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もし日露戦争でロシアから金がもらえたら日本はどうしてましたか?

A 回答 (3件)

借金を返すのが早く済んだから、と言いたいところだけど、その後の外地日本への投資とか、太平洋戦争での戦費とかもあるし、もともと早急に返済を目的としていたわけではないので、財政上の話では変わらなかったと思う。



ちなみに日露戦争のポンド立ての借金を返済し終わったのは、1981年だったか1986年のこと。

でも戦勝に伴って賠償金を得られたとしたら、国民の不満は抑えられたとは思う。でも戦後(第一次大戦後の意)の恐慌、震災恐慌、世界恐慌などの後の恐慌を抑えたり、影響を受けないようにする効果はないと思う。

ちなみに反日の親ソ派は例によって比較にならないものを並べる印象操作に走ってらっしゃる。ゲリラ掃討(+遣り過ぎ)と虐殺強奪目的を比較しているあたり、相当に軍事音痴、国際関係音痴を自覚しなきゃいけない。
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高金利の外債を返したでしょうね。

しかしそれがなかったので、日露戦争後は生糸の輸出とかからゆきさんの仕送りでコツコツ外債を返済しています、返済終わったのは第一次大戦後の1917年です。
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日露戦争(1904-1905)では、日本は戦勝国として、朝鮮半島における権益、ロシア領樺太の南半分を割譲、大連と旅順の租借権を獲得、東清鉄道の旅順 - 長春間支線の租借権などを得ています。



また、日本兵は1919年に、ロシアで数百名の村民を焼殺,銃殺し、当時の金額で金塊8兆円を略奪,村人を惨殺した、イワノフカ事件などを起こしています。

日本軍がシベリア出兵の際にそこの幼子婦女子含む殆んどの村民を虐殺
内30人以上を生きたまま家に閉じ込め焼き殺しました
虐殺された村民には0歳児の赤ん坊も含まれています
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/q8728057.html

1919年 イワノフカ事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AF …

1920年 尼港事件
老若男女の別なく数千人の市民を虐殺した。殺された住人は総人口のおよそ半分、6,000名を超える
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BC%E6%B8%AF …
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