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こんにちは。
DVを受けた子が親になると、またDVをしてしまう可能性が高いというDVの世代間を渡る負の連鎖を断ち切るにはどうすればよいでしょうか?

私の父は、幼少の頃DVを受けていたそうで、本人も、臆病な割には他者を恫喝してしまうような弱い人間になってしまいました。その子である私たち兄弟も、臆病で、素直な一歩が踏み出せない、内気で引っ込み思案な性格になったように思います。育ちの全てをそのDVの系譜に因を求めるのも不自然ではありますが、性格形成にあたり大きな影響を及ぼしていると私は思います。

怖がることなく、小さくても良いので素直な一歩を踏み出せるようになるには、どのように生育歴を受け止め、捉えなおせば良いでしょうか。

力で圧迫された過去を、いかに乗り越えれば良いですか?

私は、力で他者を制圧する者は心が弱いのだと思うようにしているのですが、生きている以上、自分より力で上回る者を恐れるのも仕方ないことであるように思います。極端な話、たとえ殺されても毅然としているような、高度極まる精神性が必要なのかなとも思ったりもします。

A 回答 (5件)

> ヨレヨレさんは、どうするのが良いと思われますか?


> 自分の意志するところの再発見について。

自分の経験では、「自分の意志するところを発見した」という明確な記憶はナイです。 もちろん、「この小説を読みたい」「なんとしても○○に行きたい」「私も~~したい」「なんとか☆☆をしたい」などと思い、そして実際に行動したことは、数百、もしかしたら数千はあるでしょう。 中には、友人から話しを聞いて、「私も」と思って、バイトと親からの援助で1ヶ月ほどインドに行ったこともあります。 
会社に勤めていたときに、同期入社で転職したり、独立した友人も3分の1くらい(あるいはもっと)いた思いますが、私自身は「自分の意志はどこにあるのか」などとは思ったことはなく、まあ、ただ日常が過ぎ、日々の仕事や課題をやったり、その時々で関心が向いていたことをやっていただけでした。 他人のことまでちゃんと分かるわけではなりませんが、転職や独立した人も、なんとなく残った人も、8割は、なんとなくそうなったのだと思っています。 転職や独立した人でも、「私の本当にやりたいことはなんだろう。このままで良いのか。自分の意志・意思・気持・志向はどこにあるんだろうか。……」とやったあげくで、「よし、分かった、これが私の本当の気持ち」だと転職や独立したような人は、せいぜいいたとしても一人か二人程度で、親の事情やいろいろの誘いや迷いやで、たまたまそうなったというのが殆どでしょう。
色恋のことはちょっと疎いことなので、ドラマや小説、うわさ程度のことから考えるのですが、誰かと付き合う、分かれる、結婚するなどでも、「私の本当の気持ちに……」というのは、ただの修辞句か、常套句か、ただの誤解か、そのときの思いつきかなのであって、《そのときのたまたまの思いつき》である可能性が90%にはナルのだろうと思います。

食い物、遊び、服、店、街、仕事  何であるにしろ、(何も思わないでいることも多いとはいうものの)、「私の好きなのはこれ!」と思うことは色々ありましょう。 色々あるだけでなく、「あのときは・今は」という時間軸で見ても色々でしょう。 時間でも場所や状況でも、様々になるようなものというのが事実でしょう。 

本当に自分が目指すこと、本当の気持ち、本当の自分、 などは、幻影でしかないでしょう。 
ハッキリと現れてきたのであれば、幻影であってもそれを追うというのはアリでしょう。
しかし、幻影としても出てきてさえいないものを、無理に「私の本当のはどれ?」と求めてしまえば、ろくな結果にならないことだけは明らかでしょう。

  《自分の意志するところの 発見あるいは 再発見》
     止めた方がイイです。
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この回答へのお礼

