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 かなり学問的な質問です。

 刑法の中で規定されている内乱罪の規定では、死刑でなければその処罰が「禁錮」になっています。これはなぜ懲役でないのでしょうか。
 内乱を起こそうとした人間に、労役を免除してやるという紳士的対応なのでしょうか。刑法の概説書などもめくってみましたが、これに関する納得のゆく説明を読んだことがありません。ご教示くだされば幸いです。

A 回答 (7件)

ラートブルフは,「確信犯人」に対しては,懲役刑ではなく「名誉拘禁」をもって臨むべきことを提唱し,ドイツ刑法にある時期採用された(下記URLcf)。



と言われています。違法であることを知りつつ行為している者には、そして、苦役で心を矯正できない者には、懲役は意味はないので、(違法とはいえ政治犯において特に)その考え方・名誉を尊重して、拘禁刑である禁固を刑罰とするものです。日本の刑法典は、ドイツ刑法を母法としています。よって、その流れの中で、政治犯である内乱罪に引き継がれているのでしょう。
1の方が思想犯だからと言われているのは、そういうことでしょう。但し、政治的思想とまで言わないと言葉としては正確ではないかと。

参考URL:http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/kotoba …
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>くどいようですが、単に名誉的な扱いをしたいだけなら減刑すればいいわけです。



それはあくまであなたの考えでしょう。否定は出来ません。しかし、国の刑罰なり、その中の法定刑の設定はすべて立法裁量・政策の問題です。「刑罰自体であるレッテルを貼ることが名誉を尊重することになる」という考えもまたあるでしょう。この立場では、たんに刑の減軽では名誉を尊重したとは評価できないと見て、ラベルの段階で分類するのでしょう。そして、その方が判別しやすい。

要するにいろいろな立場が存在し得て良いのです。つきつめて考えるとしても、最後は政策論にすぎないと割り切らないとどん詰まりになります。そして、その部分ではふかい思考をしているようでいて、そのじつあまり実益がないのです。社会で有用な法知識理論を学んでいくうちにそういうことが実感できます。
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>「思想は労役によって変えうるが、労役を課さない


ことによってその思想を尊重する」
・・・そんな発想が根底にあるのでしょうか。

むしろ思想は労役によっては変えられないと見るのでは。

ただ、あなたの言う後段は正しい。民主主義の考え方自体が、本来「寛容」を旨とし、自己の立場を否定するような主義思想に対しても、その存在を肯定する(考え自体としては「尊重」する=価値相対主義)という思想なのです。

闘う民主主義というキーワードがあります。これは自己を否定するような思想に対しては寛容ではいられない、そのような立場は否定するという絶対主義の思想です。いかにも極端から極端に揺れたドイツらしい考え方です。そういう思想のもとでは、名誉拘禁など成り立ち得ないでしょうね。

この回答への補足

 本当に名誉拘禁という考えは寛容の精神に基づくものなのでしょうか?
 
 実は私は疑問なのです。
 カール・シュミットによれば、現代の国家での概念はすべて世俗化された神学概念だそうです。
 こうした考えにもとづけば、殺人や強盗を犯す奴は基本的に同じ神を信仰している仲間のでまだ矯正の余地があるが、内乱を起こすような奴は異教徒=人間以下の連中なので、強制労働による矯正の余地はない、豚みたいなものだからとりあえず閉じ込めておけ、という発想があるのではないでしょうか。
 ようするに、禁錮を科するのは寛容の精神のように見えて、国家による徹底的なシカト作戦のような気がするわけです。くどいようですが、単に名誉的な扱いをしたいだけなら減刑すればいいわけです。

補足日時:2005/03/02 00:18
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以前聞いた話ですが、「破廉恥罪」(道徳的にも貶められるべき罪)には懲役を、「非破廉恥罪」(世が世ならば正当化されるような思想犯・政治犯)には禁錮をもって処罰するのが近代刑法であると聞いたことがあります。


まったくもっての伝聞ですが。
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さらに考えれば、民主主義社会では言論表現の自由の保障のもとに、多数意思が形成され、それが正統性を認証されるはずですが、必ずしも真に「正当」であるかは不明な場合や、限界となる場合、さらには悪法と言われる場合もあります。



そんなとき、究極は革命ですが、そこに至らずとも権力に対峙して軋轢が生まれる場合もあります。内乱はその極限的場合ですが、本当に正しいものかどうかは、後生の批判検証に待たねばならないものもあるでしょう。

だから、政治犯の場合、民主主義の思想自体が、政治的確信犯と言われる者に対して「拘禁刑」を科すという意味では、自らの立場を否定する者に対しても、一応、その思想・考えは考えとして尊重しようとしている寛容な態度の表れと言えます。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。大変参考になりますが、
なぜ労役が加わる「懲役」よりも「拘禁」を科す事が
思想を尊重することになるのかわかりません。
 思想を尊重するならば懲役の年数を減刑するとか、
そういう方向でもおかしくないはずですが。

「思想は労役によって変えうるが、労役を課さない
ことによってその思想を尊重する」
・・・そんな発想が根底にあるのでしょうか。

お礼日時:2005/02/28 21:55

参考URLの引用ですが、



「古くは、禁錮は政治犯や過失犯に科されるもので、懲役は破廉恥罪(殺人、窃盗など道徳的に非難されるべき動機により行われる犯罪)に対して科されるものとする理解があった。その名残りとして、政治犯的性質を持つ内乱罪の法定刑には懲役がない。しかし、現代においては必ずしもこのように解釈されているわけではなく…」

とありますので、「悪い事してやろう」と思ってやったわけではない(のでそんなに悪くない)という理屈でしょうか。

参考の後では法務省刑事局長が国会で
「御承知のように禁錮刑というのは一種の刑罰ではありますけれども、いわば名誉刑とも称すべきものだという考え方のもとに、主として過失犯ないしはいわゆる政治犯と呼ばれるものについて禁錮刑を科すというのが、世界刑法の共通の考え方でありますし、またわが刑法も、沿革的にもそういう考え方をとっておるわけでございます。」と答弁しています。


 また、「懲役にすると、他の服役囚との接触が増え、危険思想を蔓延させる可能性がある」という説も聞いたことがある気がします。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E9%8C%AE, …
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この回答へのお礼

的確な回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/28 21:49

思想犯だから。

この回答への補足

ご回答感謝いたしますが、
なぜ思想犯は禁錮なのかを質問しているわけです。

補足日時:2005/02/27 00:58
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