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皆さんはどう思いますか?
以下の3つの選択肢からお選びください。
①当たり前
②仕方ない
③そんな必要は無かった

A 回答 (10件)

2です。


日本人は自ら為政者を裁く能力が欠如していますからね。日本人の代わりに裁いてくれたんですよ。
もっと多くの無責任な軍のおエライさんがたも死刑にしてくれればよかったんですけどね。
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②です。

戦勝国が決めたことですから。
負けた国に選択しかはない。
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3です。


死刑にする法的根拠がありません。

戦後GHQの教育で「戦前の日本はわるい国」と教えられました。
なのでその指導者たる東条英機は極悪人と思う人が多いようです。
確かに官僚の見本のような人でしたから、すべてが正しい訳でなく
間違った方針もありましたが、訴因である「平和に対する罪」
「人道に対する罪」は裁判のために作られた事後法。
どんなに悪人と思う人でも後から作られた罪で裁くことは
近代司法としては最も忌むべきことです。
勝てば官軍だから法律を好きにしてもよいなど論外です。

宣戦布告は悪ではありませんし、侵略も訴因にはなりえません。
戦争による犠牲があってもそれ自体を罪に問うことで
死刑にするのは明らかに報復裁判。
実際にソ連はフィンランドを侵略(冬戦争)してます。
フィンランドはそのまま連合国から見捨てられたうえ
継続戦争で唯一助けに来たのがドイツだったので、
侵略されたのに敵国条項で敵国扱いです。

そもそも戦争に突入した時に首相だったから死刑になりました。
戦争に導いたのは近衛文麿です。
戦争の回避が困難になってからあわてて姑息な対応をしますが
それだけ見て近衛より東条が悪人と思う人もいるようです。
むしろ東条は開戦を回避する可能性が最も高いと期待されたけど
東条が首相になった時には御前会議で開戦が決議されていたし
打てる手はほとんどありませんでした。
よく言われるハルノートも、東郷外相が時間切れと諦めたからで
時間があれば日本も中国や仏印からの部分撤退も考えていたので
日本側の案との妥協点を探ることができたかもしれません。

ちなみに、当時を知らない人はよく戦陣訓を挙げますが
当時の一般的な認識としては捕虜となるのは恥ずかしいことで
捕虜や敵前逃亡より死んだほうがましというのが一般常識でした。
実際にノモンハンでも「捕虜すべて犯罪者と見なして捜査して、
有罪と認めたる者を之を起訴すべし」とされたので収監されて
軍法会議にかかり一部将校は自決を強要されました。
捕虜以外も兵員や弾薬が尽きて撤退した指揮官は無断撤退として
解任されて予備役になっています。
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戦争犯罪人とするのは戦勝国の特権みたいなものですね、俗に勝てば官軍と言う言葉通りだと思います、戦犯は戦勝国の思いのままに決められて行ったと言うのが本音ではないでしょうか?、連合国(米国)は日本に原子爆弾を投下して罪も無い日本国民を殺傷した事の方が重大戦争犯罪事件と言うべきだと思います、もし日本が負けずに講和に持ち込めていたなら東条英機は無罪放免でしょう。

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No1さんに同意です。

これは日本人の手で裁かなければならなかったと思います。東条英機は日本を勝ち目のない戦争に引きずりこんだと言うことで、責任は重大です。

以下、以前回答した内容に重なりますが以下東条英機の責任をかいてみます。

(1)主観的願望と客観的情勢を混同し主戦論、戦争継続を主張

支那派遣軍総司令部が「アメリカと妥協して事変の解決に真剣に取り組んで貰いたい」と見解を述べたが、東條の返答は「第一線の指揮官は、前方を向いていればよい。後方を向くべからず」だった。(1940年)

『第一回総力戦机上演習総合研究会』に近衛内閣の陸軍大臣として参加し、総力戦研究所より日米戦争は「日本必敗」との報告を受けていたにもかかわらず開戦にこだわった。(1941年)

日米衝突を回避しようと近衛文麿首相が「日米問題は難しいが、駐兵問題に色つやをつければ、成立の見込みがあると思う」と発言したのに対して東條は激怒し「撤兵問題は心臓だ。撤兵を何と考えるか」「譲歩に譲歩、譲歩を加えその上この基本をなす心臓まで譲る必要がありますか。これまで譲りそれが外交か、降伏です」と唱えた(1941年)

サイパンが陥落し日本本土が爆撃されるのが必死の状況にもかかわらず、「知識階級の敗戦必至論はまこと遺憾であります」と徹底抗戦を上奏、この上奏の中で、「アメリカはすでに厭戦気分が蔓延しており、本土空襲はいずれ弱まるでしょう」、「ソ連の参戦の可能性は高いとはいえないでしょう」と根拠に欠ける楽観的予想を述べた。(1945年2月)