ご質問にお答えいただきありがとうございます。
私の場合は、意志と言うと少し厳かに聞こえるかもしれませんが、

>「私の好きなのはこれ!」

と言う判断が、あまり得意ではない様に思います。確かに好きなミュージシャンやアーティストは居ますし、好きな服装はあるし、好きな食べ物、好きな趣味などはあります。好きで、仕事になったらいいなと思うもの(絵など)もありますが、その好きなことを追求すると言うところまでゆかず、つまりは意志が弱いのでは無いか?と思う次第です。
本当にやりたいのか?
本当にやりたいことは何か?
と言う問いかけは、むしろ、好きなことが出来ないことの言い訳をしているのかもしれません。

そこには、自信のなさとか、ある種の許可がないと動けないと言った様な、過去のしがらみの様なものが無意識にある気がいたします。

〇〇はしては良い、⬜︎⬜︎はしてはいけない、その様な判断の根拠を自分の中に持つべきで、その根拠はたとえ、それが好きだからと言ったシンプルなものでも良くて、むしろそのシンプルさを大切にすべきなのかなと思いました。

意志が弱いと思って強い意志や目的を探すこと自体が、おっしゃる様に何かの心理的な罠であるかもしれません。

もっと軽快に行ったほうが良いのでしょうね。
ありがとうございました。

お礼日時:2022/08/20 12:09

> 本音を出すと言うのは、感情を表出すると言うよりは、例えば、職業選択の時に、なんとなく仕事を選択するのではなく、○○の仕事がしたいと、明確に自分の希望に向かって進んでいけるような意志のある選択ができると言うほどの意味と思っていただければと思います。

私は、この○○がしたいとか、○○になりたいとか言った自分の意志を尊重することに疎か、腰が引けていたように思っているのです。

それは結構なことだと思います。 「私は、この○○がしたいとか、○○になりたいとか言った自分の意志」が《ハッキリと自覚できている》のであれば、それに向かうという方向で、《いまどうするのが適切かを考え》て、発言や行動に結びつけるのがイイでしょう。 《いまどうするのが適切かを考え》て、というのはとても大事です。 

> 自分の本当の気持ちをはっきりと自覚できるようになりたいものです。

現状で、「私は、この○○がしたいとか、○○になりたいとか言った自分の意志」が《ハッキリと自覚できている》のではない場合に、「私の本当にやりたいこと」を無理矢理思おうとすると、見当違いことになりがちです。
無理に自覚しようとすると、見当違いに進みがちです。

『自分の気持ちがわかると生きやすくなる』『自分の気持ちを把握した方が断然生きやすくなります』という方がいますが、多くの場合、間違いを侵す危険があります。 『自分を見詰め、自分と会話するつもりになって、あれこれ考えれば、自分の本当の気持ちが分かる』と思うのは、大きな誤解と失敗をもたらすものです。 些細な気分のかけらの1つ2つを探し出して、『これが私の本当の希望や意思であるに違いない』など思ったら、99%誤解と狂信・妄信です。 自覚の高まりを引き起こそうとしてはダメです。
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この回答へのお礼

>無理に自覚しようとすると、見当違いに進みがちです。

ふむ、。

>些細な気分のかけらの1つ2つを探し出して、『これが私の本当の希望や意思であるに違いない』など思ったら、99%誤解と狂信・妄信です。 自覚の高まりを引き起こそうとしてはダメです。

そう言われれば、そう思わないでもない節もあります。
ヨレヨレさんは、どうするのが良いと思われますか?
自分の意志するところの再発見について。

お礼日時:2022/08/19 22:03

>> 相手や周りの人を褒めたり、イイネと言ったり、私も一緒にしてというように、周囲に協調的、従う的な、フォロアーのような形で、周囲に合わすようにやることを、1つ、2つ、毎週、毎日、なんとかやるのです。

 

