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「功名が辻」を見ていると(読んでもだけど)秀吉の子が他界した時に、悲しみのあまり元取り(字はあってないかも)を切り落とし、諸侯もそれにならわざるを得なかった、という場面があります。

その頭髪を大童としてましたが、合戦の時なども髪をざんばら(というのか結んでない状態)にしている場面がありました。

当時の武将は、合戦の時にもチョンマゲを切り落としたりしたのでしょうか?
だとしたら何故かしら?

A 回答 (5件)

もとどりは「髻」という字をあてます。



http://www.cosmo.ne.jp/~barber/kamigata.html

こちらの美容学校のイラストで判ります。

武士が兜を被る場合、源平の時代は髻に烏帽子を被り、その上に兜を被っていました。
太平記の頃は、烏帽子に鉢巻を巻いて、兜。
そのため、髻を外に出す必要があり、古い兜には天井部に5センチほどの孔が開いているものもありますけど、これですと前傾姿勢をとると、矢で射抜かれるリスクや、組討で孔に手を入れて引き寄せ、首を落とされるということもあって、段々孔が小さくなり、秀吉の頃には大童にして被ったようです。

尚、ちょんまげは「丁髷」と書いて、髷が結えない老人の髪型になります。
現在では、髷の総称としていますけど、本来は

http://www.cosmo.ne.jp/~barber/tyonmage.html
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この回答へのお礼

詳しい説明をありがとうございました。
これで大河ドラマをより深く楽しめます。

お礼日時:2006/09/14 13:37

まげを切ったかは分かりませんが、まげを解いて頭頂部周辺の髪を剃り落とし(月代=さかやき)て兜をかぶったときにむれないようにするためです。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。兜をかぶるのにほどいているわけですね。
女の子が寝るときにポニーテールをほどくのと同じかな?
(違うって)。(^^;

お礼日時:2006/09/14 13:36

まげを切るのは、今の感覚だと「スキンヘッド」ですね。

坊さん以外じゃないと非常に恥ずかしい髪型と思われていました。
頭頂部を剃るのは、兜を被る為なんです。むれないためか、兜の座りをよくするためかは忘れましたが、とにかく戦場で兜を被るためです。側頭部の髪は後ろで束ねていたんだと思います。
今の感覚だと、高校球児の様に五分刈りにすりゃいいじゃんと思いがちですが、当時は髪が短いことは非常に恥ずかしいことでした。髪が結えない程度まで短くなるとそれはもう「ボウズ」です。
「僕の髪が肩まで伸びて君と同じになったなら」という歌は、当時では、坊さんが恋をして還俗する歌になってしまいます。
髪を結うというのは、今で言うとパンツをはく位の当たり前のことで、結ってないと、パンツはいていないくらい恥ずかしいことだったのです。
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この回答へのお礼

あの独自の髪型についてよく理解出来ました。
またユニークな例を出していただいたので理解がとても深まりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/14 13:35

前回のシーンですね。

曲げを切ったのは出家を意味します。秀吉はあの動作で出家する意図を表わしたので、家来達はこれに倣ったのです。その後頭を丸めればそれで出家になるのですが、これをやらなかったのは、結局まげを斬ることで忠誠を表わしたことになったのです。
 ちなみに、元来髷は公家が結ったもので、これは冠がずれないようにしああいう形をしたものであり中国から渡来したものです。武家は結いませんでした。それが武家も倣うようになったのは室町以降のことのようですが、甲冑をつけるときには不都合なので、ざんばらにしたのです。月代も兜をかぶりやすいようにという工夫だそうです。
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この回答へのお礼

髷の由来とそれを切ってしまう意味がよくわかりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/14 13:34

合戦の時は後ろに垂らしているだけですね。


まげを結っていたら兜をかぶる時具合が悪いからでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。兜をかぶるのにほどいているわけですね。
女の子が寝るときにポニーテールをほどくのと同じかな?
(違うって)。(^^;

お礼日時:2006/09/14 13:33

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