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いざ自分が子供を持つべき年齢になって、何度も考えるのですが自分達の為ではなく(例えば老後の事、臨終の際、あるいは単に可愛いからetc.)純粋に生まれてくる子の為を思っての子供を産む理由が、どうしても浮かばないのです。自分がこの世で良い思いをしたから自分の子にも、同じような思いをさせてやりたいというのも単なるエゴにしか過ぎないような気がしています。他の事ならともかく一つの命の問題なのでどうしても慎重になってしまうのです。子供をお持ちの皆さんは子供をつくろうと思った時どう御考えでしたか?

A 回答 (33件中1~10件)

No.19です。

あまりにも良スレなので再度お邪魔してしまいました。

”未だ意志決定を持たない命”をゆり起こし、「あなたは100年前後で消えます」と死刑宣告する身勝手さ、重大さ、空恐ろしさ。まったくです。
哲人達が「生まれざれば幸せ」と言いっぱなしで去っていったことからも、子供の意識は別に生まれたがってはいなかったと私は思っています(肉体は生まれたがっていたかも)。
それでも尚「なぜ人は子供を産むのか」?なぜそれを『楽しい』と思えるのか?
お力にはなれないかもしれませんが、私なりにさぐってみました。

私に関して言えば、ことの重さにおののく『理性』(便宜上こう呼びます)を子を持つ幸せをとなえる『繁殖欲』(これも便宜上)が凌駕したからと思われます。『理性』がなくなったわけではなく、『繁殖欲』のプログラムにスイッチが入って台頭し、『理性』の声が気にならないほど小さくなっている感じです。『理性』と『欲』は和解することが 無い ので、多重人格のように共存しています。もし私の『理性』と『繁殖欲』が正面きって意見交換したら、お互い一歩も譲らないから、喧嘩を売りあっているかのように見えるでしょう。
『欲』を満たすことはとても楽しく、人生において不可欠な経験だったと思えるので、事後も後悔はありません。全ては既出の食欲の場合と同じです。

以上に当てはめた場合、BRIO-16さんの『理性』を納得させる理論(考え方)は『存在しない』...ということになります;

BRIO-16さんの中では今、時期が来て頭角を現わし始めた『繁殖欲』に『理性』が困惑しているのかな...なんて勝手な推測をしてみました。そうだとすれば大丈夫。近い将来あなたは自然に、『理性』から見れば思考停止しているとも思える”繁殖欲を主役にすえた人”になるでしょう。『理性』にとっては戦慄の事実ですが、BRIO-16さんにとっては不幸なことではありません。その進行は様々な出来事(人との深い関わりや年齢等)が自然に行うのだし、逆に何かの原因で『理性』が勝ってしまえば『繁殖欲』は鳴りをひそめるので、”考えなくてもいい”ということになるのですね。(考えたいことを”考えなくてもいい”と言う既出の意見に最初びっくりしましたが、言い得て妙だなと。『欲』は感覚なので考えても無くならないし、考えなくても失せる時は失せる...。)

今は『理性』寄りのBRIO-16さんの目からウロコを落とす(『欲』の後押しをする)のは説明的な言葉や文章ではなく、感覚に訴える体験や事象のみ。。。文章でとなると長大な感動名作が必要になってしまうかと。それでも、どちらかが主役をとって気持ちが安定するまで、色々な人と意見を交換するのは良いことですよね。

私の『理性』に言わせれば子供は『繁殖欲』のサクリファイス。私の場合、その罪悪感があるからこそ育児がキツイ時をしのげているような気がします。あまつさえ母の日にかわいい手作りカードなどもらった日には...身にあまる幸せで涙が止まりません。母の愛は無償の愛のハズなのに、おトク感を感じてる私の愛は汚いなぁ。(そんな風に思わないほど、もっとしっかりした『繁殖欲』を持つべき?私が罪悪感の奴隷になってしまうと子供によくないので、何を根拠にと思うほど偉そうな母を演じてはいます;)
不思議なもので、「私がお前(わが子)にずっと笑っていてほしいから勉強しろと言ってるんだ!」「私がお前に長生きして欲しいから夜更かしするなと言ってるんだ!」とエゴ丸出しで叱ると、子供は毒づきつつも嬉しそうに言うことを聞いたりします。逆に言い方に失敗して「お前のためだから...」みたいに言ってっしまった時には、偽善を見抜かれてひどい反抗にあい、コテンパンにされました。

私は今、BRIO-16さんの『繁殖欲』が『理性』と入れ代わろうとする歴史的瞬間に立ち会っている気になっています。BRIO-16さんの『理性』さん、優しいあなたが好きです。BRIO-16さんの『繁殖欲』さん、ようこそ「出産・育児」板へ。『理性』さんが後ろで見張っているから、あなたは子供を大切にし、けれど私物化しない、貴い『母性』になるでしょう。...そんな気分なのですが...全然、的外れだったらごめんなさい><;
それにしてもこんなに理性的なBRIO-16さんに出産を検討させている旦那様は凄いです。そのDNA、この代で終わらせるのは惜しいな~、なんて。。。