①> これは正に幼少からの私スタンスで、この生き方によって、芯や意志のない自分を形成してしまったかなと思っています。
②> 内気で引っ込み思案と言うのは、自分の本当の気持ちを出さない、出せないという程度の意味と思っていただければと思います。
③> もう父親も年ですし、本音を出しても良いのでしょうが、。 そうですよね、出した方が良いですよね。本音は。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
個人の人生はその方のものですから、ご自分で「こう」と思うものをやるのも一つの生き方でしょう。
ですが、《ご自分で「こう」と思うものをやる》ばかりだと、社会からどんどんずれてしまうことも多いです。 《適度に・適当に》というスタンスは、結構重要だと私、よれよれのくたびれた者は感じています。

たまには、《無茶でも、我を通す》のもイイでしょうが、《周囲に協調的、従う的な、フォロアーのような形で、周囲に合わすようにやることを、1つ、2つ、毎週、毎日、なんとかやり続ける》のも、慣れてしまえば、それが自分でも快適だし、「周りの人も我を張らずにいて欲しい」というのが実感であることが多いです。
何かでストレスが高じてしまわないようにするには、気晴らしや身体を大きく動かすこと、いつもとは違うことをやるだけでも、結構効果があります。
一杯のビール、一服の煙草、たまのゴルフ、ハイキング、美味しい菓子、音楽や演劇の鑑賞、ダンスや踊り・水泳・キックボクシング、ゲーム、筋トレ、ハイキング、家の中の掃除や片付け、庭の手入れ、ショッピング・買物、仕事への集中などでも、すーっと気が落ち着くことは多いです。 

本音を出せばと、怒りや不満を表に出して、それですーっとするというのは、たぶん、あまりイイ方法ではないです。 結果として、後に尾を引き、似たようなことを数回重ねると、生き方を苦しくさせることが多いです。
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この回答へのお礼

>「周りの人も我を張らずにいて欲しい」というのが実感であることが多いです。

それは確かにそのとおりであると私も思います。

>本音を出せばと、怒りや不満を表に出して、それですーっとするというのは、たぶん、あまりイイ方法ではないです。

いえ、本音を出すと言うのは、感情を表出すると言うよりは、例えば、職業選択の時に、なんとなく仕事を選択するのではなく、○○の仕事がしたいと、明確に自分の希望に向かって進んでいけるような意志のある選択ができると言うほどの意味と思っていただければと思います。私は、この○○がしたいとか、○○になりたいとか言った自分の意志を尊重することに疎か、腰が引けていたように思っているのです。

自分の本当の気持ちをはっきりと自覚できるようになりたいものです。

お礼日時:2022/08/19 12:34

> 極端な話、たとえ殺されても毅然としているような、高度極まる精神性が必要なのかなとも思ったりもします。



ずいぶんと極端な話しです。 たぶん、99%以上の大人は殺されても毅然としているようなことはできません。 ナイフを目の前に出されたり、火炎の前に押し出されたり、銃で乱射しているというような話しを聞くだけで、逃げだそうとします。

> 生きている以上、自分より力で上回る者を恐れるのも仕方ないことであるように思います。

たぶん、そういう面もあるのですが、そう単純ではないです。 柔道や剣道、ボクシング、相撲など、対戦相手が自分よりも力で上回っていると思っても、恐れて尻込みするのではなく、戦いを挑む人は多いです。 商売で交渉する人も、相手の腕力や体力にはとても適わないなどのことは、あまり気にしてないでしょう。 知識や技量、経験、美しさ、格好の良さ、所持金、社会的ポジションなどで、「相手の方が自分よりも相当に上だ」と思っても、恐れたりしないで、付き合いをしたり、一緒に遊んだり、会話したり、旅行したりということも多いものです。

> 本人も、臆病な割には他者を恫喝してしまうような弱い人間になってしまいました。その子である私たち兄弟も、臆病で、素直な一歩が踏み出せない、内気で引っ込み思案な性格になったように思います。

