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時代劇の中の台詞で、「こんなことをして、何も出なかったら、腹を切るだけでは済まぬぞ、、、」と言うものがありました。「腹を切る=死」死ぬこと以上の罰ってなんなんですか?死んでしまった後、焼こうと晒そうと、本人には何の痛みもないと思うのですが?

A 回答 (13件中1~10件)

切腹と斬首というのは、「首を切られて死ぬ」という点では実質的に同じことですが、死ぬまでの経過と、死ぬ時の姿が全く違います。

「過ちの責任を取る武士として自決する形式」のか「犯罪者として殺される」のかの違いです。

違うのは

切腹:予め身を清め、武士の正装である裃を着て、目の前に短刀を置き、短刀を持って腹を切る仕草をしたら、後ろに立った介錯人が首を落とす。場合によっては、実際に短刀で腹を切り、合図してから介錯人が首を落とすこともあったようですが、前記の「腹を切る仕草」だけが普通であったようです。

斬首:粗末な獄衣で、不潔な牢に入れられていたままの汚れた姿で、縛られた状態で、首切り役人が首を落とす。
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江戸時代、武士はなにによらず特別扱いでした。


罪人になっても一般人とは牢屋も別でした。
揚屋といってお目見え以下の武士、僧侶、医師などだけを収容する畳敷きの格子牢がありました。

切腹というのは武士の身分を保ったままの罪科なのですから名誉ととらえても不思議ではありません。
それ以上の罪科というと士籍剥奪といって武士の身分を取り上げて一般人の身分に落とし、一般人の受けるような刑罰にかけることを意味します。
当然家は断絶、家族にも累が及ぶことになります。
親類まで罪みが及ぶ事もありました。

この辺の事情を活写しているのが「阿部一族」という小説です。

当時一般人には磔、斬首、獄門、火刑、鋸引きなど残酷な死刑の形態があり武士としては耐え難い不名誉な死に方になります。
当時の認識では「死ぬ」という事と「殺される」という事は全く別の意味を持っていました。
前者には自発的の意味があり、後者は他発的な意味となります。
封建制度の中では身分というものはそれほど重要なものだったのです。
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武士の社会では


切腹より重い罰は「斬首」らしいです。
昔予備校の歴史の先生がいってました。

今でいったら「引責辞任」と「懲戒免職」の違いじゃないですか?
自分でハラをきるより首きってもらったほうが痛くないじゃないって感じですが。やっぱし名誉を重んじるってところじゃないでしょうか?
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ちょっと違うかもしれませんが、以前読んだ本で


切腹以上の罰として刀を取り上げるというのがあったと書いていました。
ある武士が罪を犯して殿様に刀を取り上げられ、それを知った家族が
殿様に頼み込んで切腹に軽減してもらったそうです。
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「死んでしまった後、焼こうと晒そうと、本人には何の痛みもないと思うのですが?」



武士とは自分の家、あるいは家禄のために進んで死ぬ覚悟を求められていました。もちろん、潔く死ぬ覚悟が本当にある人は少なかったでしょうが。

「家禄没収、お家断絶、領外追放」
これは、武士にとって先祖に申し開きのできない一番辛いことです。自分が切腹して責任を取り、家禄が一部削減されるだけで家が残るのなら喜んで腹を切る、という考え方が十分あり得ます。

また、切腹と言うのは「責任を取って自決すること」を刑罰にしたようなものです。武士として名誉を保った死に方なのです。

これが「打ち首」になりますと、「武士であることを否定され、平民と同じ扱いで処刑された」ことになります。これは、武士と遺族にとっては耐え難い屈辱でしょう。「武士であることを否定された」のですから、当然「お家断絶、領外追放」となり、遺族は路頭に迷います。(江戸時代の場合、家族が連座制で皆殺しになることはなかったはずです)

新選組の近藤勇が、新政府軍に捕まって「斬首」されたのは、「近藤勇が武士であることを否定した」ことになります。ドラマのように格好よい人物ではなかったのかもしれませんが、ひどい扱いですね。
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ん~ どうも皆さんの解釈は 一族郎党に処分という


意見が多いですが
別の視点で考えますと
時代劇というからには 普通江戸時代しかも会話の内容から
考えて捕り物系ですよね 例えば鶴太郎さん主演の
八丁堀の七人 だとします 証拠がつかめず
支配違いの武家に乗り込んだ とします
そうなれば勇み足 自分が腹を切るだけでは済まない

つまり上役 村上さんの与力や お奉行にまで責任が
及ぶという例が多いと思います

それと 単に比喩で 自分が腹を切ったくらいでは
済まされない問題という意味で 実際役人が
斬首や晒し首になるということは無いと思いますよ
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忠臣蔵とかにも出てきますが「切腹は名誉ある死」ですね。



切腹を許されず、首を切られることは、武士の恥として末代まで恥さらしみたいですよ。

どちらにしても死んでしまうなら、潔く自分で死を選ぶのは花があるが
人に殺されるのなら、理由はどうであれ、罪人というレッテルが貼られてしまうので
斬首より切腹を望むのでしょうね。それが武士道なのかな。

他に罪人などの公開処刑で大釜で茹でたり
片足づつロープでくくり、ロープの先を二匹の馬に片方づつ縛り付ける。
馬を左右互い違いに走らせて股を裂かせる

などもあるそうですが…
見たことないので、真相は分かりません。
見たくもないけど…
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私も詳しくはないのですが、


武士にとって切腹はある種の名誉・対面を保たれる死に方だったようです。それに対して打ち首にされるというのは耐え難い屈辱だったようです。獄門の様に、斬首の上、その首を晒される刑罰もありました。

腹を切るだけでは済まない、というのは「本人が責を負って死ぬだけではすまず、家族親族にも類が及んだり、御家も断絶になるぞ」とか、そういったニュアンスもあるのでしょうね。

後ほど詳しい方にご回答頂けると思います。
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本人には痛みはないでしょうね。



ただ、江戸時代には死刑以上の刑罰もありました。例えば、打ち首後の晒し首、お家断絶といえば一族郎党皆殺し。厳密にいえば死刑にもランクがあったとか。

あとは、武士は命より名誉を重んじたから名誉を貶められるあたり。
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打ち首→さらし首。

家族一族までどうこう。。。
子があったら自分以上であろう子の命まで・・
等では。
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