蛇足ですが『己の欲するところに従いて法を越えず』は私の理想です。この域に達するには己の「欲」を認めることと「法」を解する理性が必要なのだろうと...漠然と考えました。
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この回答へのお礼

自覚ある慎ましやかなエゴイストさんですね?再度、回答ありがとうございます、お待ちしていました。あなたはやっぱり話せる人ですね。いちいち、いちいち納得しました(皆さんとのやり取りで私の中で機が熟した結果かもしれませんが)。j-momさんの子供に対する態度、きっと素晴らしいんだろう想像します、あなたのような母親に育てられたお子さんは本当に幸せだと思います。今決めましたがこれでこの質問を締め切りたいと思います。本当にありがとうございました。私の中の「理性」が打ち負かされる事を期待します。ただ、まだまだ時間がかかると思います、そうしているうちに子供が産めない年齢にならない事を望みます。今度この「出産&育児」のカテゴリーに戻ってくる時は私が妊娠した時にしたいと思っています。その時はまた宜しくお願いしますね、皆さん。本当にありがとうございました。

お礼日時:2005/02/24 11:32

三度目ともなると、ちょっと気が引けますが三たび、お邪魔します。


そうですかあ、強烈に情熱を感じる相手と、ちゃんと結婚してらっしゃる。ますます謎です。こうした御悩みを抱えずにおられぬ何か個人的事情をお持ちのようですが、それが分からない以上、ズバリ貴方の胸のつかえを取って差し上げることはできないでしょうね。多分お育ちになった御家庭の事情が絡んでおられるのかなと拝察いたしますが・・・。

この自然界の摂理に対して異存はないと仰る。詰る所御自分の御考えひとつが問題であると。
それなら他の回答者もおっしゃっているように、グチャグチャ考えない、当たって砕ける!
どうも貴方はマジメの上に何かつくと言うか行動する前に考え込むタイプのようですね。まあ私も若い頃そうだったですが。
宗教論はダメだそうですが子ども、または一人の人間、或いは命を生ぜしめるということに対する貴方のその重々しい真剣な、殆んど畏敬の念すら感じられるその御様子は、すでからして宗教的だということに気づいておられませんか?

さっさと行動してしまっている人たちは自然界の公式を、ごくんと飲み込んで自らの体内に取り込み日々軽やかに生きておられるのです。軽やかに、と言うと文句が来そうですが、公式の意味だとか価値に悩んだりはしない。だから貴方が提示なさったような疑問に対して、一笑に付したりイライラする人が現れたりするのです。

「子どもが、いつか大きくなって、有難うと言ってくれたら、それでエゴじゃなくなる」という御意見があったようですが、それでは子どもが「有難う」と言わない限りエゴのままに終わるというリクツになりますね。子の将来において何か取り返しのつかないような不幸が起きてしまったりして「産まないでくれたらよかったのに」と言われたら親は頭を下げて謝らなきゃならなくなる。

また「それでは貴方が子を持つのに正当だと思う理由を聞かせてください」というような御指摘もありました。私のほうからも、あらためて、この質問を貴方に投げかけたいと思います。
どんな理由なら子を持つことが正当化されるのですか?
その理由は現実的ですか?
その理由でなければ子を持つことまかりならぬとしたならば、この世は、どのように変化しますか?

「本当に望まれて生まれてきた子どもが、どのくらいいるのだろうか?」
確かジョン・レノンのことばです。
また俳優の原田芳雄さんだったと思いますが
「子ども産むって、この世に唾つけること」
と仰っていました。
この世を肯定する気持がカケラも持てないなら、こんな世界つぶれてしまえばいい、と思っているうちは子を産み出すなんて、とんでもないことです。
あんまり、いいところだとは思えない、けど、そういうふうに思ってしまう自分を変えたい、変えてくれるかも知れない、そう思って子を持つ人もいる。それは
そういう期待を抱けそうなほどに親になるということが人生における大事件だからです。

貴方は私が子育て中の人を冒涜しているのでは、と仰った。
私は自然の摂理とは、そんなもので、ぐちゃぐちゃ悩まないからこそ子を産み落とすことがしやすいのだと現実を掛け値なしに表現したまでです。
ところが貴方は「冒涜」ということばを、お使いになった。いかにも自然の摂理に対して敬虔でいらっしゃる。それならなぜ、その自然の摂理に有り難く従わないのか全く持って不思議です。

繰り返しますが貴方の内部の正義感や疑問には、これっぽっちも気にかけず自然は、きょうも働いている。この世界に価値を見出せない、或いは子を持ってからの取り返しのつかない失敗を恐れるなら皆さん仰るとおり子を持たないことを選択なさればいい。しかし時間が迫っている・・・と迷っておられるところをみると、どうやら、この世に対する嫌悪感は、さほどでないらしい。それなら、ドアを開いて次の部屋に入ってみる。でなければドアを開けもしないで、どんな部屋か想像しているだけに過ぎない、と他のかたも仰ってるでしょう?

