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明治政府が頑張りすぎたから、日本では公務員が強過ぎる社会が出来てしまったんでしょうか?

A 回答 (3件)

中国の皇帝主権体制を支えたのが官僚制で、その官僚の権威を高めたのが科挙による超優秀な官僚選抜制度です。



明治政府は天皇主権の中国型中央集権国家を目指したわけです。そのためには中国の科挙に匹敵する優秀な官僚たちを大量に育成しなければなりませんでした。

それを目的に造ったのが、東京帝国大学をなど帝国大学です。最初に7つ、その後京城帝国大学、台北帝国大学を増設して9帝大としました。

そうして優秀な学生を全国から集め、さらに上級公務員試験で選抜し、いわゆるキャリア官僚による統治体制を確立させたわけです。

天皇主権体制を維持するために、強力な官僚体制を創りだしたということでしょう。
太平洋戦争の敗北で、天皇は主権者ではなくなりました。その後も官僚体制は強力さを維持していましたが、その強さを維持できた根源は、中央官庁の人事権を官僚たちが持っていたことでした。
しかし、故・安倍首相によって上級職の人事権を内閣に奪われてしまい、徐々に官僚たちの力が弱まりつつあります。

その分、政治家たちがしっかりしないと、この国は大変なことになるでしょうけど、どうなんでしょう。今の政治家は・・・・。
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この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2024/04/23 06:49

戦後の復興期から経済成長期にかけての


政府主導の産業政策に原因があります。

この時期、官僚は経済政策の策定や実施において
中心的な役割を果たし、
政府と産業界との緊密な連携を通じて経済成長を推進しました。



また、日本の官僚は通常、国家公務員試験に合格した
エリート集団であり、高い専門知識と経験を持っています。

政治家は選挙のプロかもしれませんが
政治、経済、科学などには、素人です。
その道何十年の官僚には敵いません。

この二つが、官僚が強い理由です。




明治政府が頑張りすぎたから、日本では公務員が
強過ぎる社会が出来てしまったんでしょうか?
 ↑
明治維新で、欧米列強に追いつけ追い越せ
をやりましたからね。

あのときも、官僚が中心にならざるを得ず
戦後復興において官僚が中心になったのは、
その下地があった故だと思われます。
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いや、勘違いからだと。


薩摩藩の話し方が偉そうに聞こえてしまったのでは?
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