「は」と「が」についてまとめている途中ですが、以下の内容をご覧になって感想をお願いします。
わかりづらい点、矛盾と感じる点などお知らせくださると有難いです。
◎「A は B だ」という構文において、主題 A は、聞いて何を指し示しているか分かる既知情報でなければならない。
◎「A が B だ」という構文において、[ 述語 B の主格としてのA ] は聞き手にとって未知情報でなければならない。
ということが言える。
なぜ既知・未知にそこまで拘るのかというと、この点に関する理解は日本語学習者にとって以下のような場面を想定した場合に効果をもたらすはずだからだ。
(想定1開始)
正月、あなたは友人を家に招いた。
豪華なお節料理が食卓に並んでいる。
「おいしそうだね」と友人はうれしそうだ。
あなたは何と言うべきか?
[ 3-アーa. 彼女がこのお節料理を作った。]
と言うのが正解だ。
友人は彼女と初対面ではないから彼女自体は既知情報である。
しかし、《「お節料理を作った」という述部の主格》は友人(聞き手)にとっての未知情報だから「彼女(が)」と主格指定する。
これによって「彼女」を(主格としての)未知情報から既知情報に変換することができる。
むろん、その既知情報を聞き手である友人と共有するためである。
その未知情報の主格を「彼女」と指定しながら、同時に「お節料理を作った」という述部を連用修飾する主格補語「彼女が」を形成するわけだ。
(想定1終了)
(想定2開始)
さて、数年後、その友人があなたの彼女と結婚することになった。
あなたは彼に尋ねる。
「どこに惚れたんだい?」
彼は、
[ 3-アーb. 彼女はとてもおいしいお節料理を作った。](その腕に惚れた)
と答えるのが(とりあえず)正解の日本語だ。
彼女について尋ねられているので、「彼女について言ってみれば・・」という主題提示の構文が自然になる。
「お節料理を作った」という述部の主体としての彼女が、聞き手にとって未知情報であるのは3-アーa.と同様であるが、主題として既知情報であることが確定しているわけであり「は」の役目はそこで完結している。
それだけで十分であり、彼女が述部の主体として未知か既知かという問題を考慮に入れる必要はまったく無いのである。
(想定2終了)
想定1と想定2でハ・ガの交替はできない。
このように、
《 [ 述語 B の主格としてのA ] は聞き手にとって未知情報である》という事実は、「が」と「は」の違いにとって重要な意味を持つ。
ここには、述語と密接に結びつくものとして主語を捉えた三上の主格補語という概念が非常に有意義なものとして絡んでいる。
いずれにせよ、このように未知か既知かを基準にした使い分けは、わかりやすくて有効性が高いと言えるだろう。
A 回答 (75件中11~20件)
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No.64
- 回答日時:
No.62 に応えて
>>ちょっとは自分で考えなきゃ。
ははは!
思い付きの戯れ事を並べるのが自分で考えることなどとは如何にも粗忽長屋の住人の発想そのものじゃ!
◎旦那!
先達の遺産を受け継ぎ、発展させる能力が霊記号になっておるのじゃが!
>>小学生でも、「が」と「を」が違うことは知ってるよ。
だから、判っていないのは粗忽長屋の住人だけなのじゃが!
で、既知未知論の誤りは理解できたのかな?
認識論を持たない粗忽長屋の住人には望むべくも無いということかな!■
No.63
- 回答日時:
NO59の「アスナロウ君」へ。
君が無駄なことでも一生懸命やれる、
"頑張り屋さん"だと言うことはよく分かった。
しかし・・・
いくら良いジャブでも相手は倒れないんだよ。
ダラダラと検索パクリコピペを貼らずに、
タイミングを狙いすました、
二〜三行のカウンターを書きなさい。
でわ、でわ、また何処かでお会いしましょう
No.62
- 回答日時:
No.59に対して、
三浦から例文を引っ張ってきたと言いたい訳?
