アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

昭和のおっさんの得意技、気合い
戦後、家も物資もない状態から気合いだけでここまで日本を立て直した、今の連中だったら何にもしないで政府やら人に文句ばかり言って復興など無理だろう
それは気合いがないからだ
自分は気合いを独自で研究し、昭和の漫画やアニメ、任侠映画を漁り、気合いの意味合いを理解したが、どうも中途半端で気合いを自在に出す事が出来ず逃げたり、諦めて人のせいにしてしまい気合いが全く使えていません

気合いを磨くにはどうしたらいいですか?

A 回答 (3件)

気合を磨くには、実践あるのみ。



頭で分かっていても、筋肉は付かないから、誰もが実践します。

気合いもそうです。

実践しなければ、、、。
    • good
    • 0

気合いって、書いてる字の如く、気を合わせること。

これは、相手の居る事で、相手の、呼吸や、思惑に同調する事。そして、日本が発展したのは、他国より、技術や知識があったから。気合いより、集中力を上げる努力をしたほうが良いと思う。気合いは、戦う前に上げる物で死ぬか生きるかの状態になれば自然に、上がる。
    • good
    • 0

私は在米の隠居爺です。


プロファイルにも記しましたが、考えるところがあり、若いころに当地アメリカに渡って来ました。

幸いなことに早くに生活を安定にすることが出来ましたが、ネットどころか国際電話さえ高くてなかなかできなかった時代、身寄りも友達も頼る人も居ないこの地でそれができたのは『気合』だったと思います。

しかし、私もそうですが、気合で成功できた人はそうそう居ないと思います。
なぜなら・・・これは私の私感ですが・・・気合は単なる気持ちを強く持つという問題ではないからです。

私が思う気合とは、実力に裏打ちされた意気込みのことと思います。
実力はしっかりあり、成功させられる可能性や見通しがあるうえで、残されたリスクを跳ね除けることが出来そうだという時に込める意気込みです。

何事においても失敗のリスクはあるものです。
それをかわせる自信があって込める意気込みが気合で、かわせるかどうかもわからないで込めるものは気合でもなんでもない、ただの無謀なはったりです。

私は子どものころから趣味で電気の工作を楽しんできました。
小学生の頃に親に買ってもらった雑誌がきっかけでした。

捨てられたテレビやラジオを拾って来ては分解し、はんだ付けや配線の仕方なんかをそこから修得しつつ、自作のための部品を集めました。
そして、雑誌を頼りにラジオやオーディオアンプなんかを自作してました。

超がつくようなド田舎に暮らしていましたから、遊びにはこんな一人でできることぐらいしかなく、親などの家族も含めて話しが出来る仲間も居ませんでしたから、全てはひとりでやってました。

中学校になってアマチュア無線の免許を取ると、短波の通信用の受信機や送信機を、これも雑誌を頼りに自作で作り、遠距離の相手との通信を楽しんだものです。
市販の通信機は高価で買ってもらえませんでしたから。

そんなことをくり返しているうち、高校の頃になると、作りたいと思うものは、回路も箱などの板金加工物も、自分で設計して製作できるようになりました。

なので、大学への進学ではお決まりのように工学部へ進みました。
しかし大学はつまらなかった。
そこそこ良い大学ではありましたが、講義で出てくることはもう知って使っていることばかり。
なので、授業のない時間は、自身で身につけた『チエ・ウデ・ワザ・カン・ノウハウ』なんかを使い、出来るならそれを磨けることを期待して、メーカーなどの企業で働いてました。

だがらと言って大学をバカにしてはいませんでした。
講義の中には、知らないもの、先端的なもの、優れたものなんかが現れ、そういったものに出会う度、自分で勉強し、いろいろ試し、いつか使う日が来たら使えるように、独自のノウハウをポケットの中にしまうようにしていました。

日々の暮らしの中でそういったポケットにしまっていたものを使えるチャンスはそうそう来るものではありません。
アメリカに渡って来てもしばらくはそうでした。

しかし、ある時そのチャンスが来ました。
一緒に仕事をしていた仲間がやっていた開発案件で大きな課題にぶち当たってしまったのです。

それはある特殊な手法を必要とするもので、経験がないと対応の難しいものでした。
それがチャンスだったのは、その対応法を私が既に経験しており、ノウハウをポケット(頭の中)に持っていたからです。

ただ、そうは言っても、プロの世界でそれをきっちり成果に仕上げるには、やらなければいけないことはたくさんあります。
それを全てやり切れるかはリスクを伴うものです。

そこでの判断、つまり、私が代行して開発をしてあげるのを申し出るかどうかが『気合』でした。
かなりの勝算はあると思っていましたが、それは 100% ではない。
失敗すると私の責任問題・となり、信用を失うかもしれない、ということとの葛藤でした。

結果から言うと成功で、私の本来の仕事でもないので、私の個人的な時間を使っての援助としてやったので、時間と労力はかかりましたが、私としては期待通り、仲間としては期待以上の成果を収めることが出来ました。

『気合』とは、このように『保証は無いながらも、できる見通しはある世界でのリスクを背負ったGO判断』のことを言うのだと思います。

やったこともないことを出来ると言ってやることを気合とは言わないでしょう。
それはただの無謀です。
ましてや、その結果を人のせいにするなど言語道断です。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!