プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私は不登校だった予備校生です。
今までどうしようもない状態で、何をやっても中途半端でした。悲しいことに自分の心が安定しないことに、自分自身へ大きな不信感をいつも抱いていました。

そんな時、昨日JNN系列で放映された細木数子先生の番組内で「生かされて生きてる。」こと、そして「生きる為に、人が最低限しなければならない事。」という事を知らなく、また現状の私に実際に抜けていることと感じ、大きく心に残りました。だからこれを学ぼうと思いました。

そこでその中で一番初めに細木数子先生がおっしゃられた、「命の尊さを知ること」というのが、具体的にどうやって知ればいいのか解りません。皆さんは「人の命の大切さ」というのは、具体的にどんなときに感じられましたか?総合や道徳の授業、講習会、テレビ番組、それとも何かの出来事ですか?


私は予備校生であるにも関らず学習も中途半端で、予備校に行くことでさえ心が悪い方向へ動いてしまい、行けないことがよくあります。でも根本原因がこれならば、出来るだけ早くこの学習をして、現状を脱却したいと思いました。
このようなどうしようもない私ですが、どうか宜しくお願いします。

A 回答 (14件中1~10件)

逆の発想で行きましょう。


なぜ命が尊くないのですか? なぜ命を簡単に否定できるのですか?

あなたは悪い方向へ行くこともありますが、それでもこの辛い現実を頑張って歯を食いしばって生きています。誰もがそうです。誰もが苦しみに耐えつつ生きているのです。この世はそういう所です。

今日見たスズメも台風が来たら大変だ、死ぬかもしれないと本能で感じているでしょう。彼らも台風を恐れ、苦しんで、それでも健気に生き残ろうとしています。
北朝鮮あたりなど、飢え死にするかしないかの毎日を送っています。彼らも苦しんでいます。

仏陀は言いました。この世は苦です。
だから、その苦の世界で生きている全生物は尊いのです。
自分を尊く思えるなら、他の動物も尊いと思えるはずです。
あなたが頑張っているのと同じく、全ての人間が、全ての生物が歯を食いしばって生きているのですから。
    • good
    • 1

もしですね、命に「愛」を持てたら、命の尊さを知るのレベルを超えますよね。

なぜなら、「それが良いから智って」大切にするのではないのですから。理知も真っ青ですよ。
質問の回答にはなっていませんが。
    • good
    • 0

>具体的にどんなときに感じられましたか?



1)十二年間一緒に生きてきたペットが死んだ時
2)大切な人が自ら命を絶った時
3)姉の子ども(乳児)をこの手に抱いた時

ですかね。

人(この際人でなくても)の命が、いかに大切な・重大な・ものすごく意味があることだということかは、悲しいかな、それを喪ったときに初めて判ります。人(犬)はいつか死ぬもので、寿命というものがあるんだとか、そんなもんじゃないんです。死にたい奴は死なせておけとか、自殺する人は心が弱いとか甘えてるとか、そんなもんじゃないんです。彼ら(あなた)の命がどれだけ大切か、貴方は判らないかもしれません。でも、貴方の周りの人は知っているはずです。

殆ど新生児の姪を抱いた時、この子を殺すことは簡単だと思いました。ちょっと首を締めても抵抗もできない。過失のふりして落とすことも出来る。でもそんな、すべての生存を「他者」に委ねている、このはかなげで純粋な存在を、殺すことは絶対にできない、と強く思いました。

「命の尊さを知ること」少なくとも私には、理性ではなく感情でした。とにかく生きてみてください。もがいてください。それを知る機会がきっとおとずれます。

余談ですが、厳しいご意見が多いですね。細木さん嫌い=質問者さん嫌い になっているのでしょうか。関係ないと思いますけど。

「生きている意味」を考えたり、「命の意味」を知りたいと思ったり、自分を「どうしようもない人間」だと思ったり、そういう「生きるじたばた」って、そんなに侮蔑することですか? 多くの人が通る道じゃないですか? 勿論私もそうです。現在進行形で、じたばたして、もがいています。

