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最近読解力が無いことにちょっとへこんでいたりします。その原因のひとつですが、解らないことがあります。

タイトルにある通り、坂本真綾さんのループの歌詞です。NHKのツバサ・クロニクルのEDで、この前発売されたのですが、この中にある歌詞の意味、そして伝えようとしている思いがどうしても解らない節が2箇所あります。どうか教えてください。

1Bメロ「踏み固められた土を道だと呼ぶのならば 目を閉じることでも愛かなあ?」
2Bメロ「語りかけてくる文字を小説と呼ぶのなら 届かない言葉は夢かなあ?」

タイトル:ループ
作詞者:h's
アーディスト:坂本真綾
作曲者:h-wonder
出展元:会員制無料歌詞検索サイト 歌ネット
http://www.uta-net.com/

こういうのは前後の歌詞を見てから判断すべき内容であり、本当ならすべてを乗せれば良いのですが、多分著作権法上載せることは出来ないと思うので、とりあえずこの部分だけ掲載しておきます。また、歌詞が載っているサイトはいくつかありますが、誰もが見られて公式に無料で乗せているサイトは私が知ってる中ではありませんでした。
お手数ですが、歌詞などを検索に掛けてください。大変失礼かと思いますが、どうかよろしくお願いします。

Yahoo!ミュージック-坂本真綾-ループ
http://music.yahoo.co.jp/shop?d=c&cf=10&id=vicl3 …

坂本真綾公式HP「I.D.」-ディスコグラフィー
http://www.jvcmusic.co.jp/maaya/disco/index.html

A 回答 (5件)

horibe_yasubeeさんこんにちは。


僕の個人的な詩の解釈なので、参考までに。

1Bメロの方。
その前の歌詞からの解釈ですが、夕日から(自転して)朝日、花から(生殖して)種はループを示していると思います。

そこから(何度も)踏みつけることから道と言えるのならば、愛とはいったい何だろう?
そういう疑問を投げかけているのだと思います。

まぶたを閉じること(思い返すこと)は愛ではないですか? と問いかけているのだろうと思います。
思い返すことはループからの解釈です。
徐々に抽象化しているのではないかと思います。

2Bメロはそのままの意味だと思いますけれど。
二人の関係をその前の言葉(歌詞)=現実としてそれを小説を呼ぶことができる。
それでも言葉にできない二人を表す感情は夢なんだろうか?

言葉にできないものは夢なんだろうか?
そういうことだと思います。

坂本真綾さんはいいですね。
菅野よう子さんの曲が好きで真綾さんを知ったんですけれど。
作詞は違う人みたいですけれどね。
それでは。
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坂本真綾のファンの一人です。


歌詞全体を読んでみて、この歌のテーマのようなものは、「この愛が離れていくように見えてもまたいつか会える」ということじゃないかと思います。そして、1番の歌詞は離れてたのが、また近づいていく様子で、2番は近づいていたのがまた離れていく、最後の部分が離れてもまたいつか会えるループ。という感じだと思います。なんだかアニメにもマッチしたいい歌だと思います。質問の部分は私の勝手な解釈ですが、

「踏み固められた土を道だと呼ぶのならば 目を閉じることでも愛かなあ?」
愛をしっかりとした道に例えると、目を閉じて相手を思うことはまだ踏み固められていない土。つまり、今はお互いに離れていて、その愛はまだ踏み固められていないけれどいつか道になっていくだろう。

「語りかけてくる文字を小説と呼ぶのなら 届かない言葉は夢かなあ?」
近くにいるのなら小説のようにしっかりと想いを伝えられるのに、届かない想いは夢のように曖昧なもの。私はこの「夢」は否定的な意味ではなく、すれ違ってもいつか会いたいという夢だと思います。

とこんな感じではないでしょうか。もちろん歌からどんなメッセージを受け取るかは、あなたの感性ですので、人それぞれでどれが正しいというものではないと思います。むしろ、わざとメッセージをあいまいにして受け手の感性にゆだねていることもあるかもしれません。
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皆さん、著作権法を気にし過ぎだと思います。

原作者の作品を、無断で引用または複製することで、結果的に原作者に経済的・もしくは人格的名誉に関して不利益を与えるのを防止するために作られたのが著作権法で、(厳密にいえば法律的に正しいかどうか知りません)原作者の死後50年間有効のようです。だから、「青空文庫」など、漱石や芥川の作品が無料で読めるようになっています。
 また、著作権フリーにならない作者、たとえば俵万智の歌を数首だけなら引用しても宣伝にこそなれ、不利益を与えるとは思えないので、法に触れることはないでしょう。(もっとも、引っかけてやろうと思う弁護士などがいたら別ですが)

 で、「歌ネット」に無料登録して、歌詞全体をみることが出来ました。質問者の引用を見たときは、「おや、これは文学的に言っても見所のある詩だな」と思ったのですが、全体を見た結果、それ以外の部分は意外に平凡な歌詞らしい歌詞でした。

