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輪廻、生まれ変わりが、ある、という前提で、
皆さんの意見を求めたいと思います。

生命が生まれ変わる『目的』って、いったいなに?

私なりに、いろいろ考えているのですが、
正解がないぶん、その時々で考えがかわりますが、
今まとまっているものとしては、、、
生命の進化のために、輪廻しているのではないかと‥
イヤ、遺伝子は輪廻しなくても受け継がれるのですが‥

生命がはじめて陸に上がった動機は、
私たちが今、「宇宙にいってみたい」という
あこがれ、好奇心と共通するのではないかと。

そのような、「意思」「目的」は、
魂の輪廻によって受け継がれるのではないか‥
それによって、進化できる。。。。。。
なんてね。

皆さんの意見もお聞かせ下さい。

A 回答 (7件)

まず、人間には「HOW(構造・メカニズム)」が解っても、


「WHY(機能・目的)」は絶対に解らないと想うんです。

科学の進歩等々で「HOW(構造)」はある程度解っても、
人類の歴史で「WHY」が解ったためしってあるでしょうか?


「自動車という構造」が「走る・運ぶという機能」を生み出すように、
この世のありとあらゆる構造は、きっと何らかの機能を持っているんだと想うんです。
(希望的観測で、そう想うんです・・・)

でも、どんなに科学が進歩しても、自然界の目的が解明されたためしってあるでしょうか?
(あるんですかね・・・?)

ニュートンが万有引力を発見したときも「万有引力が在る」としただけで、
「何故そんなものがあるのか?」については不問にしてきたんだそうです。
「こういう構造になっているようだ」と仮説した段階から先には進まなかったそうです。

これは賢いと想います。
仏教でも説明の出来ないことには答えないという
「捨置記(無視)」というのがありますが、共通性を感じます。



お釈迦さまというのも「存在の構造(HOW)」を解き明かすことで、
苦の消滅法、輪廻からの解脱法を発見した人です。
その構造論から言いますと、輪廻転生は「無知(無明)」から生まれるんです。

  例えば、ホラー映画を見ると「恐怖」が湧きます。でも何回も見て慣れてしまえば、
  映画のストーリー(構造)を悟ってしまうので、恐怖も湧かなくなってきます。

・・・と、たった、これだけのことからも「恐怖」という感情が
<(ホラー映画を見ることに)縁って生まれる>という性質と
<(悟ってしまうことに)縁って滅する>という性質を持っていることが解ります。

つまり「生まれる」という性質は、「滅する」という性質も持っているんです。
そして「生まれる」という性質は、「悟っていない、無知だから起こる」と言えるんです。
逆に言えば「悟ってしまえば、生まれない」ということになります。
また「生まれない状態」とは、悟りきっている状態なので「安らいだ状態(涅槃)」と言うんです。



輪廻転生も「生まれる」という性質ですから、この構造論に当てはまるんです。
つまり、輪廻転生も「悟っていないから、無知から起こる」といえるんです。

「映画の構造」を悟りきってしまうまでは「恐怖」が何回でも蘇るように、
「存在の構造」を悟りきってしまうまでは、何回でも輪廻転生するということなんだと想います。

だから、お釈迦さまは「ブッダ(悟った人)」なので、輪廻から解脱したといわれているんです。


・・と、これも輪廻転生というものが在る(おそらく在るでしょう)としても、その構造論が解き明かされたというだけであって、その自然界における目的・機能(WHY)については言及されていないんです(と、想います)

「何が輪廻するのか?」とかも、宇宙全体・自然界の中での生命の役割についても説明されていないんです。

人工物の自動車なら早く運ぶ為とか、重いものを運ぶ為とか、その機能・役割が説明できるんですが、
こと自然に関しては構造は解明できても、その機能が説明されることは永遠にないと想います。
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生命はすべて星の元素で出来ています。



そういう意味では燃やして炭素にしても生命としての再生は可能です。

もちろん生命として再利用されない可能性の方が大きいのでが、
元素の持つ存在理由としての価値は消滅しませんので、
「熱エントロピーの運動による効率的な拡散」
という生命の存在理由に変化は無いはずです。

これが輪廻の真実です。
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miyumiyuさん、こんにちは。



僕は、輪廻転生を比喩として、
らせん階段をイメージして考えます。
次のようです。

まず、大きな長いらせん階段を頭にイメージします。
そのらせん階段を遠い所から横から眺め、
縦まっ二つに切る壁を想定します。
そして、
壁で仕切った一方がこの世、もう一方をあの世とします。

さて、miyumiyuさんも僕も、
今、この世の側の、らせん階段を一歩一歩登っています。
人それぞれ登ってる階も登るスピードも違います。

すると行く手に、壁面が見えてきました。
更に近づくと壁にドアーがあります。
ドアーには「死」と書いてあります。
自分の意思とは関係なく、くぐる時がやってきました。
さて、「肉体」を脱いでくぐります。
くぐってから、なにげなく閉じたドアを振り返ると
「霊界へようこそ!ご誕生おめでとう。」と書かれています。
そして、霊界での暮らしが始まります。

 物質世界では生命は下着として霊体を纏い、
 上着として肉体を纏っていました。
 霊界では、生命は下着の霊体だけを纏っています。

 物質世界は、
 心の状態が様々な人(生命)がいっしょに暮らし、
 体験学習をし、苦楽を味わって心の修行をする場です。

 霊界には、たくさんの世界があり、
 物質界から移行(死)した時の、
 その生命の心のレベルと同じ
 他の生命達といっしょに暮らす世界です。

 物質界は自分が想ったことが実現するのに
 時間がかかりますので、ゆっくりしていられます。
 しかし、霊界は想ったことがすぐ現実となる世界です。
 「皆んな仲良く!」と思っている生命は、
 周りもみんなそういう生命ばかりですから、
 これを天国というのでしょう。
 反対に、自分中心で喧嘩ばかりする心の生命は、
 周りもそんな生命ですから、
 これを地獄というのでしょう。
 心が変わらない限り逃げることができない!