まあ、そんなわけで、悩んでいることを悩まないで、好きなだけ悩んでください。答えなんてないかもしれませんが、そこにいたる過程そのものに意味があると思ってください。

よろしければ参考書

「できればムカつかずに生きたい」 田口ランディ 新潮文庫

人間は、生まれてくるだけで大切な役目を果たしているのだ、ということが書かれています。

「絶望に効く薬」 山田玲司 小学館

漫画です。著者が様々な人にインタビューして「生きる為のヒント」を探ります。じたばたして「死にたい」って思って、それでも生きていく人々の姿が描かれています。

    • good
    • 0

「生かされて生きてる。


これは、細木数子先生様じゃなくたって、今は中学生でも言えるかもしれませんね。

「生きる為に、人が最低限しなければならない事。」
これは無限ループにはまりそうですが、
「自分を大事に一生懸命生きる」ということです。

>「命の尊さを知ること」というのが、具体的にどうやって知ればいいのか解りません。
:確かにそう思います。今のあなたには無理でしょう。
何を言っても言葉遊びになるんじゃないでしょうか。
なぜ?
先ほど申しましたが、あなたが「自分を大事に一生懸命生きていない」からです。
命の尊さがわかれば自分が変われる、とでも思っていらっしゃいますか?
そうかもしれませんが、人に教えてもらった命の尊さなんて、朝靄みたいなものです。
質問してこの答えが得られると思うのは大きな誤解です。
というより、それ以前の問題でしょうね。
今のあなたは受験から「逃げているだけ」です。

「命の尊さの学習」なんてくだらないよ。
怠け者が、「お金を儲けるにはどうしたらいいか」っていうテーマで、一生働かずに研究をするみたいなものです。

「命の尊さ」なんて、あなたが
・格好つけずに
・何事も人のせいにせず
・歯をくいしばりながら、必死で
・涙と鼻水と汗にまみれ
・腹の底に力を込め
・決して俯くことなく
・常に意志に燃える瞳を持ち
・焦ることなく着実に一歩一歩地道に
・今自分が生きており、この先しばらくは生きるであろう事を、ただ、そのことを信じて
・前向きにひたすら歩み続ける人生の路傍に、ふと感じることが出来てこその真実なのです。
理屈で学ぶものではありません。
繰り返しになるかもしれませんが、

「今やるべき事をやるしかない」のです。

そこから逃げていては全てが虚飾に彩られます。
あなたの斜め右上に、もう1人のあなたがいます。彼はあなたを見おろしています。
彼はあなたを見て何と言っていますか?

あなたは予備校にもいけない自分を「どうしようもない」とおっしゃっているようですが、それは少し違いますね。
「このようなどうしようもない私ですが」などと言っていること自体が「どうしようもない」のです。

予備校にいきたくないのなら、やめたらどうですか?
別に大学に行って何か勉強したい事があるわけではないのでしょう?
お母さんが行けと言いますか?
でも、もう大人ですから、そのぐらい自分で決めましょうよ。
何をしたって食べてはいけるでしょうし。
少なくとも、予備校に行けるようになるために命がどうとかいう事を持ち出すのはやめましょう。
あなたの足はどんどん地面から離れていきますよ。
不安定になるということです。

特に必要を感じなければ予備校はやめる。
漠然とでも必要を感じたら四の五の言っていないでひたすら勉強する。
それだけのことでしょう。

勉強したくても出来ない人、いっぱいいますよ。
家計の都合で進学を断念する人も多いでしょう。

あなたの考えていることは、哲学でもなんでもありません。
勉強に飽きた小学生が「空はなぜ青いの」と考える自分をメルヘンの主人公に仕立て上げているのと大差ない「ごまかし」です。

あなたの手の甲を見て下さい。次に裏返して掌を。そしてちょっと考えましょう。
「俺は(私は)誰だ?」と。
次に鏡に顔を映してください。そしてつぶやいてみてください。
「お前は(あなたは)何をしたいのか?」
「今お前が(あなたが)すべきことは何か?」
    • good
    • 0

こんにちは。

人生のひとつの岐路に立ってらっしゃるようですね。

私は30代前半の男です。昔あなたと同様な心境になったときがあります。その投影があるのかもしれませんが書いてみるとかなり手厳しい回答になってしまいました。このサイトでこのようなある種否定的なコメントを書いたことはなかったのですが、なんとなくあなたにとって言ってあげたほうがいい気がしたので、あえて投稿させて頂きます。

命の尊さを知る=生命への畏敬の念を持つ。生きている存在同士として共感を感じる。 ことだと思います。
知識として命が尊い理由をいくら詰め込んでも、自分がそれを実感できなければ心からの行動にはつながらないのではないでしょうか。

