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所謂「日本語化してしまっている英語」は不要というか、寧ろ、英語学習に際して、害しかないのではないでしょうか?
日本人は何故、標準的でない発音・アクセントを使用するのでしょうか?そして、何故、日本全体として、それらを標準的なものに直そうとはしないのでしょうか??

ラジオやテレビ、街角の会話を聴いていると、 例えば以下のような語に関して、ワザワザ、標準的ではない発音やアクセントが話されています。本来ならば、辞書やネットで発音記号を調べたり発音を聞いて、訂正するべきですが、最低でも、以下の矢印のように、まだマシな(標準を意識した)発音・アクセントに直すべきではないかと思います。
(例)
・award
×アワード→アウォードゥ
・supplement
×サプリ・サプリメント→サプルメントゥ
(ワザワザそんな略し方をすべきじゃないだろう。)
・smooth
スムーズ
(これは何故か問題はそんなにない。thの発音くらいか。)
・loose
×ルーズ→ルース
・virus
×ウイルス→ヴァイラス
(最初のウが謎。)
・application
×アプリ→アプリケーション
(ワザワザそんな略し方をすべきじゃないだろう。)
・subscription
×サブスク→サブスクリプション
(ワザワザそんな略し方をすべきじゃないだろう。)
・McDonald's
×マクドナルド→マックダーナルズ
(アクセント含め、外人には通じない。)
等々。

発音が分からないから、ドイツ語みたく、 スペルのまんま読んでるのかと思いきや、
サプリ・サプリメントやウイルスのように謎の発音があったり、一方で、スムーズはそこそこ合ってたりして、
あまり統一感が感じられません。

アクセントに関しては、ワザワザ、日本語会話の中で英語を採用しているので、日本語の発音との整合性や言い易さなどを考慮して、百歩譲って、仕方ないと許されても、
発音は英語を採用するなら、辞書に載っているような、それなりに標準的な発音をすべきだと考えます。
(標準から崩すのは、やるにしても、飽くまで、本来の正しいものを知ってからすべきことのはず。 にもかかわらず、日本人は、標準を必ずしも知らずに、また、学ぼうともせずに崩しに入っている、いわば、英語を冒涜するかのような酷い扱いをしているように感じます。)

日本では、ワザワザ誤った発音・アクセントを日常的にしているから、 英語を中学生以降で学ぶ際に、ワザワザ覚え直す無駄な作業が増えるだけで、全くもって何も得することがないのではと思います。

何故、ワザワザ標準的でない発音・アクセントを使用するのでしょうか?そして、何故、日本全体として、それらを標準的なものに直そうとはしないのでしょうか??
不思議でなりません。

英語をワザワザ使うならば、英語をキチンと尊重するそこそこ正しい使い方をすべきではないでしょうか。

現代日本人の勉強嫌い・怠け癖(標準を必ずしも知らずに、また、学ぼうともせずに標準崩しに入っている、いわば、英語ひいては海外文化を冒涜するかのような酷い扱いをしているように感じます。)が表出してしまって、面倒くさいし、自国以外を尊重しないから、直そうとしないのだろうと個人的には考えています。

皆さんはどう思われますか?

質問者からの補足コメント

  • へこむわー

    今、自分で質問を読み返していて、自分でもカタカナ英語を使ってしまっていることに気づきました。以下のように、まだマシな形に訂正します。

    ×ラジオ→レイディオ
    ×テレビ→ティーヴィー
    ×ドイツ語→ジャーマン
    ×スペル→スペリング

    日本全体で、間違ったことは誤っていると直ぐに素直に認めて訂正・改善すべきではないでしょうか。
    あの半沢直樹さんのように実直に(笑)。

      補足日時:2020/10/21 09:37
  • つらい・・・

    確かに、意味の違いも大問題ですね。
    ただ、個人的には、発音の違いが、かなり耳に付いて気になってしまい、イチイチ心の中や、時には口に出して正すことが習慣になっており、
    間違いを直したり学ぼうとしたりする気配が全くない世の中に、なんだか疲れてしまっています。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/10/21 10:10
  • うーん・・・

    仰ることは分かります。
    本来、カタカナを介さずに、発音記号そのもので発音を学ぶべきです。カタカナでは表しきれないのが発音であることには同意します。

    しかしながら、
    まだマシな状態に少しでも改善しようとする世の中にすべきではないのか?
    という提案・問題提起も含んで、
    カタカナは不正確なことは百も承知の上で、
    ワザワザ分かりやすく質問しているつもりです。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/10/21 12:33
  • 私個人的に、新鮮な視点からのご意見、ありがとうございます。

    言語の正確とは何なのか、言語の多様性について、
    再び考えたり、感じたりしていきたいと思います。

    意味や発音などに限らず、世の中の様々な面において、色々とごちゃ混ぜになっているようなので、

    それをまだマシな状態に少しでも改善しようとする世の中にすべきではないのか?

