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壬申の乱、関ヶ原の決戦、源平の闘いなど、関東と関西が天下統一を巡って激突する戦いはほぼ関東が勝っている印象ですが、
逆に関西が勝ったケースって、板東の将軍、平将門を倒した戦い以外でありますかね?

A 回答 (2件)

> ほぼ関東が勝っている印象



これが間違い。思い込み。

まず神話のヤマトタケルは、奈良の大和朝廷の権威と権力が日本全域に浸透していく様子を物語っているし、日本全国の神社は、各地の豪族が大和朝廷の支配下に入った事を示している。

壬申の乱は、内乱の勝者は結局は畿内に戻ってきた。

平将門の乱は平定されてしまった。

源平の戦いは、源氏が平氏に勝利したものの、権威は京都の天皇が持ったまま。また源氏の支配地域は東国一部地域に限られていた。

豊臣秀吉は全国統一の過程で、関東の北条を攻め滅ぼしたし、東北の伊達は臣従させた。

明治維新は、薩長土肥が江戸幕府に対して勝利したクーデター。
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明治まで関西に天皇陛下がいたので政治の中心の一つでした。


政権を奪取するときに大きな戦いで負けて政権が交代したのだから
天下統一の戦いで負けたように見えるだけです。
関東が勝てなかったら中先代の乱のように内乱扱いです。
鎌倉幕府の滅亡や明治維新では関東が負けています。
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