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たまに自己啓発の本や成功法則などと書いた本を読むのですが
なんか成功者の自慢話しのような気がして、胡散臭く感じて
しまいます。読むと成長できるものでしょうか?

A 回答 (3件)

わかるわかる。


成功者はたまたま成功したんで、人間としての資質も、時代も社会環境も違う他人がその経歴や努力を真似たからって成功するものではない。
また、本には書かれていない、本人も自覚していない、成功を後押しした事実もたくさんあるはず。
だけどまあ、なにかの参考にはなるかもと眺めています。
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それは筆者によると思いますね


加藤諦三氏の本はそうではないです
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一応ジャンルですので「対象となる読者」と言うのが想定されているのでしょう。

推理小説を読んで「推理を楽しみたいだけなのに必ず殺人が起きるのは何故?」と思うと読み進められなくなります。私はその一人です。

自己啓発本もその名の通りのジャンルじゃないんでしょう。私が思うに「反省したい人が誰かに叱って貰うためのジャンル」じゃないかと。「お前はここがダメなんだよ」みたいに尊敬する人に叱って貰いたい。そういう人には向いていると思います。

「俺のやり方は俺が考える」

と思っている人にとっては「だから何?」でしかないですよ。

成長というのは「やり方を変えたら何とかなった」と言う経験を積み上げて「大体の事は自分で何とかなる」と自信を深める事だと思います。誰かに依存している常体ではストレスが掛かります。考えない様にして逃れるか、「自分で何とかできる」として忘れるかでは大きく違いますよね。後者が望ましいですよね。

また「何時も同じような流れで失敗していた」と言う人が「いつもと違う選択をした」事で流れを変えたとしたら「成長したなあ」と周囲の人も思うでしょう。

ですので「こんな時こうしていませんか?」「こんな事で悩んだことはありませんか?」と問いかけて「私のやり方」を紹介するのが仕事術や啓発本だと思います。乗り越えた人が他の人のやり方を確認するという意味で読む場合もあるでしょう。しかし大体の場合は「自分で気づけない人」が対象となりますから「そういう人にとって魅力を感じる言い方」になるわけです。

では対象としてどういう人物像をイメージするか?

・自分に自信が無い人
・原因は分からないけど上手くいっていないと漠然と思う人
・平凡が嫌であり凡人のグループから卒業したいと思う人

こんな所ですよね。

本当の問題は「自分には他人を驚かせるような凄い力が無い」のではなく「直ぐ身近にいる人を同じ人間として詳細に観察する意欲」に欠ける事なのでしょう。そのあたりが平均以上に出来ている人は読みませんよ。

しかしそうじゃな人には「凄そうな人」「華々しい実績」「君でも他の人を見返す事が出来る」と言う呼びかけは強い誘惑となるでしょう。

本当にためになる自己啓発本としてベストセラーは過去から沢山あります。それらは仏教のお経だったり、キリスト教の聖書だったりします。筆者の生きて来た時代が違うだけでジャンルはおんなじです。自己啓発本を出す人は釈迦やキリストと勝負しているのですが、イマサラ感がありますよね。

そういう意味で例えると三大宗教などは名作の文学小説、自己啓発本はナロウ系小説くらいの違いがあります。

「ナロウ系の小説を読んで成長できるのでしょうか?」

「それくらいだったら名作文学でも読んだらどうか?」

「つまらないと思うので・・・無理」

「だったら娯楽だと思ってナロウを読み、その代わり
 成長は諦めるというのはどうか?」

「いや・・・もともとナロウで成長とか思ってないし」

という事で自己啓発本で成長をしようというのはナロウ系を読んで成長しようというくらいの話です。本当に成長したいならば道徳、仏教、キリスト教(イスラム教)などがあります。入信せずに教本をどこかで読んでおくと良いと思います。

私はうつ病になった時(しぶしぶと)仏教のお坊さんのサイト(臨済宗)に行き勉強しました。その筆者の方は現代の自己啓発関連(同業他者なので)は大体読んでおり(仏教の方が上だと確信したうえで)、過去の仏教の智慧を紹介しておりました。私はこのサイト一つで足りると感じましたよ。

まあ私の偏った意見ですが「想定読者向けの文法や文脈」があるのだと思います。異世界転生物でも始まりがほとんど同じであり、文脈もほぼ同じです。そこに文句を言いたくなる人もいるでしょう。そして自己啓発系のジャンルは釈迦やキリストと同じジャンルにあるわけです。その中でナロウ系みたいな位置づけを目指しているわけです。その文脈が「オラオラ」であるのは仕方ないかもしれませんよ。

釈迦やキリストも「俺を目指せ」と言っております。同様に啓発本の筆者もそういうスタンスを取るわけです。釈迦やキリストが「俺を目指せ」と言えば「無理無理無理」と恐縮する人が多いわけですが、そうじゃない人がいうと「なに自慢?」とみられてしまうんでしょう。一般人が正直な気持ちで思う哀しい実力差です。

以上、ご参考になれば。
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