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暴力で問題を解決するのは良くないといいますよね。理由は腕力には個人差があるため、力の弱い側が一方的に不利だからだそうです。
しかし言葉で人を責めるのは議論だとか言って許されますよね。しかし議論の強さにも個人差があるので弱い側が一方的に不利になることは同じです。
しかし言葉が弱いのは勉強不足による自己責任だとみなされる風潮がありますね。だったら腕力による対決でも弱い側は鍛錬不足による自己責任なので問題はないではないですか?
腕力で責めるのは卑怯でだが、言葉で責めるのは良いとするのは、そいつが腕力で人と勝負できないヒョロガリチビメガネだからですか?

A 回答 (3件)

>理由は腕力には個人差があるため、力の弱い側が一方的に不利だからだそうです。



違うでしょう。
それは「約束」とか「ルール」とか「信頼関係」といった「社会秩序、規範」が成立・通用しなくなるからです。

人間が自然界の動物とは違った「社会生活」を営む上で、そういった「社会秩序」を「腕力、暴力」よりも優先しようとしているからです。
その「社会秩序」では、「共通のルール」に基づく「社会的地位」とか「金銭価値」などの「強い、弱い」が発生します。

社会生活とは異なる「スポーツ」や「囲碁・将棋」などでは、そこに存在する「合意されたルール」のもとで「強い、弱い」を決めます。
それぞれに「強い、弱い」の差があるのは当然のことで、それを理由に「よくない、悪いことだ」という人はいないでしょう。
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暴力で問題を解決するのは良くないといいますよね。


理由は腕力には個人差があるため、
力の弱い側が一方的に不利だからだそうです。
 ↑
違うと思います。
暴力による解決だと、被害が大きくなるし
なによりも、社会秩序が維持出来なくなる
からです。



しかし言葉で人を責めるのは議論だとか言って許されますよね。
 ↑
言葉の段階でとどまっていれば
社会秩序は維持出来ます。




しかし議論の強さにも個人差があるので弱い側が一方的に不利になることは同じです。
しかし言葉が弱いのは勉強不足による自己責任だとみなされる風潮がありますね。だったら腕力による対決でも弱い側は鍛錬不足による自己責任なので問題はないではないですか?
 ↑
個人差が理由ならその通りですが
個人差が理由ではありません。
社会秩序の問題です。



腕力で責めるのは卑怯でだが、言葉で責めるのは良いとするのは、
そいつが腕力で人と勝負できない
ヒョロガリチビメガネだからですか?
 ↑
女性の社会進出も影響している
かもしれません。
女性は、腕力は弱いけど、口は達者ですから。
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暴力・腕力・兵器を使用する行動には


「破壊」が伴います。そしてそれは凡そ
「元の状態に戻そうとすると、時間がかかったり、決して元に戻せない」ものです。

ケンカ → 相手がケガ、死亡
戦争 → 街の破壊、民衆にケガ人・死者
核戦争 → 「戦争」被害 + 放射能汚染

言葉とかゲーム、スポーツなどでルールを作って争うだけなら、そういった被害が防げます。
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