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太平洋戦争末期のフィリピンの戦いについてなんですが、日本陸軍は30万人以上いたのに米軍に対して大した打撃を与えないまま壊滅しました。末期の日本陸軍は硫黄島や沖縄ではかなり健闘しているのに、それより遥かに多い大兵力で守っていたフィリピンはなぜ駄目だったんでしょうか?

A 回答 (6件)

山下将軍はルソン島で防御を固めようとしていました。


そこで台湾沖航空戦で、日本陸海軍機が米国の機動部隊を殲滅したという大誤報が発生しました。実際には日本軍機は大損害を受け、米機動部隊の損害は軽微なものでした。敗色濃厚で気分が沈み込んでいた中、帰還機の報告を針小棒大に解釈して大喜びしてしまったのです。

大本営も南方軍総司令部も喜び勇んで大反撃作戦を立案し、山下将軍にレイテ島に上陸しつつあった米軍に対し、ルソン島から精鋭部隊をレイテ島に逆上陸作戦を敢行するように命じました。海軍も海軍で残存艦隊の総力を挙げ、戦艦大和と武蔵を主力とする栗田艦隊を編成し、残り少ない燃料を投じて米軍が上陸しつつあるレイテ湾に突入し、米軍に艦砲射撃の嵐を見舞おうという壮大な反撃作戦でした。

しかし、米機動部隊が健在のままではこの作戦は無謀です。上陸部隊の輸送船団が渡航中に米軍機に壊滅させられるからです。

ルソン島では連日激しい空襲が止まらなかったなどから、山下将軍は「米機動部隊壊滅説」を疑い、この反撃作戦に猛反対しましたが、動き出した作戦を止めることができず、ルソン島防衛軍を切り崩してレイテ島に大軍を侵攻させました。

結局、栗田艦隊はレイテ島に突入せずに撤退。レイテ島上陸部隊は無事に上陸しましたが、食料武器弾薬を積んだ後続の輸送船団が撃沈されまくったため、上陸部隊はすぐに飢餓状態に陥り、簡単に米軍に掃討されてしまいました。

その結果、方面軍全体が弱体化し、ルソン島に上陸してきた米軍に組織的に反撃する能力を失ってしまいました。フィリピン人の反日抵抗ゲリラ部隊が活発化したこともあります。
山下将軍はほどなく各地の部隊が個別に米軍に対応するように指示を下さざるを得なくなってしまいました。

すべてが台湾沖航空戦の大誤報が原因とは思いませんが、この大誤報がもたらした影響は、レイテ島逆上陸参戦のために精鋭師団を引き抜かれた沖縄方面軍にも米上陸軍殲滅作戦を諦めざるを得なくするなど、多方面に及んでいます。
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糧秣や武器弾薬の補給が滞っていたことと、統治に失敗して周囲の現地人を敵に回してしまったことが原因じゃないですかね。

戦力配置やらなんやら全部米軍に筒抜け、その上弾も食料も医薬品も無ければ勝ち目はないです。戦死よりも餓死・病死が圧倒的に多く、その率は70%台以上とも。
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1944年6月のマリアナ沖海戦は日本の敗北に終わり、7月9日にはサイパン島を失陥して、日本本土を含めて制海権も制空権も失い、マリアナ諸島の喪失も確実なものとなった。

 この敗北は日本の政治情勢にも影響し、東條英機内閣が倒れて、7月22日に小磯内閣が誕生した。 この時点で、日本の戦力は既に破断界に達していた。 そしてフィリピンの日本軍は、本土からの支援も受けられずに孤立していた。 一方、フィリピンでは現地の抗日武装勢力が全面的に米軍に協力した。 マッカーサーは自身の前職がフィリピン軍元帥であったこと、また、父親の代よりこのフィリピンの利権を多く握っており、フィリピン奪回に必死に取り組んだ。
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マッカーサーをフィリピンから追い出したのですから弱く無いですよ。


#2さんの回答の通りで、腹が減っては戦は出来ないのです。
食料確保の為に、フィリピンの村落を襲ったのです、この事は
フィリピン国民の心に深い傷跡を残したのです。
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食事も物資も支給されず、自分でなんとかしろと言われていたくらい日本にはお金がなかった。


負けるのは最初からわかっていた。
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硫黄島や沖縄は、最終防衛ラインだったからです。


そこが突破されると、本土攻撃に直結します。
フィリピンは、そうではないので、兵站などがおろそかにされ、人がいるだけではどうしようもなかった。
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