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ちょっと意地悪(だけど切実な)質問をさせて下さい.

国内において税金の使途が厳しく問われる昨今ですが,
果たして哲学者(ここでは国立大の哲学科の教官)は
納税者にどのようなメリットを還元しているのでしょうか?

ここでメリットとは
「病気が治る」「危険な作業から人を解放する」などの
「現時点で納税者の多くの人が期待すると思われる便益」であるとします.

私の仮説は
1)哲学者に具体的な何かを期待していると明言できる人がほとんどいないと思われる
2)過去(例えば戦後50年,あるいは,維新後130年)に哲学者がメリットをもたらした具体的実績がほとんどないと思われる(つまり,メリットを供給する能力が哲学者には備わっていない)
ゆえに,哲学者を税金でまかなう時代は過ぎた
というものです.哲学者の人件費を他分野の奨学金にまわしてはどうでしょう?

勿論,哲学自体は否定しません.色々反論があるかと思いますが,哲学の役割を「具体的に」説明できる能力を有す方のみ,ご返答おねがいします.

少々,過激かもしれませんが,お許しください.

A 回答 (13件中11~13件)

医療分野の話なんですが、「人の死とは何か」という哲学の問題が大きく取り上げられていますでしょう? (脳死の問題ですよ) 死と生のことでは死生学という哲学分野も生まれました。

性に関して、女性解放、男性開放などのジェンダー運動も哲学運動だし、性同一性障害に代表される性の境界の問題も哲学として語られます。また教員になりたい人は、大学で「教育とは何か」という切実な問題を教育哲学者の教授から突きつけられます。更にアメリカのあのテロ事件に関連して、政治の分野では「正義とは何か」という政治哲学が語られます。報復が正義か、法的な処置が正義か、アメリカも思想界も揺れています。言語とは何か(言語学)、認知とは何か(心理学・生物学)、時間とは何か(物理学)などの問題は基本的には哲学の問題です。哲学は、他分野と密接に係わりながら息づいています。従って「哲学」が不要になることはないと思われます。大学の哲学科のようなところは、そんな根本問題の「考え方」を学ぶ学科なのでしょう。いわば「哲学の基礎」を、じっくり学ぶといったところでしょうか。

この回答への補足

ご回答有難う御座います.
私も哲学が不要になるとは思いません.仰られるとおり医療,政治,物理…いろんな分野で現実に新たなテーマが浮上しているのは分かります.しかしこのこと自体は昔から変わりありません.常に各分野で新たな難題が出てきているのは今に始まったことではありません.

私の論点は,そのようなこれまでの現実の問題を哲学の手法で解決し,納税者に具体的メリットを還元した実績があったのだろうか?ということです.現実の問題をまず検討しないといけないことは言うまでもありません.しかし,具体的に解決した実績が例えば過去50年,130年にないような手法に今後も投資しないといけないのだろうかということです.哲学科で根本問題の考え方を学んだ卒業生でなくとも,現実の諸問題を解決した諸先輩は一杯おられると思います.

補足日時:2001/09/19 21:17
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 「哲学なき社会」を望むなら、哲学者の存在は無駄でしょう。

少なくても、国立大学において、哲学の授業は必要ないでしょう。
 しかし、哲学は真理を究める学問、人の生き方、本質を追及する学問です。それは、効率のもとには、必要ないのでしょうか。
 工学や医学のような、すぐに人の役に立つ学問が優遇され、人間としての行き方を探求する哲学や文学が軽視されていいのでしょうか。
 私は、哲学はもっと重視されるべきだと思います。哲学は、すべての学問のベースになければならない学問です。

この回答への補足

ご回答に感謝いたします.有難うございます.
人に生き方,本質を追求するということ
人間としての生き方を探求するということ
は哲学者の目的そのものなのでしょうか?
それとも納税者の幸福を目的とした手段なのでしょうか?