子を産み落とすのは親の自覚抜きにしても「リスクを伴う賭け」なのです。無理に参加することはない。少なくとも私と違って貴方には選択権がある。すでに産んでしまった人たちは賽を投げてしまったのです。

いずれにせよリスクを恐れる人に賭けを勧める人はいませんよ。
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この回答へのお礼

何度も回答ありがとございます。sirayukihimeさんの回答はいつもズシンときて受け止めるにもお答えするのにも時間と体力を要します。とても聡明で優しい心根を持った方だと思います。とりあえずお答えしておきたいことを書きます、何かあれば補足として追記させていただきます(何しろ文章が濃いので考えるのに時間を要しますから)。
sirayukihimeさんの視点は私が最も言いたい事と微妙にずれているように思うのですが、私が言いたい事はこうです。「一つの人格を持った一個人を自分のエゴで誕生させていいのか」ということです。sirayukihimeさんのおしゃる事は私が何か特別な環境で育ちこの世の中に否定的でこんな世の中に子供を産み落とせないと考えていらしゃるようにとれるのですが、私が一番言いたい事はこの世の中というより一つの人格という事についての認識なのです。人格の尊重というか、生命を誕生させる理由がこちら側のエゴ(都合とでもいうのでしょうか)でいいのだろうかということです。だからといって一つの人格を生み出す正当な理由が私にあるわけではありません、だから私はまだ子供を産んでいません、それを考え続け何かヒントがいただけるかもということでここにも質問しました。私がこの事にここまでこだわるのを理解に苦しまれる方は、何か他に理由があるのだろうと思われているようですが、ポイントは自分の子供を一つの人格としてみるという事なのです、しかも本当の意味で常識の壁を一つ超えてそのポイントを眺めると何やら絶対に納得出来ない世界が広がるのです。私の全ての行為は私に責任が帰結するから何の問題もない、ただし子供を産むという行為は唯一私に責任が及ばない第三者の人生を私の行為が引き起こす事になるのです。前にも書きましたが私は自分の行為に対してそれほど深く考え込むタイプではないと思っています、ただ他の人格、生命を存在させてしまう結果となる行為に対して(そしてその行為が自分達の都合という事ならばなおさら)慎重にならざるおえないのです。sirayukihimeさんの私に対する疑問はこれで少しは解けたでしょうか?あなたは私に勇気を与えようとして、色々と説得して下さる本当に心の優しい方だと感じました(明からさまではないですけど分かる人には分かります)。ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/24 10:31

№22、25の者です。


あなたの『真意』についてですが、私なりに解釈できていると思います。
あなたはきっと「欲しい、欲しくない」と言うところではなく、また別の時点にいらっしゃるのでしょう。
「子供を産む」ということが世の中で自然なものとされ、平然と行われていること自体に疑問や違和感をお持ちなのでしょうか。
そしてあなたが疑問を持ち納得できずに踏み込めずに(または踏み込まずに)いるそのドアの向こうで、既に踏み込んでいる人達の、その踏み込むに至った経過や動機、気持ちが理解できない故の質問だったのかと解釈させていただきました。
そして経験者の意見を聞けば自分なりに納得のいく答えのようなものが見つかるかも…と。

確かに、私も子供を産み育てるということに不安を持たなかったと言えば嘘になります。
自然に任せたとはいえ、何も考えずにその時を待っていたわけではありません。
理屈では言い表せない(あるいは言い表すことが難しい)、不安や疑問をもものともしない衝動に動かされたと言うべきでしょうか。(日本語が正確ではないかもしれませんが…。表現の仕方がこれしか思いつきませんでした)
私はその衝動こそが『本能』から来るものだと思っています。
「子供が欲しい」と願うには人それぞれ理由があるようですが、その欲するという衝動も『本能』から来るものかなと、私の中の理論ではそう結びつけてしまうのですが。
あなたの質問に答えるなら、私にはこんな事しか言えません。
あまりお力になれず残念ですが…。

あと「私のもの」という件についてですが、
例えば、子供が自分の母親が別の子供を抱っこして可愛がっている。それを見てヤキモチを妬く。
これは子供の中に「その人は自分の母親だ」という母親を自分にとって特別な存在だとする意識がある故のものだと思います。
それと似たようなもので、親にとっても自分の子供は自分にとって特別な存在になるのです。
そこには、我が子に対する愛情と責任があるからこそです。
それ故にあなたに、時には「私のもの」的な印象を与えてしまったりするのでしょう。
中には強く「私のもの」と思っている人や、極端には完全に「私物化」してしまうような人もいるかもしれませんけど。
何処までが「我が子に対する愛情や責任」の範囲でどこからが「私のもの」的な範囲になっていくのか…。
子供との関わりの中で、その線引きはとても難しく、重要な問題ですよね。
線が薄ければ「私物化」といった危険性もあり、逆に濃ければ「他人」のような関係になってしまう。
既に子供を持ち育てている私には肝に銘じておかなければならないテーマだと思います。
きっと「この濃さが丁度良い」というのも人それぞれなのかもしれません。

すいません。
BRIO-16さんからのお礼の中で気にされていたことがあったようなので、その返答と思い書き始めたのですが、またつい長くなってしまいました。
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この回答へのお礼

