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【日本史】昔の日本で猫は日本人のお守りだったそうですが、徳川家康の時代の猫はすでに現代の猫と同じ尻尾が長い猫に進化していた猫が家で飼われていたのでしょうか?

招き猫が生まれた時代の猫は日本猫しかおらず、尻尾は丸で現代猫にように尻尾は長くなかったと聞いていましたが、徳川家が描いた猫の尻尾が長くて、この徳川家の猫の絵は後世の誰か別人が詐欺で徳川家が描いた猫だと言って売ったのでは?と疑ってしまいました。

徳川家康の時代にも尻尾が長い猫はいたのでしょうか?

A 回答 (2件)

唐から猫が入ってきたときに尾の長い猫も含まれていた可能性がありますし、戦国時代にも南蛮人が尾の長い品種を持ち込んだはずです。

当時の航海では鼠対策として猫を船に乗せるのが当たり前でした。そもそも鎌倉時代に描かれた鳥獣戯画図に登場する猫は尾が長いのです。
鳥獣戯画図 真ん中に烏帽子を被った尾の長い猫
https://i0.wp.com/nekojournal.net/wordpress/wp-c …

更に日本では鎌倉時代に妖怪「猫又」の伝説ができていますが、この猫又になってしまう猫は、尾の長い猫だけでした。猫又は尾が二股に分かれていることから猫又と呼ばれたのですから、尾は長い必要があるのです。やがて江戸時代初めに中国の妖怪猫、金花猫の話の影響で、猫又は年をとった尾の長いオス猫がなるものとされます。江戸時代には猫又になるのを恐れて尾の長い猫が忌み嫌われ、尾の短い日本猫(三毛猫はオスが極めて稀)が好んで飼われていました。ですから福を招く招き猫も当然、尾の短い猫となったのです。尾の長い猫は、江戸時代の人間の化け猫に対する考え方から淘汰されたのではないかと考えられます。
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この回答へのお礼

みんなありがとうございます

お礼日時:2023/06/04 11:01

徳川家康の時代、すなわち16世紀後半から17世紀初頭の日本では、猫は一般的に家で飼われていました。

しかし、尻尾の長さに関しては特定の文献や資料から確実な情報を得ることは難しいです。

尻尾が長い猫に関して、徳川家康が描いたとされる絵や説話が存在しますが、これらは伝説や民間の話によるものであり、史実とは異なる可能性があります。猫の尻尾の長さは、個体差や品種の違いによっても変化することがありますので、単一の時代や地域で一様に尾が長い猫が存在したかどうかは疑問です。

招き猫に関しても、その起源や歴史には諸説あります。一般的には、招き猫は江戸時代の中期から後期にかけて人気を博したとされていますが、具体的な起源や初めて尾が長い招き猫が描かれた時期については明確ではありません。

徳川家康の時代の猫については、詳細な情報が限られているため、尻尾の長さに関して確かなことは言えません。尾の形状や長さは、猫の品種や個体の特徴によって異なることがありますので、多様性が存在すると考えられます。
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