 「踏み固められた土を道だと呼ぶのならば」は至極あたりまえのことですが、「目を閉じることでも愛かなあ?」と一見何の関係もない言葉ながら、そこにイメージのつながりがある。「語りかけてくる文字を小説と呼ぶのなら 届かない言葉は夢かなあ?」にも同様のことを感じたのでした。 「目を閉じる」-「愛」、「届かない言葉」-「夢」、これらの関係は、No.2の方の説明にあるようなことも含めて、「愛」が目を閉じさせる、「夢」だから言葉が届かない、という風にイメージをふくらませることが出来ます。論理では無く、感覚と言えるようなものです。自分が詩を作るなら、こんな言葉使ってみたいと思いました。(もちろん著作権法違反です。(^^ゞ)
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道というのは、いろいろな連想と比喩を生む言葉です。

人生だったり恋愛だったり努力だったり運命だったり信念だったりします。土を踏み固めるって道を開くことだと思うのです。先人が開いた道ともいえますし、これから自分が切り開く道ともいえます。
愛というものは、人の行動のいろいろな面にあらわれ、人生のテーマともなりえるものです。人生経験が長い人なら、愛の多様な側面を、その光と陰と功罪を含めて、味わい尽くしているのかもしれませんし、若い人なら、「今のこの気持ち、これが《愛》なのかなあ」と思うことも、誰もが一度は経験していることでしょう。これは、歌詞の中には、好んで描かれる題材といえるでしょう。
目を閉じることは、空想をもたらします。あるいは、今の気持ちとか、幸せといったものを味わいかみしめることも意味します。
語りかけてくる…のあとにどんな言葉を当てはめるのか、小説ではなく、「詩」とか「祈り」とか「歌」とかそういう言葉でもよかったでしょう。しかし、小説という言葉を使うことで、世界が大きく広がります。小説といってもいろいろなものがあります。一人の人生も、一つの小説としてたとえられるかもしれません。
届かない言葉、とか夢というものも、人が生きていく以上、常についてまわるものですし、そうしたことが生きるエネルギーになっていると思います。
こうしてみれば、歌詞の中のひとつひとつの言葉について、どんな人の人生の中にもそれを投影するエピソードがあると思いますし、それをどう結びつけ、自分なりの「道」や「愛」や「小説」や「夢」として描くのかというところで、さまざまな連想を聴き手に引き起こす歌詞でもあります。
歌は歌によっていろいろなことを語りますが、この歌のように“なんとなく、いい”言葉を編み上げて歌詞を組み立てた歌は多くありますし、このような場合は、なにかはっきりしたものを伝えようとする意図があるわけではなくて、聴き手の側にさまざまな連想を引き起こし、聴き手の中に一つの物語を生まれさせる。そのことによって、短い歌詞が大きな世界を生む、そのような効果をもたせていると思います。たとえば、この歌の「愛」は、恋愛とも考えられるし普遍的な愛であるとも考えられる、恋愛であっても片思いなのか、いま付き合っているのか、あるいはもっと複雑なことなのか、人によって異なった、そういったことがらがあるかもしれません。しかし、多くの人に人それぞれの解釈を許し、それぞれの心に、何らかの形でフィットするであろうと期待して歌詞を書くことは、作詞者が一般に心がけていることの一つだと思います。
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あんまり意味なんて無くて、


感覚で捕らえるべきフレーズのようです。

噛み砕くと

1Bメロ「踏み固められた土を道だと呼ぶのならば 目を閉じることでも愛かなあ?」

固まった土というそれ以上でもそれ以下でもないような、
取るにたらない物(状態)ですら道だということも出来るように、
目を閉じるという関係ないと思えるような行為ですら、
愛だと言うこともできるだろう。

2Bメロ「語りかけてくる文字を小説と呼ぶのなら 届かない言葉は夢かなあ?」

自分へと向かってくる言葉が小説であるならば、
自分から発せられてどこにも届かない言葉は
はかなく、おぼろげで夢といってもいいのではないでしょうか?

といった感じと思いますが、
前後につながっていかないのであまり意味はないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
1Bメロ2Bメロも、私が予想したものと近い答えのようでした。そんなものなのでしょうかねぇ・・・。

私は、それでは歌詞の表面しか触っていない感じがしましたし、坂本真綾さんのことなのでもっと深い意味があるんじゃないかなあって思っていました。
1Bメロの直前の歌詞が「君の手の中 その花が枯れるときは 小さな種を落とすだろう」ですし、生命の循環について歌った歌詞の直後にいきなり「踏み固められた土」といわれても、なんだか違うなあって思ったんですが・・・。

でも、私の直感で感じていたような事と近い事を、他の人も感じていたんだなぁと思えただけで、とても嬉しく思います。有難うございました。

お礼日時:2005/06/20 00:56

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