何度も回答本当にありがとうございます。もうここまで来ると皆さんの子供を持った動機一つ一つが貴いように感じ、私なりにこの質問をして本当に良かったとしみじみ思うのです。私のようなものが皆さんの子供を持つに到った動機について一言たりとも口を挟んではいけないのだと分かりました。これが分かったのも何度も書き込みを通じてお互いの意思の疎通を深めていった結果だと勝手ながら思っています。どうぞコミュニケーションの否定だけはお許し下さい。(「『ありがとうございました』だけでいいでしょ」という意見もありましたが私にとってそういう意見は強圧政治に繋がる思想のように思われます)失礼があったことを改めてお詫びしたいと思います、本当にすみませんでした、そしてありがとうございました。「自分の子供を自分のものと思う意識」については、これもそうなのですがchuruchaさんのようにちゃんと考えていらっしゃる方に私が何かをいう資格はないだろうと思います、ただchuruchaさんにではなく私の考えを単に言わせていただければ、やはりNo23さんの考え方が私にはぴったり来るようです。もし本当の意味でこのような心になれるなら、churuchaさんが言うような「他人」のような関係どころか、親は子供に対しより深い愛情と責任を持つようになるだろうと思います。前にも書きましたがこれは非常に難しいことだとは思うのですが。
私の真意についてはかなり近いだろうと思われます、一つ強調したいことはこの質問によって世の中に異議を唱えるとかではなく、多くの意見により自分に起こった疑問の解決の糸口をみつけたいという個人的なものなのです。私も長くなりました、おつき合い頂きありがとうございました。

お礼日時:2005/02/24 09:06

先ほど投稿させていただいたときは時間が急いていて十分に書き込めなかったのですが・・・もう少しだけ、お話したいと思います。


いかがでしょうか、まだまだ御考えは、まとまりませんか?でも確固とした答えなど出るわけないじゃないかとも思います。

現実に子どもつくるって行為はモノの分かった立派な成熟した人がつくりますか?むしろ、あんまり難しいこと考えず徹底的に悩み抜きもせず、好きな相手が現れたら楽しく(そうじゃない人もいるでしょうけど)生殖活動に励んで、できたから、おろす理由もなければフツーに産んで、できる限り懸命に育てていく。もし恋愛とかセックスの快楽が伴わなければ、いったいどれほどの人が子をなそうと努めるでしょうか。恋愛もセックスも本来は子づくりに向かわせるための前払い報酬みたいなもんでしょう。例外的なケースは幾らか見受けられても、人並みの人生送れるように生まれついてる人は殆んど成り行きで子を産むのです。それに、そういうことでもないと苦労らしい苦労もしないで終わるでしょう。だから昔から子ども持って一人前って言われるんだと思います。逆に人並みでない人生であるほど子ども産みたいと、ものすごく拘ったり(それによって自分も人並みに仕合せなのだという証しを得るように思うのでしょうか)そのくせいくら努力しても授からなかったり。逆に子ども持ってはいけない!と頑なに拒んだり。

でも個人の思想がどうであれ結局のところ縁があるかないかということだと思います。それなら、なるほど悩むだけ無駄なわけです。

宗教的な立場でいうと子を持って親は修行とし自分の視野を広げ己を律することを学んでいく。負うた子に鍛えてもらうわけです。これは親サイドの問題。
一方、子のほうも実は母親の腹に宿る前から自分で生まれる場所を決め修行のやり残しを片付けるために生まれて来ると言う。そのプロセスや結末が、どのようなものであれ、これは子どもサイドの人生。だから子は親の私物ではないし子はこの世に生まれ落ちるために、そのからだを借りた親に恩がある、という。我ら凡人に確かなことなど分かりません。だからこそ謙虚であるしかないのです。

私自身、若い頃は「子を産まないのが子どものため」などと妙なことを考えていました。「親になる資格あるのか考えてから産んだら?」とか。
自然が「産んでよし」と許可すれば、それが資格であり親になって、そこから子と共に成長していくのでしょう。また、そうでなければ産んだ甲斐がないと言うもの。ですからエゴを出発点として子を産み落とした者は責任があるのです。子のため、自分のために。一生懸命育てたらエゴでなくなるという問題ではなくて。エゴだからこそです。もしエゴなど無関係に、生まれて来ることそのものが子にとって無条件に有り難い事なら親は産むだけで事足りましょう。必死で子を育てなければならない義務などないはずです。

貴方が貴方一流の正義感や倫理観や疑問でもって異議を唱えてみたところで、この世界の自然の仕組みというやつは「これでいいのだ」と生き物たちに産ましめる。それに真っ向から立ち向かい反抗する道を選ぶのもヒト族の雌ならでは。それもよし。昔は子を産めない女というのは「産まず女」「石女」と言って蔑みの対象だったと聞きます。現代は幸いにして個人の意思表示や女性の選択権が一応は確保されている時代です。それもこれも長い歴史のなかで流された多くの血と涙の積み重なりがあってこそでしょう。

貴方が子持ちの人に対して「子を産むってエゴじゃないですか?」と問うのは子を持たない人に対して「なぜ子ども産まないの?」と聞くのと同じことですよ。と言うか産んでしまった人は、もう引き返せないのだから肯定していくしかない。

