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ふと思ったのですが、幕末までの日本の有力者の血統って、古墳時代とかまで遡っても高貴である事が殆どなのでしょうか?
皇族公家は当然だとして、かなりの割合で存在した武家ですら世襲制で、それは鎌倉時代より前まで遡るのですよね?
その武家の出自は源平藤橘、その他豪族、地方官であったりと言われています。
この国では一度も階級闘争などが起きずに、元々血筋が良い者だけが政治を動かしてきたのでしょうか?
実力者が身分に関係無く台頭した明治維新でさえ、下級武士という支配階級の末端が殆どです。

A 回答 (8件)

お子様に反論するみたいですが、すぐ思いつくけど、じゃ、秀吉は?


殆どと言ってるとは言わないでよ。
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血筋が良いものが政治を動かした、というより、


有力豪族達や、秀吉に代表される成り上がりや下剋上でのし上がったもの達が、
後付けで、有名どころの子孫を自称した、というのが正しいのかも、
現代みたいにDNA鑑定とかないし、養子の場合もあるし、結構言った(名乗った)もん勝ち、的なw
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公家も武家も、人の上前を撥ねています、そこいら辺のやくざもんと、


何ら変わりないでしょう、人の上前を撥ねる御方が高貴なんですかねぇ。
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実は戦国時代以降、武士身分の間では無視できない規模で系図の改ざんが行われていまして。



有名どころだと織田信長は初期には忌部氏、あるいは藤原氏を称していましたが後に平氏を称した、などの例があります。どうやら、ある程度の勢力の武士であれば源平藤橘の四姓のどれかを名乗るため、これらいずれかの家系につながるように書き換えを行う系図の改ざんが行われていたようです。

また、安土桃山時代に至るまで、武士と農民との境界線が非常に曖昧であったことも忘れてはなりません。戦国末期ならばともかく、どこからが武士でどこからが有力農民であるかは、一義的に線引きできなかったりします。
(豊臣秀吉が若い頃、木下藤吉郎と名乗っていた時期の前半、弟の小一郎(のちの秀長)は郷里で農民をやっていたりします。藤吉郎が足軽のまま、あるいはせいぜい侍大将くらいまでしか出世しなければ、武士としての木下家(藤吉郎の子孫)と農民としての小一郎の子孫(隠し姓として木下を伝えているかも知れない)に分かれたことでしょう)

また、江戸時代においても養子、御家人株の売買、婚姻などによる身分移動はさほど珍しいものではありませんでした。
稀な事例と言われればそれまでですが、俗にいうアメリカンドリーム程度には世代間での身分移動の可能性があったようです。

とりあえず、家系の継承においては戦国時代に大きなギャップがあり、それ以前まで確実に遡りうる武家は実はそれほど多くない、とは言えます。
階級闘争という言葉で表して良いかどうかはわかりませんが、源平騒乱の頃以前からの武士だけが江戸時代にも武士であり続けたわけではないようです。
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系図の改竄という点では徳川も有名だね.



あと, 江戸時代に入ってからも
農民→足軽→武士
という「出世ルート」自体は (家によっては) 存在する. 実際にこのルートに乗った人は非常に珍しいけど皆無というわけでもない.

なお継体天皇.
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日本の場合には、家制度(制度というよりも文化と言うべきか)という視点が大切かと思われます。


各地に代々続いた家があり、この家を守り続ける事が第一義です。この家は氏神へと行き付きます。これの典型が天皇家となりますが、天皇家は他家と違って祭祀を行うという特権(特別任務)を担います。
これらの家とは別に、権力者は生まれます。家自体が大きくなる場合もあり、秀吉の様に裸一貫から出る場合もあり、兎にも角にも、実力さえあれば良い世界で、特定の権力者が誕生します。
各家は、存続の為にの権力者と保護協力関係となりますが、家が守れないと判断した場合、直ぐに縁切りとなり裏切ります、権力者側もこの事態を理解し絶えず気を配ります。結果、日本独特の民主主義が出来る訳です。
権力者になる為には、政治に特化した武士が有利な為に、偶々下級武士が多くその地位に付いただけでしょう。
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「家系は、延々と1本線でつながっている」とお考えのようですが、子供を作るためには「両親」が必要で、その血縁は「1代ごとに2人」ずつ増えていきます。



古墳時代から幕末まで、1500年として、1代を 25年とすれば(昔は20年以下だったでしょうね)、1500年だと 60代。
その間の血縁の広がりは
 2^60 = 1.15 × 10^16
つまり「1京人」になります。

要するに、幕末の日本人(現代も)は、古墳時代のほぼ全日本人と血縁関係にあるということです。
現代の日本人は、60代もさかのぼる必要もなく、戦国時代あたりまでさかのぼれば、ほぼ全員が「親戚」になると思います。
戦国時代の日本の人口が 1000~2000万人とすれば、
 2^24 ≒ 1700万
ですから、24代 = 500~600年程度です。

「系図」は、その「家長」を線でつないだだけのこと。
しかも、「後継ぎ」は正妻の子ではなく「側室の子」であることも多かったです(天皇家も)。

「家系」というものは、その程度のものだと考えた方がよいです。
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可能性あります。

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