで進んだ)。

理三が理二から分離したのは戦後、1962年からのようです。

1979年の共通一次を機に偏差値という尺度が一般化し、そのころにはすでに理三は圧倒的な難関だったので、理三は「事実上医学科単独に近い今の形で募集が始まって間もなく(1960年代には)最難関になっていた」と言えそうです。

学生運動で東大入試が中止になった1969年、当時の灘に「京大で日本一と言えるのか」と嘆いた生徒がいたらしいですが、医学科熱は昔から西高東低なので、おそらくこの頃もそうだったのでは。
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