 霊界へ移行する時の、
 その生命の心のレベルで行く先がかわるのですから、
 物質界での修行は大切なわけです。
 物質世界での地位、名誉、財産は全く関係がありません。
 霊界は僕達地球人にとっては、
 物質世界での心と行いの反省の場です。
 また、霊界は自分と同じレベルの人達ばかりで、
 他との違いがあまり無いため学習内容は乏しいのです。

さて、先ほどの霊界での階段をまた登っていきます。
時を経て・・・、
また壁があり、ドアーがあり、「死」と書いてあります。
霊界での「死」の時です。
くぐる前に、導師の指導を受け、
物質界での人生の計画を練ります。
細かに計画する人も、大雑把に計画する人もいます。
これが「運命」とよばれるもので、
もちろん物質界での自由意志による変更は可能です。
他の生命と固く誓い合い「宿命」にすることもあります。
そして、定めた両親の下へ、
「死」とかいてあるドアーをくぐります。
肉体を着ます。
「オギャー!」(肉体に閉じ込められるのイヤだ!)

物質界への誕生です。
振り返ればドアーには
「物質界への誕生おめでとう!!」と
書かれていたのでしょうけど・・。

肉体の両親の満面の笑顔で、
霊界の記憶は忘却の彼方へ・・。ニコニコとなります。
以前の物質界での記憶や、霊界での記憶は、
今回の肉体での修行の邪魔になるため、
潜在意識化に埋没されます。

こうして、僕達は
あの世とこの世を繰返し進化してゆく生命の段階にあります。

もちろん、人間での経験の前は、
miyumiyuさんも、僕も、
遠い昔、原始生命体や動植物の体での経験も経ています。
潜在意識に記憶されています。

人間の修行レベルも様々ありますが、
それが終わってもまだ上のレベルが無限に続きます。

僕達は魂(心)の進化のために生きる永遠の生命です。

長くなり失礼しました。
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以前、読んだ本に書いてあったのですが


「人間は『魂』を磨くために何度も生まれかわり
足らない部分を現世で会得するために
今回の人生のテーマを決めてくる。
まだ何度も生まれ変わってない人はわがままだったり
宇宙人のようなちょっと理解の難しい人だったり
して、何度も輪廻している人は穏やかで人を
引きつける力を持っていて、自分で人格完成と
思ったらそこで輪廻をやめて天上界で暮らす」
とありました。
それで自分に今世のテーマは何かとか考えたり、
理不尽な人には「この人はまだ輪廻の回数が
少ないからこうなのかしら?」とか考えると
許せる気になったりします。

本当のことはわかりませんが、輪廻はあると
信じたいです。
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輪廻転生、興味深いテーマですよね。

死んでもそこで終わりじゃないって言われるとたしかに救いになる気がします。でも何度もこの現世で生を繰り返さにゃならんと言われると、実在してほしいことなのかどうか迷いますね。1度で充分だって気がします。

昔、話題になった立花隆氏「臨死体験」とか読むと、何度もこの世に生を受けるのは魂の学習のため、魂のレベルアップのためだという見方がよく出てきたと記憶してます。

例えばの話、ある人生で差別者として生きたとしたら、その次は被差別者の人生を体験する…みたく、あらゆる立場、あらゆる人生を体験することで魂のレベルを上げてゆくことが目的だ、という見方でした。

人間関係においての学習が主に言及されていて、物理的なこの現世の探求というニュアンスはいささか弱かったような気がしますが、恐らくそれも含まれると思います。僕個人はこれらの話を読んで、一個の魂が「全知」に達するまでの過程が輪廻転生だって言いたいんじゃないかな。と理解しました。「全知全能」の全知です。

この説が正しいとするとひとつ気になるのは、人類はたとえその歩みが遅くても、昔よりかはレベルが上がっていなければならないってことだと思います。昔よりかは現在の人類のほうがマシになってなきゃなりません。どうやってそれを比べればいいのかなんて分かりませんが、印象で言えば「果たして進歩していると言えるのか」ってところですよね…
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輪廻転生とは少し違うかもしれませんが、小松左京氏の小説「神への長い道」で「生命の目的」が書かれています。



はしょって書くと、この宇宙の全生命、全物質は「神」という存在を生み出すための試行錯誤を繰り返すために存在している。
無限に等しい時間をかけて唯一絶対の存在を生み出そうとしているということですね。
つまり、現在この宇宙には「神」は存在していないということなのですが。
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仏教なんかでは、この世も地獄の一つで、解脱する


ために、つまり輪廻からはずれる事が目的みたい
ですねー。
極楽浄土は、そりゃー、すばらしい所みたいですし。
四苦八苦しなくていいし、偉い仏様から、講義も
無料で聞けるらしいし。

 輪廻してるって事は、何度もチャンスをくれてる
って事か。
最終的には、皆が極楽浄土へ行けるのが、ベストなの
かなー。

 私は、進化というか、生まれ変わる毎に、魂って
汚れるんじゃないかなー、と思ったり。
この辺は、見田竜介さんの「愛天明王物語(漫画)」に
影響されてるのかも。
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