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お墓にお参りしたり、仏壇の前でお経を唱えたり手を合わせるのは何故ですか?
故人の為ですか?
既にこの世を去っているのならする必要はあるのですか?
皆さんはどう考えますか?

もし魂があるとして、
お墓に魂が宿っているとするのならば、お墓の前で手を合わせる意味はあると思います

魂が存在しない、死んだらずっと無 又は生まれ変わりが存在するとするのならただの石に手を合わせてることになりますか?

質問者からの補足コメント

  • たくさんのご回答ありがとうございました!

      補足日時:2022/06/13 22:21

A 回答 (6件)

人は二度亡くなると言います



実際に亡くなった時
そして
それを思い出す人がいなくなったときが
二度目ですね

お墓参りでも仏壇の前で手を合わせるのでも
亡くなった人を思い出しているあなたがいるわけですから
あなたの中に
亡くなった人が
まだ生きているわけですね

普段思い出すことはあっても
お墓参りでも
仏壇の前で手を合わせるのは
あらためて
故人を思い出すいい機会です

亡くなった人の魂は
あなたの中に存在しています

そして
あなたが亡くなった時に
その故人は
初めて二度亡くなります
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意味ない!ずーと前にやったことがあるいいこと一つもなかった暇とカネがかかる無駄な行動、やっている人は地獄行き間違いない、ちなみに私はクリスチャン。

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日本ではお葬式を仏教でしてるから。

仏教は手を合わせることで、先祖に願いが届くと言われてるから。
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気分転換です。

理由を付けて亡くなった人の家族が集まる場所がお墓、居ないと思うと寂しいから仏壇に入れて、ご飯やお花を供えて語り合う場所。
お経は訳の分からないことを口に出していると、悩んで居ることなど忘れるから脳が休まるのです。
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ブッタでは坊さんが位牌に魂を入れる


位牌に向かって、拝む事が多い。

お墓に魂を入れても、極楽浄土へ旅に出るで
そこにはいません。考えが増えてきましたので

位牌にも、次世代の考えは、そこにいません言い出してます。
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生きている人自身のためです。



亡くなった人を供養することで、その人自身が心が慰められ、落ち着くのです。
葬式や法事も生きている人、それを行う人のためです。

供養していて、自分が悪いことをしていると感じる人はいません。
たとえ故人に悪いことをした人でも、手を合わせて拝むことを悪いことだとは思いません。
今自分はいいことをしている、と思っています。

その自己肯定感が自分を癒すのです。
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