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足利義満の別荘?禅宗寺?この京都の観光スポットNO1の寺は、もともと誰が何のために、義満がそこで登場する理由・・現在は国宝でない、何故?
とりとめのない質問ですが、ご存知の部分だけでもよいので、聞かせてください。

A 回答 (4件)

金閣寺は「鹿苑寺舎利殿」というのが正式名称で、足利義満が自らの居宅として築いた「北山第」の名残です。


元々は公家の西園寺公経の別邸でしたが、西園寺実永の代に足利義満が譲り受け、別宅としました。
義満は室町に「花の御所」とよばれる居宅を持っていましたが、将軍の位と共に息子の義持に譲り、出家してこの北山第に移りました。
公的な地位や身分は息子に譲り、公的には単なる一私人でしたが、隠然たる力を持ち、ここで大御所として政務を執っていましたから、朝廷の内裏に匹敵するもので、規模も現在の数倍のものでした。
ここに後小松天皇(一休さんの父親)の行幸を受けた時がピークで、義満の死後多くの建物が取り壊され、お寺として現在にいたります。
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鹿苑寺金閣の雑学を。



放火の後、立て替えるのに3億円かかりました。
しかし、金箔まだ貼ってなくてこれでは金閣ではないと言うことで金箔を貼るのに7億円かかりました。
また火災にあっては困るので防災設備に10億円かかりました。
国宝でなくてもこれだけのお金を掛けるのは京都にはなくてはならない存在であることに他ならないと言う事でしょうか。
 
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公式サイトに全て書いてありますが、ここでは判らない点が何かおありなのでしょうか。



なお、国宝でなくなったのは昭和25年に三島由紀夫の小説「金閣寺」のモデルとして有名な放火事件で、元の遺構が全て焼失してしまったからです。

参考URL:http://www.shokoku-ji.or.jp/shokokuji/history/ki …
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この回答へのお礼

サイト見落としていました(*^^*)

お礼日時:2005/07/05 22:17

金閣寺はもともと室町幕府三代将軍足利義満の別荘でした。


それを足利義満の死後寺としたものです。
それから現在国宝でないのはオリジナルは一度焼けて戦後に再建したものだからです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
一度焼けると国宝の条件を満たさないのですね・・

お礼日時:2005/07/05 22:18

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