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おバカな質問ですみません。。。
現在、朝鮮半島には、韓国と北朝鮮という2つの国家がありますが、それはどうして?いつ頃から?そのようになったのでしょうか(?_?)
第二次世界大戦後の、米ソ冷戦時代に起こった、朝鮮戦争で2つに分かれたんですか?
東西ドイツ(ベルリン)みたいにある日突然、区切られて別れたんではないですよね?

A 回答 (3件)

朝鮮半島の戦後史を簡単に書きます。


1945年8月15日に日本が連合国に降伏し、第二次世界大戦が終結すると、朝鮮半島における日本の総督統治も終了しました。
日本の降伏直前から降伏後にかけ、満州と沿海州からソビエト連邦軍が侵攻、9月2日に日本が降伏文書に調印すると、南からアメリカ合衆国軍がヤルタ協定に基づいて進駐し、朝鮮半島中央に横切る北緯38度線を挟んで半島を南北に分割し、それぞれ軍政をしきました。
ただ、このときはまだ双方の行き来は自由でした。
その後、1948年南側が大韓民国の独立を宣言、ついで北側が朝鮮民主主義人民共和国の成立を宣言し、対立しました。
1950年、北が南に侵入し朝鮮戦争が勃発・・・・と続きます。
朝鮮戦争は休戦協定が結ばれましたが、分断国家はあいかわらずそのままで現在にいたります。
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この回答へのお礼

第二次世界大戦のあと、朝鮮戦争があるまでの5年間に、すでに分割されていたんですね・・・。
とても参考になりました☆
ありがとうございます(^^)

お礼日時:2005/09/26 18:54

たしか私の記憶では、日本が韓国を併合していたのはご存知ですよね?


太平洋戦争終結後、日本の統治よる恩恵を受けていた韓国は日本が負けてしまったため混乱状態にありました。そこに戦勝国のアメリカ、ソビエト連邦がやってきてドイツと同様38度線を境に分割統治することになりました。
南側をアメリカが、北側をソビエト連邦が統治することにより双方国々の合意に達したのです。たしかその時に韓国国民は南の資本主意義か北の社会主義かの国を選択する権利をあたえられたと記憶にあります。
そして現在のように38度線に共同警備区域がひかれたのは、1950年の朝鮮戦争による北朝鮮による侵略を受けてからです。
北朝鮮からの奇襲攻撃を受けた韓国はあっという間に首都ソウルまで攻め込まれましたが、国連軍(ほぼ米軍)の増援により38度線まで北朝鮮軍を後退させることができました。その後、支那国による北朝鮮側への増援により一進一退攻防が38度線を境に繰り広げられましたが、1953年にソビエト連邦から停戦提案が出され、1953年7月27日に朝鮮休戦協定が結ばれ、また2つの韓国が歴史を歩み現在に至るわけです。
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この回答へのお礼

はい!
日本が韓国を併合していたというのは歴史で習いました!
北朝鮮の奇襲攻撃を受けて、戦争になり、いまのように38度線で別れたんですね。
参考になりました☆ありがとうございます(^^)

お礼日時:2005/09/26 19:08

朝鮮戦争は共産圏(ソ連、中国)に後押しされる北朝鮮と、自由主義圏(アメリカ)にバックアップされた韓国とで、1950年6月25日に勃発しました。


その後、一進一退が続き、1953年7月に休戦協定が結ばれました。
これの境が38度線です。

ベルリンの壁のように、ある日突然できたというわけではないです。
あくまで、両国の休戦協定ラインです。
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この回答へのお礼

なるほど!!
「休戦協定ライン」初めて知りました。
ありがとうございます(^^)

お礼日時:2005/09/26 18:52

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