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第二次世界大戦で日本が負けなければ日本の航空機産業は成功しましたか?
 敗戦後、三菱ゼロ戦等の図面は全てアメリカに没収され、日本の技術産業はアメリカに制圧されました。
 やはり当時のアメリカは日本の航空機設計技術をかなり取り入れて、今の成功があるのでしょうか?パクられた?
  まぁ、当時から大型航空機はアメリカが優れていましたが、今の日本の航空機技術があまりにも低いのは、敗戦が原因だと思いますか?

A 回答 (8件)

>第二次世界大戦で日本が負けなければ日本の航空機産業は成功しましたか?



 ある程度は。戦前戦中に日本が大変な勢いで航空機開発ができたのは、国家総力戦のなかで国が国運をかけて資源や予算を投資したからです。戦後の平和が続いたらそんな投資はたぶんしない。競争に参加できるくらいまでにはいけたかもしれないですけれど。

>当時のアメリカは日本の航空機設計技術をかなり取り入れて、今の成功があるのでしょうか?パクられた?
→それはありません。基幹技術はあちらの方が上。確かに超超ジュラルミンは優れた合金ですが、アメリカはそんな耐蝕性や切削性に劣る合金を無理して使って軽量化しなくてもOKだっただけのことです。またいくつかの翼型で優れたものを開発してはいますが、唯一無二のものでもありません。あとは自動空戦フラップくらいでしょうか。個別に優れたものを開発はできたけれど、総合的な技術力ではかなわなかったというべきだと思います。
 航空機開発は総合力がものをいう分野です。国を挙げて力を入れればそこそこには行けたかも。それにしても開発も製造も禁じられ、技術者たちも離散させられたのは痛かったですね。
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不正ばかりの三菱にさせたのが問題ですわ 



業績が悪化していたところに、国が三菱に投資しただけで終わったのを

国民が騒がないのが間抜けだと言うのですよ 

電通や三菱など出来レースだったんだと 早く気付かないと
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>今の日本の航空機技術があまりにも低いのは、敗戦が原因だと思いますか?



思いません。
やる気がないだけだと思います。
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神風特攻隊に頼り過ぎ、


空襲で焼け野原
嘘情報で戦意をあおり、
一億玉砕と
叫び、
嘘ニュース流しすぎたと聞く。
終わってよかったのでしょうね。

まあ、戦後生まれなので
ニュースや外聞を
見ての話ですがね。
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第二次世界大戦で日本が負けなければ日本の


航空機産業は成功しましたか?
 ↑
ハイ、間違い無く成功したと
思います。



敗戦後、三菱ゼロ戦等の図面は全てアメリカに没収され、
日本の技術産業はアメリカに制圧されました。
やはり当時のアメリカは日本の航空機設計技術をかなり取り入れて、
今の成功があるのでしょうか?パクられた?
 ↑
パクったかどうかは判りませんが
こんな逸話があります。
・零戦を捕獲した米国が分解して調べた結果
 驚いた。
「これは兵器ではない。工芸品だ。
 こんなモノを一機製造するよりも、劣る10機を
 製造した方が、戦争には有利だろうに」

・零戦を研究し、零戦に勝てる戦闘機として
 グラマンを開発した。
 


まぁ、当時から大型航空機はアメリカが優れていましたが、
今の日本の航空機技術があまりにも低いのは、
敗戦が原因だと思いますか?
 ↑
敗戦で技術の承継がなされず
途切れましたね。
あれが致命的でした。
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>第二次世界大戦で日本が負けなければ日本の航空機産業は成功しましたか?



少なくとも競争には参加できたでしょう。降伏から再独立までの間、日本は航空機の研究、設計、製造を禁止させられました。その間に航空機は大型化し、ジェットエンジンの時代に突入しました。日本が戻ってきたときは浦島太郎状態だったのです。

>やはり当時のアメリカは日本の航空機設計技術をかなり取り入れて、今の成功があるのでしょうか?パクられた?

いいえ、戦時中からアメリカの航空機の性能は日本を越えていました。あえてパクったとすれば超々ジュラルミン、肉抜きぐらいでしょう。翼設計の最適化はアメリカが自分で成功してそれを分析したところ、日本には既に理論式があったということを知ったとのことですから、パクってはいないでしょう。

日本がYS-11を設計生産したときは、一式陸攻を越える大型機体で、当時でも重鎮(俗に五人のサムライと呼ばれます)と呼ばれる方々が基本設計をしたのですが、風洞での空力試験結果通りにいかず、三舵問題などが多数発生しました。重鎮の方々の戦中の設計経験をしても、既に追いついていなかったのです。型式認定を取るまでの試験時間は標準的なものでしたが、仕様変更は相当に大変だったようです。例としては以下のような経験不足によるものが挙げられます。10年弱世界と競えなかったことで、とんでもない差がついたのでした。

・風洞試験と実空力の著しい乖離。基本設計時はプロペラ無しの模型試験。量産設計では、プロペラをつけ模型機体背面を上にし吊り下げることで特性が得られることが事後に分かった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1 …
・降着装置は他機のデッドコピーだったが、スクリューオフで調整するというノウハウがなかった。
・あのサイズではスプリングタブは有効に機能しない。結果、バランスタブに変更。
・主翼の上反角不足。主翼の付け根に楔を入れることで解決。
・主翼上面の空気剥離。ボルテックスジェネレータで解決。
・機体床下に大量の雨水溜り。軍用機は掩体壕の中で駐機するが、民間輸送機はそういうことをしないということを設計者は誰も知らなかった。

>今の日本の航空機技術があまりにも低いのは、敗戦が原因だと思いますか?

敗戦も一因ですが、日本は民間輸送機に転用できるものを碌に作っていなかったので、異次元だったのでしょう。
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第二次世界大戦で日本が勝つということは、アメリカに勝つということです。



敗戦国のアメリカに対して「航空機は作ってはならぬ」とするわけです。

そうなれば、日本の天下です。
ただし、「ある期間に限って」でしょう。

今の日本と同じように、アメリカは戦後復興を果たします。

で、日本に戦争を仕掛けて、結局日本は負けます。

第二次世界大戦後の日本は軍国主義のままですから、軍人が支配する国に未来はありません。

日本の天下はそこまでです。
日本の航空機もそこまでです。
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ですね。


紫電、グラマンを振り切りましたからね。

零戦クラスがあり、空母も沢山あり資源と燃料あったら勝ち戦

日本は燃料輸入を絶たれましたからね

資源なき日本、兵糧攻めでした。


仕方なく開戦したと思います

東條英機、当時の軍部

天皇陛下の対話など最近公開されました

近衛内閣


やら


国産三菱も頑張ってはいます

MMJなんとかでしたか
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