    という提案・問題提起も含んだ意味で質問致しました。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/10/21 12:43
  • 確かに、借用していた方が慣れるので、覚えやすいし、忘れにくいことは分かりますし、同意します。
    益が無いとは、少し言い過ぎではありました。

    借用すること自体はまだ良いのです。
    ただ、標準的ではない(海外では通じない)発音や意味合いであることに気づかず(気づこうともせず)、少しでも学ぼう・改善していこうという姿勢が世の中に感じられない事に驚いています。

    まぁ、今回の質問に対する様々なご意見に触れる中で、色々学ぶことも多く、自分の見識の狭さ・浅さを痛感するところでもありますが…。

    No.13の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/10/21 23:01
  • だから、何でウから始まるのか分からなかったのですね。勉強になりました。

    No.14の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/10/21 23:03
  • うれしい

    じっくりお読みいただき、詳しく回答いただき感謝致します。

    外来語を受容して活用・融合することの代償として、自国語との発音などの相性も影響して変化してしまうものなのですね。日本に限らず世界中で…。

    また、辞書に載っているような標準的な英語の発音や意味のみを正当とし、他を誤りだから正せ!と潔癖に何でも処理することだけが正しいと思ってイチイチ反応していた私ですが、
    実は、文化破壊をしていたかもしれない可能性に気づかされました。

    これからは言語を、今まで以上に興味深い流動的なものとして、もっと柔らかく捉えられるようになった気がしています。言語は生き物なのですね。

    phjさんはじめ、様々なユニークで考えさせられる皆さんのご意見のおかげだと思います。

    No.22の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/10/23 16:30
  • うーん・・・

    (phjさんへの補足の続きです。)
    ただ、少し話しはズレるのですが、
    英語などの言語だけの話ではないのですが、
    自分たちの使っている知識だけが正しいでしょ、
    というように思い込んで、それで思考が終わってしまっている世の中の流れを感じます。何事でも、分かってもないのに、直ぐに納得した気になってしまう。

    日本だけではないのでしょうけれども、やはり、日本人の教養レベルが低下してしまっていることが主因なのではないかと思っています。

    欧米では、大卒レベル以上の高等教育を受けた人は、言われたことに納得するよりも、その意見に対して「本当にそうなのか?」と疑問視し、調べ、反論し、議論し合い、学び成長する姿勢が備わっているようです。

      補足日時:2020/10/23 16:37
  • どう思う?

    (phjさんへの補足の続きの続きです。)
    日本の出る杭は打たれる文化や恥ずかしがりやな国民性なども影響しているのでしょうが、(数少ないエリートは別ですが、)少なくとも日本全体としては、上記のような真っ当な論理力が育っていないと思います。(大学の大衆化も問題。)

    言語で言えば、それ以上調べたり、学んだりして「なるほど、辞書的にはこうなのか~。でも、日本語では、少し違う形で定着しているのか!」といったように、
    飽くまで色々と学び、違いも理解した上で、
    言語の柔らかさを伴う多様性を感じつつ、豊かな言語活動をすることが道理に沿うのではないかと、どうしても思う自分も確実に存在します。

      補足日時:2020/10/23 16:39
  • どう思う?

    I'm convinced that we should use words ONLY AFTER learning the differences of Japanese English and English.
    Isn't it important and reasonable?

    Too many Japanese people aren't conscious of the differences and they even don't try to look up a word
    in a dictionary or on the Internet.
    Did their curiosity for language die out?

