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現在、大学で哲学の授業を学んでいます。

しかし、その授業を学ぶに当たって、
なぜ、哲学を学ぶのか、また、
哲学を学ぶことで得られるものは何かということを
考えるようになりました。

哲学を学ばれている皆さんは、なぜ、哲学を学ぶのでしょうか?
哲学を学ぶことに対して、何を求めているのでしょうか?
出来るだけ詳しく、そしてたくさん書いていただけると
とても参考になります。

A 回答 (11件中1~10件)

>哲学を学ばれている皆さんは、なぜ、哲学を学ぶのでしょうか?


>哲学を学ぶことに対して、何を求めているのでしょうか?
⇒2つの観点から申しあげます。「個人」と「人間・人類」との観点です。

(1)哲学の授業は多く哲学史に関わりますが、その目的の1つは、先哲たちがどのように「知を愛したか」を伝えるためだと思います。ご存知のように哲学(philosophy)とは、文字通りには、「愛知」を表わす語ですね。すなわち、「哲学する」とは、「好奇心を持つ・知識や智恵を得たいと願う」ことですね。
では、それは何のためか、あるいは、何の効用があるか。一言で言えば、「生きるための英知を獲得すること」でしょうか。ヨーロッパの図書館などには Discendo liberior. と書いてありました。「学ぶことによってより自由に」といったような意味らしいです。つまり、学ばない状態では、人は多かれ少なかれ無知蒙昧・迷信・妄念・偏見…などにとらわれているが、「学ぶことによって、その桎梏を解き、自由になれる」ということなのだと思います。「哲学は、我々を迷信や妄念から解放してくれる」のです。

(2)かつて哲学は諸学問を1つに束ねて統合し、これに指針を与えるという役を果たしていました。そして、それは今日でも変わらないはずです。すなわち、現代の哲学は、極度に細分化し専門化した諸科学を統合し、これに指針を与える機能を持つ、少なくともその使命がある、と言えるでしょう。この高度に文明化した現代にあっては、とりわけ尖端技術など「地球生命を左右するような科学を束ねて、今後に向けての当為を示す」という重大な使命を哲学は負っている、とそう思います。環境汚染の解決や異民族間の争いの収束を模索するとき、人間にとっての「本当の幸福」を考えるとき、そして、人類の未来を思うとき、哲学は最も重要で、最も頼りになる(ならねばならない)、学問なのだ、と言い得るのではないでしょうか。
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そうですね。

高校の倫理程度の知識しかありませんが、私が哲学に興味を持ったのは、哲学者の名言に惹かれたからです。
何か深い事をいってるなぁと。この深い事と言うのが、人生の妙義であるような気がしてですね、勉強したいな、と思う動機付けとなっています。特に好きなのはソクラテスです。汝自身を知れ、や、ただ生きるのではなく善く生きること、など、シンプルで奥深い事を言っているように思えます。あとは、仏教の言葉が好きですね。素直になろうとする事が道である、や、本来清浄心、空、など。もちろん、やはり楽しいから、というのは大きいです。
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 哲学は自ら考えることだと言うと、臭い回答ですかね。

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学ぶのは、必要だから。



物事を調べていくと、必ず哲学を必要とします。
それは思考するというプロセスの要素が哲学という領域に属しているからです。
つまりはすべての他の領域と補完しあう関係にあります。

元々が思考することから始まり、最初は哲学しかなかった。
そこから今ある他の領域を掘り下げるために、細分化して分かれていった。

ですから哲学が知の中心にあり、それを使い掘り下げることが有効なのです。

哲学と意識してなくても、思考する段階ですでに誰しもが使っているのですが
より明確に知ることで明らかになることや、理論的に使えるものに作り上げることができる。

高度なことを追求する場合には、学ぶことは必然ではないかと思います。
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なんだかんだと言っても、現在のこの世界は


欧米の価値観で席巻されています。

哲学を学ぶのは、そういう欧米の価値観、
考え方を学ぶためです。

彼らはどうして、あのように考えるのだろう
ということは、哲学を学ぶと良く理解できます。

欧米の考え方を学ぶと、日本人の考え方、価値観
がよく理解できます。
黒を隣に置くと、白が映えます。
自分を理解できるようになります。

例)
臓器移植について。
欧米ではデカルトの心身二元論的な考え方をします。
つまり、肉体は魂の入れ物に過ぎない、と考えます。
だから、死体の再利用にもそれほど抵抗はありません。

