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説教する事が快楽な人ってどういう心理なんですか?
人を説教すると優越感が感じられて快楽って事ですか?

A 回答 (3件)

《説教する事が快楽な人》というのは、《説教することを快楽に感じる人》という意味です。

 優越感を感じるかどうかは、重要なポイントではないです。 運動するのが快楽、湯に浸かるのが快楽、酒が快楽、スリルと冒険が快楽、観劇が快楽、難題に取り組むのが快楽、歌うのが快楽、説教するのが快楽でも、優越感は重要ではなく、優越感がなくても、快楽は快楽です。
もちろん、優越感もあって、それも快楽の一部をなすこともあるでしょう。 しかし、優越感などなくても、正義感・正統感・道徳倫理観の発露で快楽を感じつつ説教する人はいます。 自分を道徳倫理に優越とみるのと、道徳倫理で許されざることとみるのと、いろいろあります。
他人の行動・言動を優越感のなせるものと受け取り感じ易いのは、その感じる本人が、自他の優劣を強く気に懸けていることが多いです。 行動し発言している他人の側の意識というよりは、受け取り側の意識の問題です。

快楽は、一般には、エンドルフィンを分泌した結果で、脳内に起こる生理現象とみなされています。
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/d …
内分泌は 快楽や多幸感に影響します。
https://www.news-postseven.com/kaigo/106350
どのような場合に大量に分泌されるかは個人によって、また状況によって大きく変化しますが、他人に対して優位を感じたことで分泌が促進されるということは、あまりないように、思います。

説教癖の強い人も、それで快感を得ているようには見えないです。 
もちろん、《説教することに快感を得ている人》に限定して考えたところで、優越感と言うよりも、いつもの習慣に酔っているだけとみた方が、あたっているでしょう。 多くのことでみることができますが、習慣というのは、快感を作り出す大元になることが多いです。 習慣になっていることを制限されると、不快感やイライラが起きます。 それだけ、習慣的行為は、それ自体が快感のベースを構築します。
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「説教」とは元々は宗教用語で、神仏の代理人として、愚民を教え諭すことを云う。



つまり、説教をすると、ヒトは神仏に成り代わったような至高の法悦を感じることになる。
この至高の法悦を感じるために、むやみやたらに説教をする説教好きが誕生するわけだ。麻薬みたいなもんですね。
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劣等感の塊です。

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