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「鍵」にでている観世さんを見て・・・ある意味感動してしまいました。経歴などなんでも良いので教えて下さい。

A 回答 (4件)

 ♯1・2についての補足です。


 観世栄夫さんは現在は能の世界に復帰して活躍中ですが、そのほかにさまざまな演劇、映画の演出や新作能の製作などにかかわっておられます。能は銕仙会(現在栄夫さんの甥にあたられる九世観世銕之丞さんが中心になっている)などを主として活動されていますので、もしご興味があれば。
 栄夫さんは、七世観世銕之丞(雅雪)の次男で、兄君の観世寿夫、弟さんの静夫とともに観世三兄弟として、既成の能楽の枠組みを超える実験的な試みを行った青春時代をお持ちです。野村萬斎さんのお父上である万作さんと萬さんのご兄弟とともに、新劇に積極的なアプローチを行って、能界の反逆児だと言われたこともありますが、ご本業の能においてもすぐれた名手として知られています。能という演劇ジャンルに対して初めて意識的になった世代の代表すべき能楽師だといえると思います。
 喜多流転流は、そうした栄夫さんが考えに考えたすえの決断だったようで、観世流の華やかなで艶麗な芸風よりも、喜多流の剛直でつよい能につよく引かれ、周囲の反対を押しきって実行したのだそうです。すでに若手とは言え観世流の能楽師として名をなしていた栄夫さんのこの行動は当然能楽界では大きな反発を受け、能楽協会でも大問題になったそうですが、聞くところによると後藤得三先生(先代の喜多流宗家のご実弟です)が「それほどまでに熱意をもっているのなら、私が彼を責任をもってあずかりますので」と申し出て事態を収拾したといいます。もともと喜多流転流には当時能界随一と言われた後藤先生に対する栄夫さんのつよい尊敬の念が底流にあったのだそうで、いわばねがったりかなったりということで、一時は芸養子ということで後藤栄夫の名前で喜多の舞台に立っていらっしゃいました。
 しかしその後も他ジャンルへの興味を失うことはなく、ひろく演劇人として活動したいという意欲と、能楽界の古い慣習に対する反発、さらには転流問題のしこりなどの事情があり、一時能楽師を廃業して俳優としての道を歩まれますが、51歳にして観世流に復帰して今に至っています。復帰の事情はよくわかりませんが、一説には「世阿弥の再来」とまで言われながら夭折した兄・寿夫のつよい願いであったとも聞きます。
 栄夫さんの家は観世流では宗家につぐ名門中の名門で、むろん後継者がなくては困るのですが、一番上の寿夫さんが早く亡くなり、栄夫さんは長く流儀の外にいたために、けっきょくは末弟の静夫さんが八世銕之丞となって相続なさいました。静夫さんも比類なき名人として観世流の名を高めた方ですが先年物故され(写真で見るとそっくりのお顔をしていらっしゃいます)、三兄弟で残ったのはいまや栄夫さんお一人です。
 以前、静夫さんがシテを舞い、栄夫さんが地頭をつとめた兄弟競演の能を拝見したことがあります。お二人ともまことに優れた能役者であると思いました。

 ちなみに観世流はシテ方、小鼓方、大鼓方、太鼓方がありますが相互の関係はありません(大昔にはあったが、今は特にそういうことはない)。たまたま名前が同じだけです。これは観世にかぎらず、複数の方で同じ名前を使っている流儀についてはいずれもそうです。
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百聞は一見にしかずです。

能をごらんになることをおすすめいたします。
舞台の情報は銕仙会03-3401-2285で得られます。ところで「鍵」をごらんになったそうですが、彼は谷崎潤一郎の姻戚です。それから私の知人が実際に見聞したエピソードです。某駅のタクシー乗り場で直前に並んでいた若い女性のロングヘアーが余りにきれいで、思わず手にとってしまい、同行の人にたしなめられたとか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
能がちょっと・・・苦手ではないけれど、ちょっとひいてしまうところがあります。何を言っているのか聞き取れないのです。一生懸命見ていても途中で辛くなってしまうのです。すみません。
谷崎潤一郎の姻戚なのですか。それは良い事を聞きました。
ロングヘアーに手が伸びる。ちょっと想像できてしまいます。触られた女性はびっくりするでしょうが、女としてちょっと羨ましいですね。そんな髪を持ってみたいものです、って話題ずれてしまいましたね:oP