私自身が命の尊さに心を打たれる気がするとき
・花をみてその美しさに引き込まれる気がするとき
・赤ちゃんを抱いたとき
・友人が仕事とか恋愛で壁にぶつかって、それを乗り越えて少し大きくなったと感じたとき
・空が青いなとか、月がきれいだなと、しみじみ感じられるとき
・とても誠意を感じられる仕事ぶりの方と出会ったとき
・美しい音楽を聞いて、聞き入って、その人の心に触れた気がするとき
・出会った人と本当に心を通わせることができた感じた瞬間
・どうしても素直になれなかった相手に対して、ようやく、やっとの思いで心を打ち明けられたとき。またそれを相手が受け止めてくれたとき。

出来事としてあげればたとえばこうしたことですが、
その前提条件として、一生懸命生きていることが大切だと思います。
真剣に生きているときは心が澄んできて、ささやかなことでも感動を伴います。人の心の温かさに触れることができ、生かされているという実感を感じます。逃げていたり惰性のときは、鈍くなって自己嫌悪と以外何も感じなくなっていきます。知らず知らず何でも責任転嫁して逆恨みの心をためていきます。

失礼ですがあなたの考え方は逆さまのように思います。根本原因を解決したら現状から脱却できるというのは、言いにくいことですが、はっきりいって逃げだと思いますよ。要は現状と真正面から向かい合うことを避けて、あさっての方向に自分の人生を魔法のように立て直してくれる何かを求めているに過ぎないのではないでしょうか。もっとも、そういう風にもがいていること自体は自分を何とかしたいという真摯な思いの表れだとは思いますが、人生を手っ取り早く何とかしたければ、じたばたしないで目の前の課題に取り組むことです。普段の一歩一歩は淡々とした前進で、不安になったり分からなくなる時もあるけれど、ほんの一歩前進しただけでも目の前の風景がガラッと代わるときがあります。視界が広がり、現時点ではぜんぜん気づかない新たな可能性が見えてきたりします。躍動感を感じ、人生が動いている感覚が生まれます。生きていることがわくわくします。こつこつ積み上げていくことは振り返ったときに必ず揺るがない自信につながります。振り返って「これだけのことをしてきたんだ」と感じられるとき、またひとつ人生の尊さについて知ることができるはずです。

「生きている」ひとだけが命の尊さを知ることができるのだと思います。
もしほんとうに大学にいきたいのなら、真剣に受験勉強に取り組むことで、おそらく命の尊さに触れることができると思います。もう10月。しのごの言ってる場合ではないのではないでしょうか。結果はどうあれ真剣に取り組んだ経験は必ず人生の糧なるものなので、とにかく向こう数ヶ月を、全然完璧でなくていいから前向きに、一生懸命がんばって見てください。具体的にはまず机の前に体を運ぶ。問題集や参考書を広げる。一ページだけやってみる。そんなところからでも。あなたにも経験はおありでしょうが、入り込めば何だって面白みを感じられてくるものです。
あなたもいずれは自活していかなければならないのだから、勉強するか働くしか選択肢はないですよね。社会にはさまざまな矛盾もありますが、そのなかでよりよく生きる手立てを得るためには、やはりどうしても努力が必要です。不安定な心のせいにしないであなたの意思で人生を切り開いてください。
    • good
    • 0

はっきり言って細木数子は嫌いなので、もしかしたらアナタにもキツイこと言ってるかもしれません;




命の尊さって、わかりにくいですけど、簡単に言っちゃえば「あんた、死にたい?」って話じゃないかと。
死にたい? 生きたい?
ほとんどの人間は生きたいです。死にたくないんだそうです。だから命の価値が上がる。
みんな死にたがり屋で「あーあ、早くお迎えこねぇかなー」なんて言ってたら、命の価値なんて下がる一方ですわな。

アナタは生きていたいのか、死にたいのか。
人の命の大切さっていうのは、自分の命の大切さにも繋がるんじゃないかと。
まあ、人それぞれ命の価値観は違うと思うんでけれどね。
他人を押しのけてでも生きたい人。
とっととオサラバしたい人。
人を殺すのが楽しくってたまらない人も居れば、ダレカの命を守ることが自分の命の価値だと思っている方もいます。

命の尊さって、人それぞれな面もあると思うのですけれど。
道徳の授業なんてクソクラエなんていう人間なので、あまり命について、誰かに言われたことはありません。
ただ、自分の親もいつかは死んじゃうんだよな、とか、そういう風に考えていくのも、一つの『命』だとは思いますけどね。

『命の尊さ』は知るモノじゃないです。
教えてもらうモノじゃないです。
いい加減、受身の立場から抜け出しなさい。ね?
自分で問い詰めて問い詰めて考えてみてはいかがですか。
答えなんてありませんよ、きっと。
自分の経験と自分の思考と、絶え間なく自分で考えて初めて出てくるものだと思います。
もっともっと自分を頼りにしてみてよ。
アナタが思っている以上に、自分ってスゴイんだから。いとんなことを感じて、考えて、吟味して、それを自分のものにする。昇華する。

予備校。
いけないことの何が悪いの。
どうして悪い方向? ただの休息じゃないのかい?
ソレを学習したら、現状を脱却できるの?
アナタが今すべきことは、ソレなのね?