    No.33の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/10/25 15:05

A 回答 (34件中1~10件)

他の回答者様の内容と、それに対する補足も拝見しました。



その上で質問者様に提言したいのは
・英語だけじゃない
・他言語でも同じことは起きている
・他言語をそのまま取り入れるのは理由がある

・英語だけじゃない
他の方も指摘しておられますが、virusはドイツ語由来(ドイツの発音由来)です。これは明治時代主にドイツから医学を輸入したからでほかにも「カルテ・アルコール・ゲル・ゾル・ワクチン」などがあります。
 医学用語以外でもアルバイトなどがあります。

また江戸時代などではテンプラ・カルタ・キリスト・合羽・襦袢などポルトガル語由来もあり、すでに漢字があてはめられて日本語になってしまっているものあります。

なので、外来語は英語由来だけじゃないし、西洋語だけでもなく、はっきり言えば漢字の音読みはすべて中国語由来です。

そういう点でまず言語は「外来語を受容すること」が重要で、現代は英語由来が多いだけ、という点を指摘したいと思います。


・他言語でも同じことは起きている
どの言語でも「外来語を取り入れて自国語が発達する」もので、その際には「元の発音とは似ても似つかなくなるのはしょうがない」と言う点があります。

これは欧州言語内でも起きていて、たとえば先ほど出したキリストなんてひどいものです。
 イエス・キリストの英語表記はJesus Christで「ジーザス・クライスト」に近い発音をします。でも本来はラテン語でIesus Christusと表記し発音は「イエスス・キリストス」が日本語表記としては最も近く、たぶん日本語発音のママでもラテン語話者には通じるぐらい正確な表記です。

で、質問者様は英語ネイティブに「君たちの発音は正しくない、日本語のイエス・キリストのほうがよほど正しい!」と主張しますか?
普通はしないですよね

つまりこれは「外来語を受容すること、受容した以上は自国語である」ということなのです。これは日本に限らずどこの言語でも起きています。

また英語に限って言えば「イギリス発音なら日本語表記でもかなり近い」という点も挙げられます。

たとえばwaterは米語だと「ウァーター」に近いですが、英語だと「ウォーター」の発音でほぼ通じます。他にもtomatoは米語だと「トメィトゥ」に近いですが、英語なら「トマート」なので「トマト」で割と通じます。

もうひとつ「受容した外国語はその国の意味になる」と言う点も挙げておきましょう

たとえば現在の米語では「futon」と言う言葉があります。これは日本語の布団から由来した言葉ですが、一般的にソファーベッドを意味します
参考:https://kotobaken.jp/qa/yokuaru/qa-44/

発音も唇を噛む「F」の音ですから、日本語の「フトン」とは異なりますし、意味も異なっているわけです。

ほかにもsushiは有名ですが、欧米だとほとんどの場合巻き寿司がでてきます。これsushiが欧米で市民権を得るのにカルフォルニアロールが大きな役割を果たしたからです。

こういうものは漫画やアニメが進出した1990年代から割とあるのですが、質問者様のいう「発音は英語を採用するなら、辞書に載っているような、それなりに標準的な発音をすべきだと考えます」も「標準的ではない(海外では通じない)発音や意味合いであることに気づかず(気づこうともせず)、少しでも学ぼう・改善していこうという姿勢が世の中に感じられない」のも世界中で同じなのです。

つまり言語とはそういうもの、であるということです。

・他言語をそのまま取り入れるのは理由がある
はい、これは自国語が発展するために必要なこと、なのです。

実は各言語には以外に大きな差があります。それは「高等技術や論理的な言葉を自国語で表記し意味を伝えられるかどうか」ということです。

今現在これができるのは
・ローマ文字を使う西洋言語
・ローマ文字を転写して使うキリル文字言語
・アラビア文字言語
・漢字文化圏の言語
だけです。

アラビア文字は元々科学の発展に寄与していて、十字軍によってアラビアの科学技術がヨーロッパに伝えられ、ルネッサンスを起こすことになり、キリル文字は元々聖書の転記法があったので、ほぼそのまま高等科学用語などを取り入れる事ができました。
 漢字文化圏は明治に日本人が西洋言語を翻訳して漢字にしたからで、中国などが日本語由来の漢語を使うのは、これらの理由があります。

だからこの4つの文化圏だと「自国語で大学や最新技術を表記し、習うことができる」のですが、それ以外の言語はできません。だから東南アジアやアフリカ諸国のようにこの4つの言語に属していない言語を使う国は「英語で大学の授業を行う」ようなことになるわけです。

しかし、現代のように最新技術や概念がどんどん更新される時代は漢字に訳してる暇はありません。これは日本語だけでなく欧米言語内でも起きていて、フランスは1990年代までは「英語をフランス語に翻訳して使う」という方針でcomputer→ordinateurなどと一つ一つ訳していたのですが、今ではもう無理でお手上げになっています。
ただし、英語のスペルでもフランス語読みで使います。


>まだマシな状態に少しでも改善しようとする世の中にすべきではないのか?