貴方は子どもつくる相棒がおられるのですか?彼に対して強烈な情熱があれば「子ども持っていいのだろうか」と悩まれるはずないと思うんですが。そのくらい自然や本能の力は凄まじい。善悪は通じない世界です。

この回答への補足

非常に誤解を受けやすい表現をしてしまったので訂正します。既婚者というのは「私が」という意味で、つまり私が強烈な情熱を持つことができる人と私は結婚しているということです。分かりずらい表現、すみませんでした。

補足日時:2005/02/23 18:08
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この回答へのお礼

再度、回答ありがとうございます。sirayukihimeさんの意見、共感を感じる所もありますが、今現在子育てに必死に取り組んでいる人たちに対して冒涜しているようにも感じます(私の質問自体もそうかもしれませんが)。間違えた結果とはいえ「出産&育児』のカテゴリーに来てしまい皆さんの生の声を聞き、大変さを感じてみて私なりに皆さんの必死さが分かったつもりです(ほんの少し感じた程度でしょうが)。sirayukihimeさんの意見に対する皆さんの意見も聞いてみたいなとちらっと思いました。縁が有るか無いかというのは以前もどなたかが書き込まれた運命論に近いものでしょうか?運命に対して私は謙虚でありたいと思いますが、宗教論は全然駄目です。ただ一つ、仏教では究極的には子供を作らないことになっていますよね?専門的なことに興味は無いのですが、その辺は通じる所があると思っています。
分かっていただいてるとは思いますが、私はこの世界に異義を唱えているのでは無い、私自信に起こった疑問をなんとか払拭したいだけです。善とか悪とかでももちろんないのです。私には強烈な情熱を持つ相手がいます(既婚者です)がだからこそ余計、真剣にこの問題に対して悩んでいます。(詳細を書くことが出来ず申し訳ありません。)

お礼日時:2005/02/23 14:58

質問者の方の回答を拝見すると、なんだか


親が子供になにかを期待して子供を産むことが「エゴ」と考えられているように感じました。、(それは、ここの多くの回答者の方の感想や体験に対する質問者さんの回答で多々感じるんですが)
でも、子供に何かを期待しないで、漠然と子供を産む
なんてことがあるんでしょうか?
もし、親の子供に対する期待や希望をエゴというなら、エゴの無い人が産んだ子供、つまり親の期待や希望を持たれない子供さんは、むしろ可愛そうなんじゃないかしら?
エゴの言葉の定義がよくわからないんですが、
質問者の意味する「良いでも悪いでも無いエゴ」は、子供を産む上で必要なエゴいわゆる、必要要素なんじゃない?
あなたは、子供を持ったことがないからわからないかもしれないけど、エゴなんて事いいだしたら・・・

・親が、願いを込めてつける子供の名前もエゴ
・親が、習い事をさせるのもエゴ
・親の好きな服を着せるのもエゴ
・etc
子供を産むこと自体だけじゃなく、産んだあともエゴだらけですよ!
>疑問を感じている
とのことですけど
産むこと自体に「~でなければならない」なんて
定義があるとは思えません。

重要なのは、
親として産んだ後いかに、子供を責任を持って育てるかだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。ほんとエゴだらけですね。でも何が重要なのかは人によって違うんじゃないですか?

お礼日時:2005/02/23 13:33

№17で書き込んだ者です。


どうも気になる質問だったので、また来てしまいました。
とてもたくさんの方がご覧になっているみたいですね。

前回は、『私の』子ども(親の所有物)という観点から質問をされていると感じたので、それは違うと思いますよ、それこそがエゴで傲慢だと思いますよ、と書き込みました。
ですがそれは私の勘違いで、あなたは全く反対の観点からこの質問を投げかけていらっしゃったようです。
失礼をお許しくださいね。

№23の書き込みを読み、自分の考えに近いものを感じました。
その命は私の体を借りて出てきただけであって、親の物ではないということ。
授かった命を預かり、育てているということ。

あなたが疑うことなくそう思える環境にいたならば、今回のような質問は出てこなかったかもしれませんね。(いや、わかりませんけど)

あなたの周りには、自分の子どもだけを傘に入れ、その雫がよその子どもの服を濡らしていることに気づかない親ばかりですか?

また本題から外れているかな?『広く意見を』ということで、お許しを。

単なるエゴから出発しても、ひとつの命と向き合っていく中で納得する答えが見つかることがあるかもしれません。
何も考えず育児をすれば単なるエゴのままで終わるかもしれません。
『だから試しに産んでみろ』ということではありませんよ。(念のため)

あまりお力になれませんでしたが、納得のいく答えがみつかるといいですね。
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この回答へのお礼

再度、回答ありがとうございます。この問題に始めにひっかったのはもうかれこれ10年以上になりますが、色々と自分なりに答えを探そうと本を読み漁ったこともありました。その中にNo23さんがおっしゃったのと同じ主旨の子供に対する考え方が載っていて私の気持ちもそれにぴたっとはまりました。ただ前にも書きましたが本当にそれが実践出来ている人を私は知りません。もし私が親となったらもちろんそうするように努力するでしょう。でもそれは本当に難しいことだと思います。いざ子供を作ろうと思う時そんなことだけではないもろもろのエゴが自分の中に見え隠れします。