しかし、日本では、万物に魂が宿る、と考えます。
だから、心身一元論的な考えになり、遺骨、遺髪にも
執着しますし、遺体の再利用にも抵抗を持ちます。
だから日本では、臓器移植が中々実現しませんでした。
今でも、色々と制約が厳しいです。
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自分の思うことを押し通し、他人の意見を排除する。



偉そうなことをいい、自分が上位に立つ。

知識をひけらかす。
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>哲学を学ぶことで得られるものは何かということを考えるようになりました。



時間の節約ですね。

クイズを自分で考えるのではなく、巻末の回答集を先に見るようなもんです。

時間は節約になりますが、何のために哲学するのか考えると無意味な事です。
哲学は、先人が到達した答えを知るのではなく、自分自身が考え・悩む過程に大きな意味があると思うからです。
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 この世界は“事実”と“解釈”とで出来ていて、幸せになるためには、「幸せになれるような事実を積み重ねるべきか」、あるいは「幸せになれるような解釈をすべきか」というような命題が考えられます。

“事実”は誰にとっても同じですが、“解釈”は人によって違います。心の分野と言ってもいいでしょう。哲学が扱うのは、この「心」の分野です。
 宗教も心理学も、心を扱います。心の分野に残された、純粋で、冷静で、厳密な領域が哲学の学問的領域とされているようです。だから難しいのでしょう。分かりやすい部分は、そういう他の学問に取られてしまうからです。現象学がそうです。現象とは、霊とか死後の世界だとかいった、認知することができない事柄でない、目に見えたり聞いたり触ったりできる事柄のことで、現象学とはそういうことについて考察しますよということです。厳密に、正確に、間違いなく、把握するには、どういう点に気を付けないといけないかを明らかにしようという訳です。
 どうしてもギャップがあるわけです。“事実”と我々が脳に映し出す“事実”には。時間は流れるものなのか。言葉で表現して、他人にはたして伝わるのか。自分は一つのまとまりと考えていいのか。自由意思はあるのか。人間は他の動物と何が違うのか。
 信念みたいなものも「人生哲学」と言ったりします。『じゃぁ、その信念がほんとうに正しいことを俺に証明して見せろよ!。』と言われたら、どうでしょう。他人にちゃんと説明できなければ学問とは言えません。『なぜ殺人をしてはいけないか?』、というのを合理的に考えることのできる人になら誰にでも説明できるように、ちゃんと説明しようとするのが哲学です。
 最近のニュースで、赤ちゃんに性善説を裏付けるような反応を見出したとする実験が話題になりました。“赤ちゃん 性善説 京都大学”検索で出ます。異論も続出ですが。この研究グループは発達心理学だったでしょうか。心の分野には、他に脳科学もいろいろ言ってきます。哲学はあんまり実験しないような気がします。
 切り株が目の前にあったら、使い方によってはテーブルにもなるし椅子にもなります。この世の事は、『これはOOだ』となかなか言い切れないのです。“事実”の部分はほんの少しで、“解釈”の部分がそうとうに大きいのです。
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現代社会は、人の知識を、社会的に生きるためのテクニカルな


使役されるための百科事典的な詰め込み知識にしています。
しかし、知識のもう1つの側面は、感受表面での相互作用に
由来する現象表面的な認識から、時空的広がりの中での相関
の蓄積による原理的洞察=環境認識の深まりです。
肉体的に生き、物質的に満たされるだけなら、前者だけで良く、
同じ物質的状況でも、より深く精神的満足感を感じるためには、
後者の知的努力が必要です。

現代社会は、人の社会性の発達において、その自己の生命性
の社会的拡張を認識的にフォローし、分業化=助け合いとしての
社会の自覚化による自律的生(生きる事自体による充足)を育成
せず、自己チューな意識のまま、お金や出世といった“馬車馬の
目の前のニンジン”によって他律的に操る(=お金をもらうために
イヤイヤ働く)方法をとったのです。
そこでは、認識を深める事は無益(即物的な)であり、哲学と呼ば
れるのです。
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 興味があるから、好きだから。

私の場合それ以外の動機はありませんでした。
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