嫌なこといってたら、すんません;
    • good
    • 0

命は期間です。

限られた期間です。いつ終わるか誰にもわかりません。常に「今」を大切にすることです。

ls77さんは「今」、命の尊さについて学び、自分の現状を改善しようと試みています。ならば、今は必死になって改善する為の策を「考える」時期です。考えて考えて答えを導き出すのです。この「考える過程」がきっと今後の人生に役立つはずです。そして、答えが見つかったら、実行するのみ!
人間の一生は、考えること、行動すること、あとは、感じる心があってこそ、充実したものになります。モチベーションを上げたいのでしたら、まずは「本気でやりたいこと」「打ち込めるもの」を探してみたらいかがでしょうか?

それから、命の尊さについてですが、、、
ls77さんの質問内容から判断すると、的外れな回答になるとは思いますが、敢えて書かせてください。私に「命の尊さ」を教えてくれたのは、今までに一緒に過ごしてきた動物達(ペット)でした。
いつまでも一緒にいたい、もっと可愛がってあげたい、、、どんなに私がそう願っても、手の届かない場所に逝ってしまいました。その時の心の苦しみは言葉で言い表せません。無邪気な赤ちゃんを失った母親のような心境です。命という尊い存在に、自分の無力さを思い知らされました。

限りある命だからこそ、いつ終わるかわからない命だからこそ、死を取り消すことはできないからこそ、、命は尊いものですよね。
長くなり、すみませんでした。
    • good
    • 0

細木数子は占術を鋭意的に学ぶことで因果応報の理を身につけて、徳もある程度備わりました。


そもそも占術(易学)は孔子も熱心に学んだように人間を思いやる世界です。ですから細木数子のような人間でも徳を知らす知らずに身につけて、徳によって先を見通す力も備わりました。これは誰でもある程度は可能です。占術(易学)の方法だけに限りません。
細木数子はメディアに登場したての頃は天地神明において自分の発言は間違っていないかを大変気にしていましたが、昨今はエンターテイメント性を身につけ、結果、徳知が離れてしまって知識だけで心無いままに語っています。聞く必要もない戯言です。我欲で語ることもあるので有害です。
そもそも師となる人は間違いを語らないために口は重いのです。
そのような細木数子の言葉をありがたがるのは聞く側の常識的な倫理観が下がっている証左です。

他者の意見を探してみました。
細木数子地獄への道
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4846305 …

細木数子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E6%9C%A8% …


あなたが暴力的で危険な人物でない限りは命の尊さを究明する必要は無かろうと思います。それより日常の生活を充実させるよう努めてください。それでいいんです。予備校に行くことが困難でしたら、考え過ぎな性格を改めてください。「考えすぎて何か良い事があったのかしら」と過去をじっくり振り返ってください。何度も日数をかけてトライすれば見つめられるようになります。

命の尊さを知りたいならばそれを引き出してください。誰でもそれを窺い知ることは可能です。ただ困難ことがあります。それは苦しいのです。産みの苦しみでさえ苦しいのに、命の尊さを知るのは、あなたが「痛」まなければならないのです。大事な人に先立たれる、周囲から心を傷つけられる、身体を傷つけられる、心配、不幸、困難な課題の連続、意気消沈、生活できない貧困と自己の「こころ」がねじれないように保って、様々な痛みを「自己」が知りえたならば命の尊さを知る下地は出来上がります。

次に「ありがたさ」を知れるようにならなければなりません。散々の苦しみによって人間性は捻じ曲がり、粗悪になっています。こんな状況であなたは周囲の存在しているものが主張しているとうっすら感じます。周囲の存在しているものの「有り難味」を素直に知ること、受け入れることは誰でも出来ることではありません。これが産みの苦しみです。完遂は困難です。
立ち上がれる精神を身につけ、「有り難味」を知ったという人格が身についたと感得して初めて、他者の痛みを推察でき、他者が「大事」だと思うことが出来るのです。
人間は常に未熟です。過大なあせりは危険です。そのことを考えてみてください。


