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別件ですが、
先日来のアメリカのテロのニュースで、
テロに遭われた方を悼む集会か何かが映った際に、
日本では♪ゴンベさんの赤ちゃんが風邪にいた~♪の
メロディーで知られている曲が歌われていたのですが、
あれは、どういう曲なのでしょうか?
追悼集会で歌われるのでそれなりの意味のある曲だと思うのですが。
私は英語の歌詞も♪ジョン・ブラウンの赤ちゃんが~♪という
ものしか聞いたことがありませんので
そういう場面でこの曲を耳にして
以来気になって仕方ありません。

ご存知でしたら、どういう内容の曲なのか
教えて下さい。

A 回答 (4件)

jonathanさん、おはようございます。


原曲はW.StaffeのBattle Hymn of the Republic、黒人霊歌のリパブリック賛歌ですね。日本では、○○さんの赤ちゃんがかぜひいた~、とか、お~たまじゃくしはカエルの子~、とか、あと法定伝染病をこの節をつけて歌っていました。
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リパブリック賛歌と言うことは知ってます。


たしか、南北戦争の北軍の勝利を称えた歌らしいが。
 内容については、知りません。
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原題は,The Battle Hymn of the Republicといいます。

直訳すると,「共和国の戦いの讃美歌」とでもなりましょうか。

この歌詞は,Julia Ward Howe(ジュリア・ウォード・ハウ;1819.5.27~1910.10.17)という女性の作詞で,Atlantic Monthlyという月刊誌(今もある)の1861年2月号に発表されたものです。
彼女は敬虔なクリスチャンで,奴隷制度反対論者でした。
南北戦争が始まって間もない頃,彼女は北軍のキャンプを訪れた後,この歌詞を書いています。
彼女の回顧録によると,当時兵士たちの間で,John Brown's body lies a'mouldering in his grave,(を3回くりかえして) but his soul goes marching on.(ジョン・ブラウンの死体は墓の中で朽ち果てて土に帰るが,魂は進軍しつづける)という軍歌?が流行っていたそうです。
(このJohn Brownというのは実在の人物で,奴隷制度に反対して1859年に兵器工場を襲って死刑になっています。いわゆるジョン・ブラウンの反乱)
彼女の知人のクラークさんという牧師が,「この歌詞はあんまりじゃないか。どうせ歌うのなら,もうちょっと気品があって,士気が高揚するような歌詞にしたいものだ。あなたは詩をお書きになるそうだが,何かいい詩はつけられないか」みたいなことをいって,それに答えて彼女が1861年の暮れにホテルに泊ってさらさらと書き上げたのが今の歌詞だそうです。
聖書の語句などをちりばめて,讃美歌として仕上げてあります。

アメリカのサイトを見ると,原詩が掲載されているページはたくさんありますが,一つ参考URLにのせておきました。
歌詞の1番だけ掲載しておきますと,
Mine eyes have seen the glory of the coming of the Lord
He is trampling out the vintage where the grapes of wrath are stored,
He has loosed the fateful lightening of His terrible swift sword
His truth is marching on.

(Refrain)
Glory! Glory! Hallelujah! (×3回)
His truth is marching on.

これも直訳しておきましょう。下手くそな訳ですみません。

私の眼は主(イエス・キリスト)が来られる栄光を見てきた
主は怒りのぶどうが収められた処から歩み出し
その恐ろしい素早い剣で運命の稲妻を放ち
主の真理は進みゆく

(くりかえし)
栄光,栄光,神に栄光あれ
主の真理は進みゆく

(なお,作者の没後90年以上経過していますので,著作権は切れています。念のため。)

以下は大意にとどめます。
第2節:(北軍の)あちこちの陣営で神の正義と栄光を見た。
第3節:悪魔と戦え,という神の教えを見た。
第4節:ラッパが鳴らされた。神の裁きの時がきたのだ。心よ,体よ,喜べ。
第5節:キリストは人々を信心深くするために命を落とされた。我々は人々を自由にするために命を捧げよう(奴隷解放を指す)。
(こういう方面には詳しくないので,歌詞の内容について誤解があるかもしれません。あらかじめおことわりしておきます)

参考URL:http://www.law.ou.edu/hist/bathymn.html
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訂正です。

細かいことですが…。
「1861年2月号」→「1862年2月号」
正確には,ワシントンDCにあるWillard's Hotelで,1861年11月19日の明け方に書き上げたものだそうです。
1861年の2月号に間に合わせるのは無理ですね。(^^)

その1862年2月号の画像を見つけました(参考URL)。表紙にいきなり掲載されています。
また,同誌のサイトに9月18日付けで解説がのりました(http://www.theatlantic.com/unbound/flashbks/batt …)。ご参考までに。

参考URL:http://www.theatlantic.com/unbound/flashbks/batt …
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