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47士で有名な赤穂浪士は、もともと何人だったのでしょうか?藩とりつぶしになったとき何人が「浪人」になって、それが47人に絞られたのか知りたいです。ご存じの方、歴史に詳しい方いらっしゃいましたら、是非教えていただけますか?

A 回答 (2件)

前にテレビでやってたはず…と思って検索したら出てきました↓URLの第33回のところ。



それによると…
赤穂浅野家分限帳(元禄13年2月)によれば家臣の数308人、そのうち120人あまりが内蔵助と血判状を交わしたそうです。(江赤家秘録による)

分限帳がどの程度までの家臣を含むのか等、については分かりませんでした。

参考URL:http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2000_12.html
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この回答へのお礼

そうだったんですね!「その時、歴史が動いた」は、よく見ているのですが、この回は見逃していました。ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2005/03/27 01:25

赤穂藩は取り潰されたとき、5万石でした。



詳しい資料・史料が手元にありませんので、推測します。

近世(江戸時代)の軍役は1万石あたり250人拠出しなければなりませんでした…と聞いたことがあります。

計算すると、少なくとも、
 250人/万石×5万石=1250人
は、いたと思います。

これに加え、戦闘員1人につき、零点幾人分カゴ持ちや荷物持ちがいます。士分だけに限れば、1250に近いかもしれません。

47?/1250=3.8%

です。

事実に基づいていません。素人の推測です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
1万石あたり250人なんですね。初めて知りました。参考にさせていただきます。

お礼日時:2005/03/27 01:21

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