儒教もキリスト教も「自分が望まないことは人に仕向けてはならない」と教えています。これを忘れないよう、すこしづつ実行するよう心がけましょう。

他者に無償の親切をしましょう。他者からの無償の親切を素直に受け入れてください。小さくてもいいのです。


あなたは今、困っています。なぜですか。人並みの生活様式を取れないのは自己がそれを嫌がっているのではないですか。なぜか?それを自分に尋ねてください。価値がないのなら価値あることを目指してください。苦しみ、不幸を避けられる人間はいません。価値あるなしが分からないのなら自分が決めたこと、しなければならないことを食いしばって遂げてください。苦しみ、不幸を避けられる人間はいません。怠け心でしたら苦しむのはあなたが呼んでいることです。反省しましょう。する気もないのに自分は「ダメだ、ダメだ」と悩んでいるのはあなたが織り成しているあなたの自由な人生なのです。それなのに悩むのは無駄・無意味なのです。
    • good
    • 0

まず「生かされている」ということを説明したいと想います。



たとえば「青色」というのは赤や黄色、緑・・、ほかの色があるから存在できるんです。
だって、この世のすべてが青色だったら、識別する必用もなくなってしまうからです。
ほかの色があるから青色は青色として存在できているんです。

人間だってそうです。
肉、野菜、水、気温、重力・・・・これらがあるから存在できているんです。
これらがみんなで「私」を構成しているんです。

たとえば、水を飲まなければ、死んでしまいますから「水」が「私」でもあるんです。
おにぎりだって食べてしまえば「私」に成ってしまいます、
地球と太陽の距離が今よりも変わってしまえば、もしかしたら全滅しますので、その距離も「私」を構成している一員(一因)です。

こういうのを「縁って起こる(縁起)」とか言います。
この世のすべては相互補完的に縁って起こっているんです。
何一つとして「実体」を持って、単独で存在しているものは無いんです。

つまり、すべてのものは生かされているし、同時に何かを生かしているんです。
だから、この世に無駄なものは何一つとして無いとか言うんでしょう。
すべては繋がっているんです。
だから生命は尊いんです。


でも、たとえば「人差し指を切り取ってください」を言われたとします。
これも良く見ると皮膚も骨も神経も血管も・・・すべてが繋がっていて、「ここからここまでが人差し指だ!」と言い切れる実体は無いんですが、確かに「人差し指」という感覚はあるんです。
だから、その大雑把な感覚を頼りに、バサッ!と切り取ってしまうんです。

「人差し指」というのはあくまでも仮称にすぎないんです。
すべては相互補完的に繋がっていて、縁起なのに、それに気づかないんです。


>>私は予備校生であるにも関らず学習も中途半端で、予備校に行くことでさえ心が悪い方向へ動いてしまい、行けないことがよくあります。でも根本原因がこれならば、出来るだけ早くこの学習をして、現状を脱却したいと思いました。

・・この原因はここにあるんです。

こちらの#4と
http://security.okweb.jp/kotaeru.php3?q=1677402
こちらの#6も一読してみてください。
http://security.okweb.jp/kotaeru.php3?q=1680656
    • good
    • 0

他の人とは違う切り口で。



私は、社会人ですが、法律の勉強をしています。
憲法は、皆さん小中高と概略的にでも勉強していて、
憲法の三大原理は分かるかと思いますが、
その中でも一番重要な事は、13条の個人の尊重です。
人はそれぞれみんな違うけど、お互いに尊重されなければならない。
そのように国の最高法規で謳っているのです。
スマップの『世界で一つだけの花』の歌詞を思い浮かべてください。
あの曲は、まさに憲法の中心原理を歌った曲です。
(槙原敬之さんがそこまで意図して作詞したかは分かりませんが)

憲法の一番の中心原理が個人の尊重であり、
それが倫理的に道徳的にどういうことであるか、
どのように生活するうえで取り入れるべきかとは法学部でも勉強しません。
でもアメリカでは、小学生の低学年で学ぶことだそうです。
戦争放棄も謳ってますが、それは表面的にしか学びません。
憲法を深く勉強するとすべての条文がまたその他の法律も、
個人の尊重をベースにしており、私は法律を通して
「命の尊さ」の学習の一端を学んだような気がします。

すこしでもご参考いただければ幸いです。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す