まあ、仮に三浦が既知未知について述べる流れでそんな例文を出していたんだとしたらお粗末だな。考えの浅さを晒してるし、それじゃ学会から評価されないのは必然。
ツチノコ君も脳死で鵜呑みにしてないでちょっとは自分で考えなきゃ。小学生でも、「が」と「を」が違うことは知ってるよ。
No.60
- 回答日時:
アスナロウ君よ、
悔しい気持ちは 痛いほど分かるけどね・・
自身の脳力不足を、
他人の眼力ふそくに責任転嫁したらダメよ。
負けを認めて反省し、
修正して努力と成長はしないよ。
No.59
- 回答日時:
No.54 に応えて
>>だからさ、お前の例文は既知未知が関係ないことの根拠にまったくなってないのよ。
まあ、粗忽長屋の旦那は何の論証、論拠も無しに思い込みを並べるだけが得意技なので、前回省略した部分も含め掲載しておこう。宜しく検討の上、反省の弁を述べてくれ!
夜露ピク!
「三 チェイフ=大野説―既知未知論」
を以下に引用しておきます。
大野の五一年の見解が、いま吟味したように、「が」についても「は」についてもまとはずれだとすれば、それらを肯定した上で展開される「は」と「が」の使い分けの見解も、やはりまとはずれであることは、はじめから予想されることである。とはいえ、これはアメリカの言語学者 L.W.Chaef の見解に援助を受けて、チェイフ=大野説ともいうべき国際的な正確を持っているだけに、その点は注目する必要があるだろう。
チェイフは、その著作『意味と言語構造』の中で、「古い情報」と「新しい情報という概念を持ち出すのだが、「日本では表層における助詞のハが古い情報を、ガが新しい情報を反映している。」と述べている。表層は例のチョムスキーの表層構造の意味である。大野がチェイフの見解に援助を求めたのは、このように日本語の<助詞>をとりあげているのを「日本人によるいくつかの論考を参照してのことであろうと思う。」と、その日本語研究を評価してのことであるが、チェイフは世界的に大もての新しい学派の言語学者(もっともこのごろは、海外でも、チョムスキー理論を観念論的傾向や言語理論の不当な普遍化と否定的に批評する文献がふえているらしいが)だということも、理由の一つであろうと思われる。大野はチェイフのいう「古い情報」と「新しい情報」を、【既知の情報】と【未知の情報】と受けとって「が」と「は」の区別を論じていく。
こうした(チェイフの―引用者)新しい情報、古い情報ということの適切な例として、次の民話をあげることができるだろう。
昔々、オ爺サントオ婆サン【ガ】アリマシタ。オ爺サン【ハ】山ヘ柴刈リニ、オ婆サン【ハ】川ヘ洗濯ニ行キマシ
タ。
はじめてオ爺サンとオ婆サンの提示される時は、ガが使われ(未知の情報)、一度提示された後は、オ爺サンとオ婆サンは既知の情報となったからその下にはハが使われ、ハの下に未知の情報として説明と叙述が加えられる。
ここで、実は一つのスリカエが行われる。チェイフが「新しい情報」とか「古い情報」とかいうのは、【表現された文章の上のこと】で、だからオ爺サンとオ婆サンはまず「新しい情報」として扱われ、つぎに「古い情報」になる。ところが、大野は「未知」と「既知」に書き変えることで、表現された文章ではなく、【聞き手の対象認識における】未知と既知の区別にスリカエてしまう。彼が「ハが既知の物事を提示するに対して、ガは未知の物事を提示する。」と定式化したのも、スリカエであるが、これを【既知未知論】と名づけて、スリカエたものの検討に入っていこう。
私ハ 大野デス。
私ガ 大野デス。
この二つの文を比較すれば、私ハ大野デスという文は、アナタハドナタという問いに対する答えである。相手にとってアナタなる存在、「私」という存在は、【話の場で既に確実に存在しているものとして知られ、話手聞手の共通の認識のもとにある。従って話の場に提示されたこの「私」なるものは、既知のものであり】、それはハによって表現される。それに対して未知のことを追加する部分が、「大野デス」にあたる。ところが、