人は、「白紙で生まれてきて、成長する過程で、運動能力・言語能力・各種知識・ノウハウ・対処方を身につけていく」ものですから、親や周囲の環境から8割、9割を獲得します。 しかし、兄弟でも同じにならないのは、1割、2割は偶然の経験やそれをきっかけとした自分の思考や試行錯誤で(親や周囲とは別)を獲得するからです。1割2割というと少ないように思えるかもしれませんが、とても大きな差です。野球、サッカー、ピアノ、学校の勉強でも、スケボーの乗り方でも、95%以上は同じなのに、数パーセントの差が、プロ級からド下手までに力の差になります。 親や周り・環境による部分は圧倒的に大きいのですが、社会での大人の状況をみれば、「親や周り・環境でひとは決まる」などからほど遠いことがわかります。
世の中に、酒に溺れる・ギャンブルに溺れる・嘘つき・偉そうに振る舞う・すぐにごまかす・サボるなどロクでもない人がいます。 そういう人でも、児童期や青年期にはそうではなかったというのが普通です。 青年期頃、あるいは成人になってから、あるいは30歳過ぎから、「そうなってしまった」という方が多いでしょう。 つまり、最初の頃はたいしてやっていないのに、だんだんと回数を増やして、それになれて、「これでもイイヤ」とどんどん進行した結果でそうなるのです。 小さな行動を繰り返せば、それが基本になっていくというだけのことです。
臆病なのに、なんとか自分の存在を周りへ印象付けたい、アピールしたいという気持ちもあって、ちょっとした場面で高圧的な態度に出る、偉そうにする、強そうな口調や姿勢・表情を演じて、そのときに自分をアピールできて、自分でも強くなった気になるのを、何度も繰り返したので、現状になっているだけです。
《なおしたい》のであれば、ことは同じです。 偉そうにいう、強い言葉や表情を造らないということを抑えて、優しく親切上品な振りをするようにして、その回数を増やせば良いのです。
すぐに外交的・強気を演じるのは、「内気」の方には無理です。 無理にやろうとすると、嵩にかかる、強面でいく、偉そうに振る舞う、ただの強情な分からず屋になることになってしまう危険が高いです。 自分を強く偉そうに押し出すのではなくて、相手や周りの人を褒めたり、イイネと言ったり、私も一緒にしてというように、周囲に協調的、従う的な、フォロアーのような形で、周囲に合わすようにやることを、1つ、2つ、毎週、毎日、なんとかやるのです。 やっているうちに、慣れて、いつの間にか、内気ではなくなります。 「内にこもる」⇒「外での状況に合わせる」に目標を立てるのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

父も兄も、外での状況に合わせる、ようにしたせいか、典型的な内弁慶になっているように思います。外面は良いのだが、、、というやつです。

兄は、父とのつながりを嫌って縁を切り、どこかへ行って音信不通です。
ネットで足跡をたどることは出来ますが、実家に顔をだす素振りはありません。
兄も父に似て神経症的でしたが、私は精神病を発症してしまいました。父方のいとこも同じです。

薄まってはいるようですが、祖父→父→私たち に連なる負の遺産の様なものがある気がいたします。人は遺伝情報を持って生まれ、決して白紙では無いとは思いますが、後天的要素がいわばソフトウェアのように、その人の振る舞いをある程度決めてしまうのだと思います。(先天的要素をハードウェアとするなら)

自分で自分を修正できればそれに越したことは無いのでしょうが、それには貴重な出会いや出来事が必要であり、自ら地道な努力を重ねて行かねばなりません。

何かメソッドの様なものがあればと思い質問させていただきました。

>相手や周りの人を褒めたり、イイネと言ったり、私も一緒にしてというように、周囲に協調的、従う的な、フォロアーのような形で、周囲に合わすようにやることを、1つ、2つ、毎週、毎日、なんとかやるのです。 