確かに言語は混とんとしていますが、それもこれも各言語に隔たりがあり過ぎるからです。

そしてようやくこれが整理され始めたのがインターネットが利用されるようになってからで、たとえばネットで使われる漢字は日本式も中国式も台湾士気も同じ漢字が同じコードになっています。
 漢字文化圏の人々はみんな「そんな文化を台無しにするような強制的な統一は反対!」というのですが、だんだんに整理される方向になっていることは確かなのです。

それでも新しい情報の発信場所に偏りがあり、それらを各国語が取り入れる以上は混とんとするのは当たり前だし、何を持って「マシになる」というのか人によっても異なるでしょう。

たとえば質問者様は「英語学習に際して、害しかないのではないでしょうか?」と書かれていますが、それなら習近平をシュウキンペイではなく「Xí Jìnpíng〈シー・ジンピン〉」と書くべきだし、ドイツ語→ジャーマンとすべきでしょう。

でも習近平は漢字なので日本語読みすればシュウキンペイだし、ドイツ語はドイツ人からすれば「ドイッチュラント」なので英語読みのジャーマンよりドイツ語の方が好意を持たれるでしょう。

何でもかんでも英語にそろえる、ということも実は無理があるのです。

英語話者にすれば「英語表記で揃えて、英語読みでそろえる」のは混とんから脱出する近道でしょう(それでも米語・英語での混乱があります)、しかしどの言語話者も自国語に愛着とプライドがあるので「英語表記と英語読みでそろえる」のは文化破壊だと感じる人々もでてくるわけです。(多分フランス人が最も英語化に反対しますよ(笑))

そういう点を踏まえれば、日本はむしろ小池都知事がwhistleblowerとかwise spending使うように「英語を使うとなんか頭よく見えちゃうぞ症候群」を止めるほうが先だと思います。
この回答への補足あり
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No.34 is 33.。

 The difinition of Japanese English pronunciation:
1.is blasphemes either or both of English and Japanese culture.
2.is disturbance of native Japanese tongues to learn English.
3.is inetrruption of understanding something to say native English tongues in English.
4.is hindrance of native Japanese tongues speaking something in English.
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Goodmorning. 。

  Japanese has /a i u e o Q N k s t h m j r w g z d b p/. It has twenty phonemes from "Hansetsu" https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E5%88%87 . English has /ː i e æ ɑ ᴧ ɔ u ǝ ɚ p b t d k g f v Θ ð s z ʃ Ʒ h m n ƞ l r j w x ç/. It has thirty-two phonemes. Japanese is different from English in having consonants and wovels. They combine different syllables. Two language are similar in a part. English does not have mora. Japanese is a ideogram. Japanese has many homonyms. This question is in speaking and hearing not in writing and reading. It do harm to some levels of learner , do good to others and do nothing to the others. Mx. "「昔はよかった」は、所詮年寄りの繰り言か?"https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10955009.html expresses a stereo type reaction as template to Katakana in addition to acronym.
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

どう思う?

Thank you for answering my question.

Yeah, I understand the vast differences between Japanese and English as to pronunciation and I also know the usefulness of what is called "Japanese English" in regard to memorizing and being familiar with English for Japanese people though they aren't usually fond of speaking or writing foreign languages.

By the way, I've been questioning these days
that a deep-rooted problem among Japanese people must be their lack of consciousness toward Japanese English.

There must be difference between speaking it after knowing the differences and speaking it without knowing the differences.

We shouldn't be indifferent to the interesting differences and should be conscious of(interested in) them.

Too many Japanese people aren't conscious of the differences and they even don't try to look up a word
in a dictionary or on the Internet.
Did their curiosity for language die out?