1945年8月13日の日記には「私はこんな弱気の国民と思わずに戦争指導にあたった不明を恥じる」と国民に責任転嫁する言葉を残している。

(2)戦陣訓で降伏を拒否し兵士に自決を強要

陸軍大臣だった1946年に東条英機が全陸軍に発した戦場での心得「戦陣訓」では「生きて虜囚の辱(はずかし)めを受けず」という文言があり、敵の捕虜になっては恥だ、捕虜になるくらいなら自決しろと教えていた。

そのため絶望的な戦況になった場合は降伏をせず、徹底的に全滅するまで戦うか自決する事が美徳とされ、多くの戦死者をだした。

なお、東条自身は、拳銃自殺に失敗して巣鴨刑務所に収容されている。まさに「生きて虜囚の辱めをうけ」といえる。私の感想でいえば「どうやったら拳銃自殺で失敗できるのか」が疑問。

(3)露骨な懲罰人事

東条は政治的に敵対した者を、職権を乱用して迫害、特に懲罰召集として本来兵役につくはずのない人物を兵役に召集し最前線に送り出している。

① 新名丈夫(新聞記者)を懲罰召集
 「竹槍では勝てない、飛行機だ。海軍飛行機だ」と主張した記者を二等兵として召集し硫黄島へ送ろうとした

② 松前重義(逓信省工務局長)を懲罰召集
 技術者を集めて日米の生産力に圧倒的な差があることを綿密に調査し、この結果を軍令部や近衛らに広めて東條退陣を期したとされ、42歳の彼を二等兵として南方の戦場に送る

近衛内閣の首相秘書官であった細川護貞は『細川日記』1944年(昭和19年)で「海軍の計算によれば、斯の如く一東条の私怨を晴らさんが為、無理なる召集をしたる者七十二人に及べりと。正に神聖なる応召は、文字通り東条の私怨を晴らさんが為の道具となりたり」と批判している。

他にも数多くあり、軍隊内でも自分の気に入らないものを現役から外し予備役に編入させることもしていますね。

とてもではないですが、彼の責任は免れないでしょう。器の小さい人間がトップにたつとろくなことがないです。

追記 東条英機の靖国神社への合祀について

東条英機は、昭和19年7月15日「靖国神社合祀調査及上申内則」 をだしています。この中で、
一、靖国神社への合祀は戦役事変に際し、国家の大事にたおれた者への神聖無比の恩典。上申は公明に行え。
一、「合祀上申」とすべきは戦死者または戦傷死者、「特別合祀上申」とすべきは
(1)戦地においてマラリア、コレラなど17のいずれかの流行病で死亡した者
(2)自己の重大な過失によらずに負傷または病後に死亡した者
(3)戦地以外で戦役、事変に関する特殊勤務に就き、負傷または病後に死亡した者?とする。

この基準で言えば、東条英機は戦死者または戦傷死者でもないですし、戦病死者でもありません。また戦地以外で特殊任務についていたわけでもないです。ですから合祀するというのは本人の意にも反すると思うのですけれどね。
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戦犯の処罰は連合国の合意事項ですから、開戦時の首相であり、戦争を主導した人物を極刑に処すのは、連合国としては当然でしょう。



私個人の意見としては、連合国の立場ではなく、日本国民の立場として、この戦争の責任と敗戦の責任、そして降伏を遅らせて徒に国内外の犠牲者を増やしたことの責任を問い、国内法の下で、然るべく処罰を下すべきであったと思います。

彼は、そもそも昭和天皇が対米開戦回避を願い、陸軍内の強硬な開戦派を押さえて開戦を防ぐためだけに首相に就任した人物だ。
それなのに彼の内閣の下で開戦を決めてしまった。それだけでも充分死刑に値する。
彼は敗戦後に拳銃自殺を試みているが、本来ならば開戦が防げそうもないと分かった時点で、皇居前で割腹自殺すべきだった。
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事実上の責任者は東条くんですから①です。



ただ、天皇の戦争責任がありますから②でも良いです。

で、天皇は・・・。
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負けた方の責任者が処罰を受けるのは仕方がないので日本人からすれば②だけど、勝利した連合国側からすれば自分の家族・友人が被害にあったので①になる。

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②山本五十六が存命だったなら、絞首刑だったでしょう

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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2023/05/20 10:06

(´・ω・`) (3)ただの官僚政治家だぜ?



東條英機はリーダーとして日本を先導して導いていった
指導者ではないでしょ?

皆で合議して決めたことをリーダーという立場で粛々とすすめていた
だけの人なんだから、

もっと別の時代に同じ立場についていたのなら別のことしただけの
人なんじゃないですかね?

責任とって自殺を経ったりとかそういう高潔さは認めますが、

特に、この人がキーになって戦局を先導してプランをもって
日本を導いたというわけではない気がします。

以上、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ただの官僚という意見もありますが、内閣総理大臣(首相)ですから流石に立場・責任は別格ですよ。
まあ日本には天皇陛下がいらっしゃるので東条英機は独裁者ではありませんでしたがね。

お礼日時:2023/05/20 09:56

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