これは正に幼少からの私スタンスで、この生き方によって、芯や意志のない自分を形成してしまったかなと思っています。

内気で引っ込み思案と言うのは、自分の本当の気持ちを出さない、出せないという程度の意味と思っていただければと思います。

もう父親も年ですし、本音を出しても良いのでしょうが、。
そうですよね、出した方が良いですよね。本音は。

お礼日時:2022/08/19 02:30

> 極端な話、たとえ殺されても毅然としているような、高度極まる精神性が必要なのかなとも思ったりもします。



ずいぶんと極端な話しです。 たぶん、99%以上の大人は殺されても毅然としているようなことはできません。 ナイフを目の前に出されたり、火炎の前に押し出されたり、銃で乱射しているというような話しを聞くだけで、逃げだそうとします。

> 生きている以上、自分より力で上回る者を恐れるのも仕方ないことであるように思います。

たぶん、そういう面もあるのですが、そう単純ではないです。 柔道や剣道、ボクシング、相撲など、対戦相手が自分よりも力で上回っていると思っても、恐れて尻込みするのではなく、戦いを挑む人は多いです。 商売で交渉する人も、相手の腕力や体力にはとても適わないなどのことは、あまり気にしてないでしょう。 知識や技量、経験、美しさ、格好の良さ、所持金、社会的ポジションなどで、「相手の方が自分よりも相当に上だ」と思っても、恐れたりしないで、付き合いをしたり、一緒に遊んだり、会話したり、旅行したりということも多いものです。

> 本人も、臆病な割には他者を恫喝してしまうような弱い人間になってしまいました。その子である私たち兄弟も、臆病で、素直な一歩が踏み出せない、内気で引っ込み思案な性格になったように思います。

人は、「白紙で生まれてきて、成長する過程で、運動能力・言語能力・各種知識・ノウハウ・対処方を身につけていく」ものですから、親や周囲の環境から8割、9割を獲得します。 しかし、兄弟でも同じにならないのは、1割、2割は偶然の経験やそれをきっかけとした自分の思考や試行錯誤で(親や周囲とは別)を獲得するからです。1割2割というと少ないように思えるかもしれませんが、とても大きな差です。野球、サッカー、ピアノ、学校の勉強でも、スケボーの乗り方でも、95%以上は同じなのに、数パーセントの差が、プロ級からド下手までに力の差になります。 親や周り・環境による部分は圧倒的に大きいのですが、社会での大人の状況をみれば、「親や周り・環境でひとは決まる」などからほど遠いことがわかります。
世の中に、酒に溺れる・ギャンブルに溺れる・嘘つき・偉そうに振る舞う・すぐにごまかす・サボるなどロクでもない人がいます。 そういう人でも、児童期や青年期にはそうではなかったというのが普通です。 青年期頃、あるいは成人になってから、あるいは30歳過ぎから、「そうなってしまった」という方が多いでしょう。 つまり、最初の頃はたいしてやっていないのに、だんだんと回数を増やして、それになれて、「これでもイイヤ」とどんどん進行した結果でそうなるのです。 小さな行動を繰り返せば、それが基本になっていくというだけのことです。
臆病なのに、なんとか自分の存在を周りへ印象付けたい、アピールしたいという気持ちもあって、ちょっとした場面で高圧的な態度に出る、偉そうにする、強そうな口調や姿勢・表情を演じて、そのときに自分をアピールできて、自分でも強くなった気になるのを、何度も繰り返したので、現状になっているだけです。
《なおしたい》のであれば、ことは同じです。 偉そうにいう、強い言葉や表情を造らないということを抑えて、優しく親切上品な振りをするようにして、その回数を増やせば良いのです。
すぐに外交的・強気を演じるのは、「内気」の方には無理です。 無理にやろうとすると、嵩にかかる、強面でいく、偉そうに振る舞う、ただの強情な分からず屋になることになってしまう危険が高いです。 自分を強く偉そうに押し出すのではなくて、相手や周りの人を褒めたり、イイネと言ったり、私も一緒にしてというように、周囲に協調的、従う的な、フォロアーのような形で、周囲に合わすようにやることを、1つ、2つ、毎週、毎日、なんとかやるのです。 やっているうちに、慣れて、いつの間にか、内気ではなくなります。 「内にこもる」⇒「外での状況に合わせる」に目標を立てるのです。
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