お礼日時:2020/10/25 15:03

phjです。

補足拝見しました。

補足の内容、概ね同じ考えですが、いくつか違う意見なので述べたいと思います。

>やはり、日本人の教養レベルが低下してしまっていることが主因なのではないかと思っています

戦後日本の最大の問題点は「教養と言う概念が無くなったこと」だと、私は思っています。
戦前までの教養といえば、平安時代から四書五経であり、だからこそ明治時代に「経済・社会・思想」のような翻訳が出来たわけですし、四書五経を強要とするから、これらの言葉の本質を理解できたわけです。

しかし戦後は四書五経のようなものを「古臭い」として捨ててしまったため、知識の断裂が起きている、と私は思っています。

しかし、教養層というかエリート層というかいわゆるエスタブリッシュメント層は、それなりの言葉を使えないと社会の実相に迫ることもそれを議論することもできないので、そこに入り込んだのが英語であるわけです。
(実際、四書五経を捨てたので、この時点でエスタブリッシュメントと書かなければならないわけです。これ戦前なら「徳者」で通じたはずです)

このようなことから、官僚など国家を支える指導層はどうしても英語を使わないと表現できないと言う面があることも事実だと思います。

>欧米では、大卒レベル以上の高等教育を受けた人は、言われたことに納得するよりも、その意見に対して「本当にそうなのか?」と疑問視し、調べ、反論し、議論し合い、学び成長する姿勢が備わっているようです。

その通りだと思いますが、ここでも日本との違いがあります。それは「欧米では、エリート層と労働階級がはっきりと分かれている」ということで、たしかに欧米では「調べ、反論し、議論し合い、学び成長する姿勢」があるもの、それはエリート層に限られている、という点を含めないといけないでしょう。

その違いはたとえば「コロナ」のマスク着用に顕著に表れていて、日本人は「かなり基礎素養が高い(教養ではない)」ので、政府の協力で何とかなるのに対して、欧米では「法による強制」が必要で、つまり「労働者階級は考えない」ということでもあるわけです。

 実際コロナの犠牲になったアメリカ人男性は「コロナはデマだと思っていた」などと言っていたわけです。日本人で「コロナはデマ」と思っている人はまず一人もいないでしょう。

>少なくとも日本全体としては、上記のような真っ当な論理力が育っていないと思います。(大学の大衆化も問題。)

なので、マスク問題から見えてくるのは、論理力よりも「論理によって議論しない日本人」の問題だと私は思っています。
 マスクしないで飛行機に乗った人は、欧米的に言えば「言われたことに納得するよりも、その意見に対して「本当にそうなのか?」と疑問視し、調べ、反論し、議論し合い」という立場の人なわけですが、本人も議論下手だったし、対応したCAや乗客も議論より道徳的ルールを優先したので、大騒ぎになったわけです。
 この点は堀江氏の餃子問題も同じで、堀江氏の「食べる時にはマスクを外すのに、なぜ入店時にマスクをする必要があるのか?」と言う点について、店主は全く答えられていないからです。
(全体としての賛否は個々では除外します。あくまでも「日本人は議論下手」という点でのサンプルです。念のため)

>言語で言えば、それ以上調べたり、学んだりして「なるほど、辞書的にはこうなのか~。でも、日本語では、少し違う形で定着しているのか!」といったように

この点で指摘したいのは「言葉と言うのは、符丁でもある」と言う点です。つまり仲間だけで通用する「符丁」としても使われていて、それが後々定着していく、という効果があるのです。

たとえば女性ファッション誌などではすでに「コーデ」と言う言葉が定着しています。これは当然に「coordinate」の訳語『服を合せる・着飾る』の意味なのですが、coordinate自体の意味が本質的に「服を合せる」ではない上に、コーデとさらに訳してしまっているわけです。

これは「私はオシャレにうるさい女性です」という女性誌の「符丁」から出来た言葉であるわけです。

このような言葉の中で生き残ったものが現代で通用する自国語です。たとえば「すてき」と言う言葉は日常的に使われますが、江戸時代の流行語(つまり若者言葉としての符丁)が生き残ったものです。

言葉というのは、こういう形で生まれ定着していくものの方がおおいのです。
だから『飽くまで色々と学び、違いも理解した上で、言語の柔らかさを伴う多様性を感じつつ、豊かな言語活動をすることが道理に沿うのではないか』という認識は私も共有しますが、現実的には無理、言葉のメカニズムはそうなっていないわけです。
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この回答へのお礼