お礼日時:2005/02/23 13:12

すごいたくさんレスが寄せられてるので締め切ってしまわれないことを祈りつつ・・・。


いやいや貴方の御気持は分かりますよ。けどね、人生に対して肯定感を素直に持ってらっしゃるかたからは子産みについても肯定的な意見しか出るわけないんです。人生やこの世に価値を感じない人が子ども産み落としたら、それこそ無責任人間だって自分で認めなくちゃなりませんから。

エゴって本能のなせる業でねえ、本能とか摂理に対して良し悪しを言っても仕方ないんですよね。そういうふうにできているんですから。

女子プロレスの何と言ったっけ、お父さんがアメリカの黒人さんで母子家庭で子どもの頃「勝手に産んだ」って、お母さんを、責めたそうなんです。したら、お母さんは「ああ、勝手に産んだよ、それがどうした!!」とかって仰ったそうです。そういうことなんですよ。私なんか親に「お前がいるから、お母さんはお父さんと別れることもできない、産むんじゃなかった、できそこない!!」って年中言われて育ちましたよ。おまけに親の不注意で障害持ちです。子は親の私物じゃない、当たり前です。子どもを利用して男に結婚迫る女もいる。子どもを不幸にしてやれなんて、そこまでは思わないでしょう、けども子の未来に、どんなむごい出来事が待ち受けていようと親は防ぎきることできない、早い話、見切り発車してるわけです。でも、それで子孫が続いていくことを自然界は許しているのです。貴方が「私は納得いきません!」って叫んだところでゴマメの歯軋り、大自然の摂理相手にケンカ売ってるようなもんですよ。

それと経験者にお聞きなさってるようなので産んで当然みたいな回答が多いようなのももっともですが私みたいに産めないからだになっちゃったのもおりますよ。だから経験者じゃないんですが・・・スビバセン。お詫びと言っちゃなんですが哲学カテゴリーで貴方と同じような質問してらっしゃる男性がおられました。『人生が苦であるなら』。私もレスしております。多分いろんな回答、このスレッドにいらっしゃったかたがたよりも、もっと幅広い立場のかたが意見を寄せておられますので貴方にとっても御参考にしていただけると思いますよ。どうぞ一度覗いてみられてはいかがですか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
まずはじめにsirayukihimeさんの貴重な体験談をおよせいただいたことに対しお礼を申し上げます、すぐには申し上げる言葉が思い付きませんでしたが、あなたの勇気に感謝と尊敬の念を表します。
もちろん出産経験者でない方の意見も大歓迎です。むしろはじめは幅広い層の意見を聞くために質問しました、「出産&育児」のカテゴリーにしたのは私のミスと言ったのはそういうことです。紹介していただいたレスも覗いてみようと思います、ありがとうございました。
私の疑問はエゴそのものの善し悪しを言っているのではなく、自分のエゴで他の人格を誕生させることについての疑問です。子供と言う一見自分のものと思われがちな、けれど立派な一つの人格に対する認識です。子供が一つの人格なのは当たり前とおっしゃるかもしれませんが、本当の意味でその事を理解し、その事を考えて自分の子を産んでいる人がはたして何人いるでしょうか?(sirayukihimeさんのお母さんのような方は以外に多く日本には存在すると思います)その疑問と私自信がどう向き合うべきか、そういうことなのです。

お礼日時:2005/02/23 12:18

NO13です。

 沢山の意見がでてますね。
「エゴだと感じるなら生まなきゃいいし、人それぞれだよ」って、私はある意味突き放した意味合いで優しく言ったつもりで書いたのを、(たぶん会って話してたとしたら、笑顔だったと思うよ)ヒステリックと解釈するあなたの内面がかなりヒステリックなのだなあと解釈しました。
あなたの質問は「人は何故子供を持つのか?」です。
皆素直に実体験を話しているのに、「軽い考え」とかどうの言うから多分皆、少なくとも私はうんざりしたのが事実です。
自分が自由に人生を生きたいのなら、人の人生をまずは認めましょうよ。
そして本題に戻りましょう。
何故生むのか?
まあ普通に人は恋愛して、結婚して自然に子供が欲しくなり生むのでしょうねえ。「何々の為」じゃなくて自然に健康なだけですよ。
「何々の為」はエゴかもしれないけど、自然なんですよ。
例えば恋愛してていちいち理由いらないでしょう。それに「跡継ぎの為」「私に似た美しい子」「2人に似た頭脳明晰な子」とかどんな理由があったって
、その本人が自分の責任において生むんだからいいんじゃないの?
 あなたの人生じゃないんだから、あなたがいちいち「軽い考えですねえ」とか「私の言いたい事解ってくれるでしょうか?」ってんのは無意味だし甘い。
人は考え方みんな違うのだから、「回答に対するお礼」が「回答に対する批判」になってるのってまずいんじゃないの?
子供生む事に疑問感じるうちは生まなければいいんじゃないですか?
母のエゴだとしても私は生むと決意したら生めばいいし、確かに子供「生める」というのは、女性にとっては凄い特権だと思うけど、生めなくなる年齢があるから、真剣に考えるのは良く解ります。
今生める年齢だから、この会話成り立つけど、実際に年齢だけじゃなくても「子供欲しくても出来ない」ってあります。「お母さん。私を生んでくれてありがとう」ってもしも子供が言ってくれたら、それはエゴじゃなかったって事になるんじゃないかな?
あなたのお母さんに聞いてみました?
「何故私を生んだのか?」って。
あなたをこの世に出した「原点」である母ととことん話してみたら?
エゴに過ぎないとあなたの質問にあるけど、人間はエゴなのです。あなたは肉食べます?
その為には豚なり牛が殺される時、悲鳴あげる見返りとして、人間は美味しいもの食べる。
現実、親が居て、子供が居て幸せな家族が沢山あるという事です。
あなたの潜在意識の中に「自分の遺伝子を残したくない」ってありません?
それとも周りに子供いる事により、親が苦労したり子供が惨めだったりの家庭が多いのですか?
あなたの人生だからあなたが好きに生きたらいいだけです。