私は納税者の一人として前者の立場の公務員を尊敬する気にはなりません.現実の諸問題を尻目に,他人のお金で安定な生活を送る人に,人間としての生き方を追求できるとは思えないからです.多くの人が私の意見を支持してくれるのではないでしょうか?後者の立場の場合,哲学の手段の有効性が問われます.哲学者という職業ができてから数十年経ったにも関わらず,具体的メリットを社会に還元していないならば,哲学者が用いている手段に今後も投資を続けるのは無駄ではありませんか?

補足日時:2001/09/19 20:53
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あなたの意見の背景には、法学、経済学という社会科学、


工学、理学、医学などの自然科学は「メリット」はあるが、
哲学には「メリット」はない、ということですね。

同じように、文学も芸術系の学問も「メリット」は
ない、ということになりますか。

ところで「メリット」とは何でしょうか。
生き方、行動の指針という部分などなど、
実は最も哲学がその役割としている部分を除外しても、
人々の経済活動への貢献というメリットなら、なくもないかもしれません。微々たるものですが。

彼ら哲学の教官も、また、哲学を学んだ学生も後々
哲学書を書いたとします。
それが買われることで、印刷業者、
出版社、書店にお金が入ってきます。
あと、彼らが私学で講義をするとしますと、
それを学ぶ学生の授業料から、私学という産業にもお金が入ります。
また、哲学の教官も消費をします。
彼らに払われた俸給で、彼らは旅行をするかもしれない、
レストランにいくかもしれない、家を立てるかもしれない・・・・。それぞれの、業者にお金が渡ります。

そこに、哲学を学びたい学生がいる、
そして、研究し、後生に伝えたい哲学者(教官?)がいる。
彼らの自己実現の道を、国がある程度担保している。
そして、国の「やっかい」になって得た財物を
消費行動や創作行動で少ないかもしれないが
関連業界に「メリット」をもたらしている。

私の想像力からは、その程度ですが、
さて、その程度の「メリット」で哲学の教官を
国費で養う必要があるのか、という問題ですが、
そうなると、価値観に従ってということになるでしょう。
あなたのような考えが、大勢を占めれば
「役立たずの哲学など教えるものに、国費は払わない。
そっこく国公立大学の哲学科は閉鎖すべき」となるでしょう。

私個人は、学問は、基本的にアカデミック(空論的)なものが好きですね。
ただ考えたい、ただ知りたい、ただ創造したいということを
根本の欲求として生活できる、そして、それを国がある程度養っている国って、すてきだと思いますけど。
それに、哲学って、別に、過去の偉い人が誰がどういった
なんてことを学ぶだけじゃないと思います。
人は、なぜ生きなぜ死ぬのか、
いかに生きればいいのか、いかに生きることがよりよい
生き方なのかを探求する学問だと思っています。
根本にその考えがなければ、医学だろうと、工学だろうと意味がない。
哲学以外の学問をする人は、哲学を履修せよとは
言いません(私もしてませんから)。が、
医学にしても、ただスパゲティ状態で心臓が動いていればいいのか、工学にしても核兵器は幸福をもたらすのか、など
根本に「哲学」がからんでいるのではないでしょうか。
ですから、国家が国民の生活向上を考えるのなら、
哲学の教官を国費で養ってもいいと思いますけど。

後段は、蛇足でしたね。すみません。

この回答への補足

有難う御座います.
ご回答に感謝いたします.

微々たる経済活動をしているというのは当然理解できます.
ただし
>根本に「哲学」がからんでいるのではないでしょう
>か。 ですから、国家が国民の生活向上を考えるのな>ら、 哲学の教官を国費で養ってもいいと思いますけ>ど。
に関してですが,これが哲学科の創設時の意見ならば理解できます.しかし,既に国民の生活向上のために,これまで国費をこの分野に投資してきました.にもかかわらずメリットをもたらした実績がないではないかというのが,私の論点なのです.
蛇足に対する(意地悪な)蛇足でした.

補足日時:2001/09/19 20:51
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