私ガ 大野デス。
という表現は、「大野サンハドナタデスカ」という問いに対する答えである。ここでは既に知られているのは「大野」である。つまり、「【大野】」は【既知】であり、「【私ガ】」【が未知の部分である】。
チェイフは、表現で【まず述べられる】のを新しい情報とよんでいるから、「私【ハ】」も「私【が】」も【どちらも】新しい情報になる。だから、「【ハ】が古い情報を、【ガ】が新しい情報を反映している。」という彼の区別は、この例だけでふっ飛んでしまう。大野はそんなことに頓着なく、話しの場で聞き手が既に認識しているから、「従って」既知だと、表現から対象へと観点をスリカエて、【チェイフが「新しい情報」とよぶものを既知にしてしまった】。そしてここにはいま一つトリックがある。「大野サンハドナタデスカ。」という問い手にしても、「私」についてまったくの未知ではない。「『私」というのは話し手が自分自身をさす言葉で、自分のさがしている「ドナタ」がこの場にいるらしいこと、いればその「ドナタ」が自分のことを「私【ガ】」と表現して教えてくれるであろうこと、【を知っている】。大野はこれを未知だというが、それなら「大野」についてもまったく同じことがいえよう。「大野」がどこの教授かどんな本を書いたか何歳でどんな顔をしているか、そんなことは全然未知なホテルや会館の女の子が「大野」を単なる<固有名詞>として扱って、この未知の人間によびかけることもある。
つまり、大野は、「私」が未知だというときには【既知を具体的なものとして扱い】、「大野」が既知だというときには【彼のいう未知に相当する抽象的なものまで密輸入している】。こうしないと既知未知論とくいちがってくるだけでなく、五一年の見解の「が」の説明まで危うくなるのである。
既知と未知とは認識の問題であるが、認識は具体的なものから抽象的なものへ立体的な構造をもって成立するから、既知か未知かとあれかこれかの発想で形而上学的に割切るわけにはいかない。【抽象的でよければ何でも既知になる】。新しい素粒子もブラック・ホールも雪男も新聞雑誌で知ったから既知であるが、具体的にはどれも未知としかいいえない。長唄の『月の巻』に
鎌倉見たか江戸見たか、江戸【は】見たれど鎌倉名所【は】まだ見ない。
とあるように、話し手は自分にとって具体的に既知であろうと未知であろうと、聞き手にとって具体的に既知であろうと未知であろうと、そんなことに関係なく同じように、「は」を使うのである。また、【具体的には既知】であっても、概念として正しく把握できず、いわば【正体が不明だという意味での未知】もあって、経験の浅い子どもに多い。これでは<名詞>に表現できないから、<代名詞>を使って表現する。
【これは】お父さんが買ってきたものだ。
あすこに【これが】落ちていたよ。
話し手は「これ」に「は」や「が」を使っているが、「が」を使えば聞き手にも未知、「は」を使えば聞き手に既知になるのだろうか?はじめて物事を提示するときには「が」が使われるといいながら、はじめに「は」が使われるときにはこれは問答だと別の原理を持ちだすなら、スリカエである。
天【は】自らたすくる者を助く。
縁【は】異なもの味なもの。
玄宗【は】なきなき耳のあかをほり。
一文文章にも具体的な未知ではじまるものがある。「玄宗」について具体的に既知の読者など、数えるくらいしかいまい。また
この道【は】いつか来た道。
ああ、そうだよ
あかしやの花【が】咲いてる。
(北原白秋『この道』)
雨【は】ふるふる
城が島の磯に
利休鼠の
雨【が】ふる
(北原白秋『この道』)
おれ【は】五十人余りを相手に約一時間許り押問答をして居ると、ひょっくり狸【が】やって来た。 (夏目漱石『坊っちゃん』)
東京六大学野球リーグ戦第五週三日目の立大―早大三回戦【は】七日、神宮球場で行われ、早大【が】勝って二つ目の勝ち点をあげた。
(『朝日』一九七五年一〇月八日)
