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第二次世界大戦
なぜ日本は勝てるはずのないアメリカに攻撃を仕掛けたのですか?

質問者からの補足コメント

  • 質問に答えてくださった方々、ありがとうございます!!

      補足日時:2022/06/17 21:27

A 回答 (34件中1~10件)

軍令部の海軍若手将校(当時は軍隊も官僚だったのです。

)がシュミレーションをして勝てるって報告したからですよ!
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この回答へのお礼

ありがとうございます!!

お礼日時:2022/06/17 21:21

いくら避けようとしても、相手が


戦争をヤル気だと、避けるのが
不可能になるのです。

特に、米国の場合は、相手を煽って
先に手を出させ、国民を激高させてから
戦争に入る、というのが
一つの伝統になっています。

日本が嫌がっても、米国は何か
罠を仕掛けてきて、ムリヤリ戦争に
持ち込んだと思います。

そんなこと、米国の歴史を調べれば
簡単に解ることですから、
当時の日本も解っていたでしょう。

どうせやられるなら、先手必勝だ。

そんな感じで真珠湾をやったんだ、と
思います。




当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が
失業し、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
はっきりしません。

これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに
なりつつありました。
うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。

また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を
貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く
可能性がありました。

それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
それでハルノートなどをつきつけたり
ABCD包囲網を敷いたりして、日本を追い込み
戦争に持ち込んだのです。

戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きずり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。
ルーズベルトの責任 〔日米戦争はなぜ始まったか〕

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」

また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら
モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう
と述べています。


●では、日本が米国に屈してハルノートを受け入れれば、戦争を避けられた
でしょうか。

私はそうは思いません。イラク戦争を見て下さい。
ありもしない大量破壊兵器を口実に戦争を始めたのは
米国です。
その後、英国BBCは、911以前から米国はイラク、
アフガン戦争を計画していたことを暴露しました。

米国は何か罠を仕掛けて、戦争に持って行ったと思います。

1898年 2/15 ハバナ湾で、米国戦艦メイン号が
謎の爆発沈没しました。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり、あの米西戦争が始まっています。
後になって米国政府は、事故だと発表していますが
陰謀ではないか、という説が強いです。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、
ダメだったろうと思われる理由です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2022/06/17 21:21

「まったく勝てない」わけじゃなかったんです。



山本五十六が「1年ぐらいならアメリカ相手に互角に戦って見せます」と言ったように、十分準備して1年ぐらいは日本が有利になる戦局が作れたのです。

ただ、いくつか誤算が生じました。
・真珠湾攻撃の前に宣戦布告書が届けられずに、フェアを重んじるアメリカ人を激怒させたこと
・ソ連に仲介役を頼もうと思っていたのに、ソ連が全くやってくれなかったこと(元々、ソ連は対ドイツ戦が片付いたら日本侵攻するつもりでした)
・海軍と陸軍の戦略がチグハグで短期間の戦争で終了できなくなったこと。特に海軍は勝てるはずのミッドウェー海戦でぼろ負けして、講和のタイミングを失ったこと
などがあります。

太平洋戦争は「日本が慢心していたから」始まったし、ぼろ負けして敗戦したといわれますが、必ずしもそうではありません。

軍人のほうはわりと冷静に「勝てる範囲」を考えていたのですが、ミッドウェーなど予想外の負けっぷりにタイミングを失い、政治家は「勝てるはずなのに勝てないのはなぜか?」が理解できずに、結局天皇陛下のご聖断を仰ぐ所まで、ずるずると戦争を引き延ばしてしまったのが敗因の一番大きな反省点。

これはひとえに「日本人が歴史的に異民族戦争をほとんど経験しておらず《負けてもいいから国土と民族の地位を保全するのが最も重要》ということを知らず、そういう形での停戦交渉や講和交渉ができなかったことが致命的だった、ということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございますm(_ _)m

お礼日時:2022/06/17 21:22

アメリカの挑発に乗ったから、ハルノートを突き付けられて、もう戦うしかないと当時の軍部は考えた。

何とか短期決戦でソ連が仲裁してくれると信じてた。全部裏目に出た。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2022/06/17 21:22

日露戦争の時と同じく、数か月なら優勢だから、早めに外交で判定勝ちにしようというのが、軍司令官の判断。


ところが、勝ってるのだからこのまま続行と作戦変更。これが失敗。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2022/06/17 21:22

窮鼠猫を噛むで、ひょっとすると勝てるかも、と思ったのですよ。



中には「無理、ダメ」という人もいましたが、プライドだけは高い軍部に押し切られたのです。

で、当たり前のように大惨敗で、核爆弾のオマケ付きです。

無残に死んでいった人たちは、犬死にですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2022/06/17 21:23

勝てると思っていたから。


実際、開戦当初は優位だった。
新兵器と言える戦闘機、零戦が優秀だったから。
ところが、アリュウシャン列島でフワリと不時着した零戦が無傷でアメリカに運ばれ、そのコピー戦闘機、ゲルマンヘルキャットがウンカのように日本軍を襲った。
その後の日本軍は全くいいとこ無し。
敗戦に突き進んだ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!!

お礼日時:2022/06/17 21:23

アメリカに誘導されてたらしい。


アメリカ人は親日派が多く、日本を卑怯者にしたくて石油の対日禁輸で
煽り、暗号は解読も放置、真珠湾奇襲を成功させて、悪者にしたという。

海軍中心に早期講和のつもりが、あてがはずれ、仲介依頼予定だった
ソ連からも攻撃されて、降伏した。

日本大百科全書(ニッポニカ)
第二次世界大戦
https://japanknowledge.com/introduction/keyword. …
7月26日、米英中は「ポツダム宣言」で対日処理方針を示すとともに、無条件降伏を要求した。日本がこれを「黙殺」したこともあり、アメリカは8月6日広島に、9日長崎に原子爆弾を投下した。2発の原爆による死亡者数は約34万人と推計されている。
日本はソ連への和平仲介工作に期待をかけていたが、8月8日ソ連は日本に宣戦布告した。同9日ソ連軍は「満州」に進撃した。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!!

お礼日時:2022/06/17 21:23

何となく。


誰も責任を持たず、声が大きい威勢が良い奴らの行き当たりばったり無責任に従ったから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2022/06/17 21:24

いろいろあって絞りづらいけど、インパクトという面から考えると。



発端は8月に始まった海軍の戦時体制移行。
アメリカとの軍事衝突が視野に入り、仮想敵国をアメリカとする海軍は対アメリカ戦に備え軍備拡充に入った。
これは平時の効率体制から戦時の軍備優先への切り替えである。

別にこの動きによって戦争をやるということではない。
もし戦争状態が予想されるならどの軍もやることである。
軍隊の戦時編成には時間がかかる。
アメリカは湾岸戦争に際し半年の準備期間を置いたし、ロシアもウクライナ侵攻に際し1か月ほどの(演習に名を借りた)準備をしている。

ところが、この動きが日本国内の一部に「戦争のカウントダウンが始まった」と受け取られた。
ぜんぶではないが、一部にしろそういう空気ができると、政策決定に影響力を持ち始める。

その結果国内に非戦派と海戦派がモザイクとなって入り交じり、意見の統一など到底望めなくなった。
そういう状態だから、アメリカとの交渉も、何度やっても玉虫色のどっちつかずの意見しか出せない。
「イエスかノーか」のアメリカの到底吞めるところではないし、日本への不信感も強くなる。

そんな中日本側にはジリ貧論が強くなり「10月末まで」という期限が意識され始める。
アメリカからもハルノートが突き付けられた。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2022/06/17 21:24
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