お礼日時:2001/11/03 09:09

戦後喜多流に入門したというのは、喜多流の後藤得三という人の芸養子となったのだそうです。

この後藤得三氏は、ちょっと調べてみたところ、昭和45年には人間国宝に指定されたほどのシテ方の第一人者です。下記URLは能楽協会のサイトですが、こちらのQ&Aの、「何故一つの能舞台に複数の流派が混在するのか」という質問に対し、回答文の中で、江戸時代以前には各シテ方の流儀に対しワキ方・囃子方とも相手が決まっており、現在でもその名残はあるものの、明治以降は座付きにこだわらず色々な流儀が入り混じり、それぞれの流儀の取り合わせにより変化をもたらし面白みを増す結果となった反面、各役者の修行課程は複雑になった云々とありました。喜多流はシテ方のみの流派ですが、そちらに入門したというのも、この修行過程の一環、あるいは素質を見込まれて、といったことだったのではないでしょうか。
http://www.nohgaku.or.jp/

>一役買ったとか買わないとか?聞いたことがあるのですが本当ですか?

私もよく分かりませんが、能界に復帰したのは、寿夫さんが亡くなられる直前の願いをくんで、といった事のようです。ある意味、「一役買った」と言えなくもないですね。

>ところで「鍵」はご覧になられましたか?

いや、未見です。これって神代辰巳監督の作品だったんですね。
今度探してみます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。流派のこと大変勉強になりました。
それにしても芸幅の広いお方ですね。
「鍵」での彼の迫真の演技に魅了されてしまいました。声がとてもすてきですね。
そこでつかわれているBGMの一つがどうも「生写朝顔話」らしいのですが、どこのどういう場面なのか分かりましたら教えて下さい。「いかないとあの女の念力ーーー」というところなのですが・・・・

お礼日時:2001/11/03 09:21

まず観世栄夫さんのフィルモグラフィは参考URLをご覧下さい。


観世栄夫さんは昭和2年8月3日、観世流宗家の分家であった七代目銕之丞の次男として生まれ、3歳で初舞台を踏むなど観世流シテ方で育ちます。

ちなみに能では主役のことを「シテ」といい、シテと行動を共にする「ツレ」、子供が演じる「子方」、斉唱をする「地謡」、舞台進行を助ける「後見」、これらを全て担当するのを「シテ方」となります。その他にシテの相手役としての「ワキ方」、楽器担当の「囃子方」等ありますが、その辺はカット(笑)。シテ方は観世流のほかに、宝生流、金春流、金剛流、喜多流と五つの流派があり、観世さんは、戦後はこの中の喜多流に入門します。

昭和28年には兄の寿夫さん(能楽師でしたが故人)と「華の会」を結成し、新劇のみならずオペラの演出も手がけるようになります。昭和34年に能楽協会を抜け、俳優としても活躍し始めますが(映画出演はこれ以降です)、兄の寿夫さんが亡くなられた後で能の世界にも戻っております。以上、簡単ですが。

参考URL:http://jmdb.club.ne.jp/person/p0064910.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございます。「観世栄夫」で探してもあまりネットでは彼自身についてのことがわからないので。図書館へ暫く行けそうにないからちょっと悔しい。
観世流なのに喜多流。それは許されるのですか?なんとなく凄いことのような気がするのですがもしかして放蕩息子だったのですか?
寿夫さんがかなりうまい方で、栄夫さんが戻ってくるのに一役買ったとか買わないとか?聞いたことがあるのですが本当ですか?
ところで「鍵」はご覧になられましたか?

お礼日時:2001/10/29 08:28

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