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日本史に関する質問です。
徳川家康公は、かなり開国的政策をガンガン展開していたとありますね。
主としてオランダとイギリスを相手に友好的外交を展開し、色々と貿易を展開したとか…。
ここまでやれたのも、オランダとイギリスが「キリスト教布教の押し売り」をしなかったからこそ、家康公としても警戒心を抱かずにこれほどの開国政策をやれたのではないかと…(信長公からの影響もあるでしょうけど)。


皆様としては、このテーマについて、どのような見解が出来ましょうか?

A 回答 (2件)

ウィルアム・アダムス=三浦按針の影響でしょうね。


アダムスは人間的にも信頼できる人でした。そのアダムスの悪口を言うポルトガル人たちは、だんだん敬遠することに。
スペイン、ポルトガルの海賊行為で、イギリス船がなかなか日本まで来れなかった事情がありましたが、それを禁止されたことで、イギリスにとって日本は良い貿易相手に。オランダは大航海時代に出遅れて、交易国がほとんどなかったため、遠いというデメリットはあるものの、新規開拓先として日本との貿易にかなりチカラを注ぎました。
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この回答へのお礼

成程(なるほど)…。
しかし、家康公の死後、秀忠政権となってから開国政策のところが鎖国政策へと舵を切られて退化する事に…。
日本のガラパゴス化は、秀忠の所為と言えそうやな…。

お礼日時:2023/12/21 08:21

外交を教えた三浦按針がイギリスの人だったからだと思います


彼は貿易家ですから自国との貿易の糸口を待っていたと思います
国にも帰れるし家族へ手紙も渡せます
世界も英語も分からない人に我田引水で通訳するのは普通です。
私でも まずは近場で貿易をさせて、大きな船を作らせ
北回り航路を開けさして自国との貿易を独占すれば国でも大もうけできます。
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