ありがとう

示唆に富むご返信ありがとうございます。
言葉は、私の想像以上に道具としての面が強いな~と感じます。
私の持つような頭でっかちな理想論は、なかなか世の中では通用しないようですね。
まぁ、自己満足でマイペースに考えていきたいと思います。

良くも悪くも等質感の強い日本ですが、

議論好きな考える国-日本-

を目指して、老若男女皆で切磋琢磨して頑張っていけたらなと思います。
p.s.
完全な余談ですが、
新党として、「議論思考党」とか、良くないですか?
なんか、やる気がメラメラ沸いてきました。

お礼日時:2020/10/25 20:43

英語由来を含めて外来語は否定しませんし、ほとんどの熟語は中国からの外来語でもあるわけですし。



ただし、安易に外来語に頼るという風潮にはいかがかとも思います。
昔の日本人や中国人は海外由来のものであってもどうにかそれを和訳、漢字訳をしていたわけです。
中には、型録のような当て字もありますが、その物事を上手に漢字で表していたわけです。
たとえば、baseballを「野球」とかautomobileを「自動車」とかphotographを「写真」などなど・・・・

私として、好きな日本語訳はmicrowave ovenの「電子レンジ」ですね。
レンジは外来語ですが、「超短波オーブン」などとしなかったセンスは凄いと思います。
ただし、この手の全く違う訳語や和製英語のようなカタカナ言葉は時として咄嗟に英語にしづらいというのもあります。
たとえば、"motorcycle"が「オートバイ」みたいなものです。
"auto bicycle"ではまず通じないのではと思います。

話が逸れましたが、日本語があるのに無理にカタカナの外来語を使うという風潮には疑問があります。
"award"は「賞」とか「表彰」などで良いのではと思います。
他の回答でもありましたが、「アポ」とか「アポイントメント」ではなく「お約束」とか「予約」で良いのではと思います。
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この回答へのお礼

Thank you

日本語も十分立派なので、大事にしてほしいですよね。

お礼日時:2020/10/23 16:41

>余談ですが、個人的にvirusは、


>vをuと勘違いした昔の日本人がuirusと
>発音したのではないかと思っています。

年配の人ならご存じと思いのですが、昔は
ビールス(ドイツ語読み)呼んでました。

医学会は1953年に名称をウィルス(ラテン語読み)と決定していたのですが
1955年、政府の発表した医学用語にかんする「中間報告」
の「ビールス」(ドイツ読み)をマスコミが広めてしまったため、
学会と世間で発音が別れるという珍妙な事態となりました。

後に正式発表ではなかった「ビールス」引っ込められ、
学会の「ウィルス」に改められたのです。
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再度失礼します。



カタカナ語は何より、リーディングとリスニングのギャップを拡大しているように感じます。日本語には膨大なカタカナ語があるおかげで、英語にも親しみやすく、読める単語を増やすのも容易です。
例えば、外国に行って ジャムを買うとします。パッケージに
「Myrtille」って書いてあっても、分からないと思うんです。でも、
「Blueberry」って書いてあれば、分かりますよね。 これは 大きなメリットだと思います。

でも、大きく影響するのはリスニングでしょうね。↓の動画の 6:26頃をご覧ください。



animalという単語を「アニマル」と発音していますが、これは発音記号で書くと「ǽnəməl」で、 むしろ「エナモー」に近く聞こえるんですね。ですから、その動画の投稿主も カタカナ語の弊害を受けていると言えますね。
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私が子供だった頃は、多くの大人が「パーティ」や「カーディガン」と言えずに「パーテー」「カーデーガン」と言っていました。

近年、多くの「ブ」が「ヴ」に変わりつつあるように、今後もカタカナ表記は変化すると思います。
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外来語なの。

英語じゃない。日本語なんだから。

あなた発想は、欧米コンプレックスの典型。ここは日本。英語の勉強のために外来語があるわけじゃないので。
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外来語を英語と同じカタカナ語にすると、日本語が可笑しくなってしまいます、テレビやラジオで英語と同じカタカナ語でアナウンサーやタレントが話すと、僕の様に英語に慣れていない人間にはちんぷんかんぷんに聞こえて言っている事が意味が分からないと思います。

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