等々、大野の示した民話の例とは逆に、まず「は」が使われその叙述を受けて「が」が使われる例がいくらもある。新聞のスポーツ欄を見ればすぐわかることだが、野球ばかりでなくラグビーでもゴルフでもこの種の形式で書かれている。「十年目を迎えた日本アイスホッケーリーグ【は】二十六日、東京・品川スケートセンターで開幕。国土計画―古河、西部鉄道―十条製紙の二試合【が】行われた。」(『朝日』一九七五年一〇月二七日)と、二つの文を組合わせてもいる。
もしこれらの例を十分説得的に説明できないなら、チェイフ=大野の既知未知論は破産の宣告を受けよう。独身の男性に向かって
きみの嫁さんは私が見つけてあげるよ。
と友人がいうときに、聞き手にとって自分の「嫁さん」は既知で、「私」は未知だとは、どんな鉄面皮な学者でも主張できまい。 (『「が」と「は」の使いわけ」』より;『試行』NO.45 1976.4.)■
No.58
- 回答日時:
よちよち歩きのアスナロウ君よ。
君が言ってるのは↓↓コレだよ。笑
俺が判定で負けたのは審判のせいだ!
この審判は、俺の良さが分かってない!と。
お疲れ様でした!相手をKO出来ず、
判定に持ち込んだ、君の負けです。笑
↑この理屈が理解できず、
文句を言うのは高校生と朝鮮人だけです
No.56
- 回答日時:
中途半端な 自称理系一人と文系三人の、
ウンコの投げ合いを見て、感じたことを一言。
世の為人の為、
何の為にもならぬことで争うなかれ。
争えば、己の醜態のみが浮き彫りとなり、
そこに後継者は無し。
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#9の最後の部分を以下のように訂正します。
念のためですが、
「(彼女の)どこに惚れたんだい?」
「彼女はとてもおいしいお節料理を作った。その腕に惚れたんだよ。」
という会話は日本語として相当不自然だが、
「(彼女の)どこに惚れたんだい?」
「彼女がとてもおいしいお節料理を作ったところ。」
という会話は極めて自然な日本語である。
というご主張なのですね?
「彼女はとてもおいしいお節料理を作った。」はやり取りとしてちぐはぐな印象で「正しい」日本語ではありません。(#4)
というご回答もありました。なかなか見られない貴重なご見解で大変参考になります。
ただ、例文が自然か不自然かについてだけを問うているわけではありません。
ご自分が納得のいく「A は B だ」の構文について、
A について尋ねられているので、「A について言ってみれば・・」という主題提示の構文が自然になる。
B だ」という述部の主体としてのA が、聞き手にとって未知情報であるのは3-アーa.と同様であるが、主題として既知情報であることが確定しているわけであり「は」の役目はそこで完結している。
それだけで十分であり、A が述部の主体として未知か既知かという問題を考慮に入れる必要はまったく無いのである。
という記述内容他についてご感想をいただければ有難いと思います。
>そのあたりの定義?がちゃらんぽらんのママなんです。
:
《 [ 述語 B の主格としてのA ] は聞き手にとって未知情報である》
と質問本文に明記してあるのですが、この意味がわかりづらかったのでしょうね。
意味がわからなければ《ちゃらんぽらんのママ》と評価せざるを得ませんしね。
貴重なご意見で参考になります。
>「述語の主格」と言ってしまえば、格助詞の主格「が」なんですよ、文法で主格を表すのは「が」なんです。
>「が」格助詞・主格
「は」係助詞、格すら認められていません
同列で論議しますか?
:
非常に貴重なご指摘をいただきました。
さっそく訂正する必要がありますので、そのような記述をしている箇所を、ぜひお知らせください。
失礼、訂正があります。
✕
同じシチュエーションで言い換えても不自然ではならない、という意味ですよね。
〇
同じシチュエーションで言い換えても不自然【には】ならない、という意味ですよね。