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藤原家(中臣氏)は、伊勢出身の豪族(王)でしたか?

三重県の知事が、男系を支持していますが、三重県には伊勢神宮があります。

魏志倭人伝
「邪馬台国の南に狗奴国あり。男子を王となす、女王に属さず」

邪馬台国まで南の方位に向かって水行いたことが書かれてありますが、奈良が邪馬台国(大和)だとすると、南ではなく東だったことになり、奈良の東(南)は三重県になります。

またなぜ大和王朝の始祖であるアマテラスを伊勢神宮は祀っているのですか?

A 回答 (2件)

狗奴國の時代に藤原氏は関係ありません。


伊勢神宮は垂仁天皇の代に倭姫が祭ったものです。
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狗奴国は邪馬台国の南にありました。



藤原氏の始祖である中臣鎌足は、藤原氏に代々伝えられてきた、藤原氏初期の歴史が記された伝記である『藤氏家伝』によると、大和国高市郡藤原(奈良県橿原市)の出身とされています。 また大和国大原(現在の奈良県明日香村)や常陸国鹿島(茨城県鹿嶋市)とする説(『大鏡』)もあります。

日本書紀」の神話によると、アマテラスは当初、鏡として天皇と共に大和(奈良県)の宮殿に祀られていました。
しかし、第10代崇神天皇のときに、日本中で疫病が大流行し、なんと人口の半分が死ぬという大惨事が発生。 こうした災害は何らかの事実を元に描かれた可能性が高く、もしかしたら疫病だけでなく干魃などの気候変動も同時に発生したのかもしれません。 災厄は翌年になっても治まらず、時の崇神天皇はあることを思いつきます。
「私と一緒の宮殿に、アマテラスと大和の地主神(ヤマトノオホクニタマ)の2神が祀られているのが原因ではなかろうか」と。
当初、一緒に祀られていたこの2人の神様は、王朝が調べたところ「実は相性が悪かった」と判断され、このままではチカラの強いアマテラスの祟りが続くのではないかと懸念されました。 そこで新たな神宮を作るため皇族の巫女に「清浄な土地」を探させ、伊勢にたどり着いたのが、崇神天皇の次の代、垂仁天皇25年のことでした。
このときアマテラスは、次のように語ったとされます。
【この神風の吹く伊勢の国は、すなわち常世(現世以外の世界)からの波が打ち寄せる国である。辺境の<うまし国>。ここにわたしはいたい】

以上は神話の話ですが、歴史学的に言うと、崇神天皇や垂仁天皇は実在し、その治世は西暦300年前後と考えられています。 当時の伊勢は、中央ヤマトの影響が到達してない辺境の地であり、時間にして約200年ほど文化の遅れた地域だったからこそ「清浄の地」として認められた可能性もあります。
かくしてアマテラスは伊勢で祀られることになったのです。
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