この回答への補足

何度も回答ありがとうございます。もちろん私の中にもヒステリーはあります、でもguntoさん程ではありませよ、あなたの文章は抜きん出ています(笑)。それに「多分会ってたら笑顔だったと思うよ」という自分勝手な発想も際立っています(なにしろネットは文面でしか伝わらないものですからね。)でもきっと優しい人ではあるんでしょうね、あなたのようなタイプ、私は好きです。
人の人生は認めています、否定したことはないつもりです、以前も書きましたがネットだからこそできるストレートな意見を尊重しています。文面で伝わる限り軽い意見だったのでそう言ったまでです(意見を何度かやりとりする内にそうではないことも判りました)。あなたが今回書かれて来たことは以前すでに私なりの意見を書かせていただいた事ばかりでここでは繰り返すつもりはありませんが、私は批判をしているつもりもありません。多分あなたのような人の口癖は他人に対して「甘い」だろうと思います、まあそれはともかく本題に入りますが、『あなたの潜在~ありません?』→それはあるかもしれません、それは自分の存在を肯定出来るかどうか、この世の中を肯定出来るかどうか、非常に哲学的な問題を孕みます、前のお礼にも書きましたがそれこそ複合的な要素が絡み合っていると思います。あなたのシンプルな発想(「自然に子供を産む」と言うことに対しても私なりの意見をNo25に書き込ませていただきましたので好かったら読んで下さい。)にはこの答えでは満足出来ませんか?
『それとも~多いのですか?』→幸いなことにそういう家庭はないのです、あからさまな意味においては。
『人間はエゴなのです』→それを正面から捕らえていただければ私も納得です、エゴで子供を産む(何度も何度も書きますがエゴそのものは良い悪いではないのです)、自分のエゴで一つの人格が誕生する・・・私は私の人生だからあなたに言われなくても好きに生きますが、私自信に責任が振りかかってくることにのみ限定してあなたのいう「好き」に生きられるものと思っています。ああそれと『本人が自分の責任において産むんだからいいんじゃないの?』とありますが私は一度も産んじゃダメなどとは言ってませんよ、勘違いのないように、私自信の問題なのですから。私が抱えている疑問に多くの方々の意見を伺いたかっただけですから、決めるのは自分だということも分かっています。
質問すること自体を否定するならこのサイトそのものを否定することになりますね。言い逃げにはなりたくないのでもう少し締め切らないでおこうと思います。

補足日時:2005/02/23 11:29
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます、長くなりましたので補足に書き込ませていただきました。

お礼日時:2005/02/23 11:35

№22で回答した者です。


再度書き込みします。
そうですか。
ガッカリさせてしまったようですね。
私なりに正直な気持ちを書いたのですが。

きっとBRIO-16さんの周りの子育て経験のある方には子供を私物化している人がいて、その人達と話しているうちに「え?子育てってそういうものなの?それってエゴじゃないの!」というところから『子供を産む=エゴ』というようなお考えになったのでしょうか?
(私の推測ですのでまたガッカリさせてしまったら悪いのですが…)

確かに子供を私物化している方っていると思います。
私もそういう子育てには疑問を持ちます。
でも、子供の人格を自分とは別個人の人格としてとらえ、子育てをしている方ってBRIO-16さんが思っているより多いと思いますよ。
私の周りには私物化しているような人はいませんし。

確かに今の子育ての環境って不安な要因が多いように思えます。
テレビ等でも悪いニュースばかりで親としては不安になります。
誰も自分の子供を加害者や被害者にしたいなんて思っていないのに、子供が犠牲になる事件の犯人もかつては誰かに育てられた子供だったはずで。
犯人の生い立ちなどをテレビでやっているとあまり良い環境じゃなかったようなことを言っていたりすると、もう自分の子育てだけの問題じゃないような気がしてきて…。
この話しをし始めるとまた長々と書いてしまうので…。

