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終戦から中国共産党国家誕生までの経緯を教えてください。
共産党と国民党が争ったのはわかりますが、
どうして共産党が勝利したのでしょうか?
ソ連の援助があったのでしょうか?
とするとアメリカはどうして国民党に肩入れしなかったのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

No2の補足です。


中共軍の有効支配地区は本来強兵の産出する地方で、これは気候風土の影響もあります。
体格もよく大柄な人が多い地方です。
日本でも東北地方の兵は忍耐力が強く強兵と言われた所以です。
歴史的にも北から南を攻めるケースが多く見られます。

しかも中共軍は長征時代の生き残りが中核で、日中戦争で長期間にわたりゲリラ戦法で日本軍に攻勢を続けた歴戦の勇士でした。
この為日本軍は「殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす」三光作戦で対抗するしかありませんでした。

満州は日本の経営で有数の重工業地帯であり、労働者は中国人でしたから日本人の技術者を残留させ保守指導に当たらせれば生産を維持することは容易でした。

アメリカがアジア地区にその頃有していた戦車は日本軍に対しては強力でしたが、独ソ戦を戦い抜いたソ連戦車との戦車戦には不向きで非力でした。

これらの要因と先の回答との複合で中共軍の勝利に至ったと思います。
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アメリカ政府の知識量


対日本>対国民党>対共産党
となっておりました。
日本と戦っているときは、中国の方がよく見えた。いざ、終戦になり、戦争中に中国にいて生の姿で中国の状態を知っている連中が帰国して報告したところその内容は「だめっす、国民党、腐ってます」ということで、アメリカは本気で国民党を支援しませんでした。
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中国共産党は日中戦争時、北支地方を担当して作戦を展開していましたので、旧満州(現在の東北地方)に最も近い位置にあったのです。


従って日本の敗戦時関東軍を武装解除した際の日本軍の武器弾薬をそのまま引き継ぐ事が出来ただけでなく、ソ連軍の余剰となった戦車の提供を受けて労せずして近代装備を手にいれました。
ソ連軍の指導を得て機動戦の訓練もおこなえました。

しかも北支で行っていた農民対策にならい一定の農地を農民に与えてその人気は高く、民衆の支持を確保したのです。
さらに当時の中共軍は軍規も厳正で民衆と共闘する方針でした。

国民党軍はアメリカの援助で近代装備を得ていましたが共産党軍に比し、旧来の軍閥時代の面影を残しており農民対策の備えもありませんでした。
しかも補給線が長く不利でした。

この為国民党軍の北伐戦が始まると最初は優勢でしたが、補給難と農民の協力を得られず、中共軍の戦車隊
の反攻にあい、次第に劣勢になり中共軍に寝返るものが続出し、南方に敗走したのです。 結局主要都市を保持できず、台湾に敗走してしまいました。
アメリカは国民党を援助しましたが供給する武器弾薬は結局中共軍を増強することになり効果はありませんでした。
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共産党が国民党に勝利した最大の要因は共産党(毛沢東)の戦略が国民党(蒋介石)の戦略より優れていたからです。


ただ、共産軍の勝利の基礎は対日戦争時にすでにつくられていました。
太平洋戦争が終わった時点では国民党軍は後方の都市に退いていましたが、各地でゲリラ戦を展開していた八路軍(共産軍)は、中小都市や交通要路を確保しました。
この時点ではまだ国民軍が圧倒的に優勢で装備も連合国の援助などですぐれており、アメリカの支援を受けて全国の要地は確保しましたが、これは日本軍と同じく点と線を確保しただけで、兵站線がのびきったところで、共産軍のゲリラ戦に悩まされることになり戦力を消耗させて大都市に封じ込まれていきました。
また土地改革政策により絶対的多数の農民の支持を確保して「遼瀋戦役」「准海戦役」「平津戦役」に勝利して中国本土の支配圏を確立しました。
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