BRIO-16さんとはきっと違い過ぎるところにいて解り合うにはきっと時間がかかるのでしょう。
これは別個人であれば当然だと思います。
それは親と子でも同じで、きっとあなたにお子さんが出来て、あなたのお子さんがあなたとは真逆の考え方をお持ちになったとしたら、それも解り合うまでには時間がかかるのでしょう。(どの親子でも同じですが)
でもこのカテゴリーに質問したことはミスではなかったと思いますよ。
BRIO-16さんなりに得たものはあったのではないでしょうか?
そしてあなたの質問で私達子育てしている母親達が得たものもあったと思います。
私もこの質問を見て考えたことで子供との接し方を再度確認することが出来ました。(これは私の中の問題なのですが)
子育てをしていると一つの考え方を持って子供と接していても、それが正しいのかどうか不安になることがあります。

結局、また長々と書いてしまいました。
いつかあなたなりの答えが出れば良いですね。

この回答への補足

guntoさんへ
No25と書きましたがNo24の間違いでした、すみません。
charuchaさん、ごめんなさい。勝手に補足欄を使ってしまって。

補足日時:2005/02/23 12:33
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。がっかりなどはしていませんよ、ただ何度も同じ事の繰り返しになると思ったので説明は控えさせていただきました。以前質問された『真意』に私は答える事ができたでしょうか、少し気になっていました。物事は複雑でこれはこうだからこうだと一つの理由で全てが決まる事ではなく複合的に色々な要素が絡み合います。私が「子供を産む=エゴ」と考えるに到ったのはそれこそ様々な要素があったからだろうと思います。(それと前回の書き込みに書き忘れた事なのですが「エゴ」を私は良いものとも悪いものとも捕らえていません、以前にも書きましたが。ただcharuchaさんのおっしゃるように言葉の響きそのものにはネガティブなものがある事は認めます、念のため。)子供を私物化するという事についてですが、私の周りにもあからさまにそのようにしている人は少ないのです(若干はいますが)、問題はよく見ていると無意識にそういう意識があり、時によってそれがでてくる事があるということです、だから私もそういうタイプと区別するためにあえて「私物化」という言葉は使いませんでした。口では子供を一つの人格と認めていても実際、無意識に子供を自分のものと思っている人が多いという事です、問題はむしろこういう人たちだろうと思います。
「この質問を見て考えたことで子供との接し方を再確認できた」という事ですがこれに優る喜びはありません、もちろん私の方では得られたもの考えさせられた事は計りしれませんが、子育てに忙しい皆さんに対して迷惑を掛けたのではないかとカテゴリーミスに対して反省していました。本当にそう言っていただきありがとうございました。

お礼日時:2005/02/23 09:57

saori429です。



お礼の中に「?」があったので、返答させていただきます。

>一つの生命、一つの人格、一つの人生を生み出すという事、そして基本的にその人生に対する責任を私が負う事が出来ないという事、これには慎重にならざるおえません。

>私の意見に違和感を非常に感じるという事ですが、私の言いたい事は理解して下さったでしょうか?

はい。
おっしゃりたいことはよく分かりました。
理解できているつもりですよ。

それに対して私なりにも一生懸命考えました。
今現在意思をもたないひとつの命を産むための純粋な理由というを考えたのですが、やはり私が考える=私の意見=エゴとなってしまうようで、回答は得られませんでした。
きっとBRIO-16さんも、そうやって堂々巡りになっているのでしょうか?

確かに生まれてくる命には責任を持たなくてはいけません。慎重になるべきことだと思います。(最近は無責任に産んで、虐待、殺害などのニュースも多いですし)

「自分の言動は基本的に自分に責任が必ず帰着する」とBRIO-16さんは考えているのですよね。でしたら、お子さんを一人の人格として認めるならば、人生に責任とおっしゃいますが、それは自分で責任を取れる年齢まででよろしいと思います。
そこまでに、いかにたくさんの喜びを与えてあげられるかが、いけないことをいけないと教えられるか、それが親としてしてあげるべきことと思います。

子は我が物ではない、その通りです。
子は子の人生を楽しむ権利があるとすれば、それは生まれなければ味わえないものです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます、何度も解答していただき本当にありがとうございます。短い期間ではありネットという相手の顔も見えない特殊な状況ですが、親切に(時には厳しく)回答を下さる皆さんに(一方的かもしれませんが)親近感を感じています。私自信この問題を長年考えて来ましたが、こんなに濃密にこの問題に対して向き合った期間はありませんでした、このような機会を与えていただき、この場で、回答をいただいた全ての皆さんに深くお礼をさせていただきます。さて本題ですが、『「自分の言動は~あげるべき事と思います。」』その通りだと思います、一度生を受けた命に対する考え方はそれで良いのではないでしょうか、それは私などよりも皆さんの方が遥かに考えられていると思います。私が問題にしているのは子供(一つの人格を)を作ろうとする動機です。そしてsaoriさんがおっしゃるように子供に対する虐待、殺害、放棄などこんなに多発する原因は生命を誕生させる前に「考える」という事が足らなかった結果ではないでしょうか?(私は自分の子供を自分のものと思う意識が深く関係しているともみますが)「子供を授かるのは自然」という安易な前提の前で新たな生命を産むという事に関してあらゆる角度から考えるという事が放棄されているように感じています。

お礼日時:2005/02/23 09:01
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